短編 | ナノ

※浮き沈みの激しい尾形くんの話



「花火すんぞ」
「はい?」

尾形さんは思い立つとすぐに財布と携帯、鍵、タバコをポケットに突っ込んでサンダルに足を突っ込んだ。さっさと来い、玄関口から間延びしているくせに有無を言わせない声が飛んで来て、わたしも慌てて上着を羽織る。ノーブラなのに、とか考えている時間も無いぐらい彼はいつでも唐突だ。いつもこの妙な行動力に振り回されていて、先日も急に仕事を辞めて来たかと思うと翌日にはもっと条件の良い職場に滑り込んでいた。

「今の時期って売ってないと思いますけど」
「ちょうど投げ売りされてんだろ。無かったら焚き火でも構わん」
「火遊びしたいお年頃?」
「くだらねえ事言ってたら置いてくぞ」

わざとらしく、彼は歩幅を拡げる。けれど待ってと言ったらそうしてくれるのだから天邪鬼だ。
尾形さんは急行電車も停まらない偏屈な場所に住んでいる。暫く歩いて、結局わたし達は二人同時に、光に誘われる夜蛾みたいに近所のコンビニの自動ドアーをくぐった。
言う通りレジ付近で花火セットが30パーセント割引の烙印を捺されていた。特に吟味もしないで一等手前の袋を手に取って、すぐさまアルコールコーナーを目掛けていく。結局のところお酒を飲む口実が欲しかったんだろう。

「わたしも飲みたいです」
「一口やるから我慢しろ。お前、酔ったらめんどくせえんだよ」
「尾形さんよりは多分マシですけど」
「どうだか」

酔った尾形さんは非常に人懐こくなる。普段から自分の趣味と他人への嫌味(コレももしかしたら彼の趣味なのかもしれない。尾形さんは性格が悪い)以外ではこれと言って口を開かないタイプであるが、ひと度酔いが回ると仕事の話とかその日食べたご飯とか、子供の時の思い出だとかを聞いても無いのに語り出すのだ。
そういう尾形さんが好きでもあって煩わしくもあった。彼は何というか、他人とのコミュニケーションが上手く無い。一丁前に気を遣っているのかと思えば考え無しに人の痛い所を突いて見るし、基本的に感情表現は嘲笑だ。無表情でクレジットカードをレジ台に置く。ビニル袋を受け取ると社交辞令程度に会釈をして、お店を出た時には満足したように缶を開けて喉仏を鳴らすやタバコに火を点けた。

「飲みてえんだろ、ほら」
「え、でもあの、関節キスになっちゃう」
「今更だろうが」
「うーん……、いただきます」

秋空には冷た過ぎる缶酎ハイが喉にながれていく。一口飲んだだけでどうでもよくなってしまってそのまま突き返すも彼は受け取らなかった。自分の分もう開けてる。右手に火種、左手にはビールが携えられて立派なオッサンの完成である。

「どこでするんですか」
「橋の下」
「えー、結構歩きますね」
「だったら駅あたりの公園でいいか」
「あそこ火気厳禁ですよ」
「警察が来る前に全部やっちまえば問題ねえ。行くぞ」
「え、あ、ちょっと待ってくださいって!」

今度はしっかり腕を握って、彼が夜道を進み出す。23時の街道は一人だったらとても心許ないのだろうけれど、先導してくれているのはあの尾形さんだ。この人は不健康そうな顔色に合わず出来上がった身体をしている。
でもそれ以前に、顔も雰囲気も怖いから積極的に関わりたくは無いと思われているんだろう。たまにすれ違う人はわたしがまるで無理矢理引き摺られているんだろうと言わんばかりの目をしているくせに視線を逸らしていた。そうです、わたしは巻き添えを喰らっているだけなのです。

「この辺なら逃げ道も確保出来るか」
「怒られても知りませんよ」
「うるせえ、手伝え」
「しょうがないなア」

公園の奥に座り込んで花火の包装を破いていく。どうしてこんなに厳重にセロテープで留めるんだろう。ビリビリと、台紙ごと破いていく様を横目に見ながら昨夜の事を思い出す。世にも適当な彼はこうやって、雑にわたしの服を脱がせてそれから(あア恥ずかしい、死んでしまいたい!)。

「あ? 蝋燭入ってねえのかよ」
「買っとかないのが悪いんですよ。もうちょっと計画性持ったらどうですか」
「直接点けるか」
「危ないですって、尾形さん!」

包装から出すのも面倒臭がった彼は、袋ごと手持ち花火に火をつけた。化学物質の溶ける身体に悪そうな臭いの後に、バラバラと火花が散っていく。青色、その後が赤で、緑を経由して黄色に終わった。安物は寿命も短くすぐに宵闇に飲み込まれる。

「あーあ、もったいない」
「ナマエもやれよ。このまま全部燃やしちまっても構わねえんだが」
「やりますって、やりますからちょっと落ち着いてください」
「打ち上げ花火とか売ってねえのか? 三尺玉」
「バカなんじゃないですか。コンビニにあるわけないじゃん」
「だったら作るしかねえな。明日から花火職人やるわ」
「いい加減落ち着いてください」

どう言う理屈か尾形さんはいつでもお金を持て余している。慰謝料、とかわけの分からないことを話す彼はひょっとしたら当たり屋が本業なのかもしれない。顎の深い傷跡は打ち所を間違えた時にできたもので、ほとんど見えていないとか語る左目はケジメに硫酸を垂らされたのだ。
いっそ服を脱いだ時に立派な龍でも描いてあればよかったのだ。本当のところ尾形さんの傷は自身の不注意で目は喧嘩の後遺症である。バカみたい。わたしってもっと真面目なはずだったのに。

「飽きた。帰るぞ」
「はい? まだほとんど残ってるんですけど」
「先に帰っとくから頼んだ」
「酔っ払い! そこに座りなさい!」

言われたまんま尾形さんが地べたに正座する。姿勢が、猫みたいに丸いんだよなア。やる気の無い特徴的な目尻は垂れ下がって今にも眠りこけてしまいそうだ。家を出る前に彼はウォッカをひと瓶空けていた。注釈というか、彼はソンナにアルコールに強く無い。

「ねむい」
「言い出したんだから責任持ってパトカーが来るまで遊んでください。先に帰るのはわたしの方です」
「ナマエのこと先に帰したらまたチェーンかけるだろ」
「あー……あれは、間違えたっていうか」

尾形さんの帰りを待たずにチェーンをかけたまま寝たのはかれこれ半年以上前の話である。彼は、見た目通り結構根に持つタイプでそれから見掛けによらず傷付きやすい。情けないなア、頭を撫ででやると不機嫌そうに睨まれた。それでも逃げないあたりこの人は案外可愛らしい。

「明日に取っときますか?」
「あんまり俺のこと甘やかすなよ。図に乗るぞ?」
「どうやったらそんなに調子乗れるんですか」
「俺が世界で一番正しいから」

尾形さんは自分の世界しか持っていない。
なので他人は皆自分と同じようなことを考えて生きているんだと本気で信じている。こういうのも宗教に入るんだろうか、彼はいっつも自分の好きな食べ物を手土産に帰ってくる。何回ソレは苦手だって言ってもまるで聞こえていないのだ。

「あ、猫」
「連れて帰りますか?」
「俺がいるからいいだろ」
「尾形さんと猫だったら釣り合い取れませんよ。猫の方がずっとかわいいから」

不満そうに彼が花火を一本手に取って、気怠そうに火を点ける。ここぞと言うところで持っていたビールを垂らして消してしまった。お酒を飲むことすら飽きたんだろうか、傍若無人な振舞いは他人事では無いんだろうな、とか、普段考えないようにしている湿っぽい色の不安が煙に絡まり始める。
仕事も人付き合いも、一度興味を失ったらそのまんま簡単に捨ててしまうのだ、彼は、人一倍ものごとに執着するくせにソンナ姿を認めたくないみたいに突き放す。わたしが捨てられる時もそういうのだったらまだ少しは救われるんだろうか。

「お前、今しょうもねえこと考えてただろ」
「バレました?」
「電車乗るか。茨城行こうぜ。あんこう食いたい」
「なかなか思い付きでアンコウ食べたくなる人いませんよ」
「置いて行かれてえのか?」
「そのうち置いてくくせに」

恐る恐る火をつけた花火が燃え盛る前に、蓄えたお酒で消されてしまった。彼が、無表情のまんま見下ろしている。俺は、何か言おうとしているところを悪いけれど続きを少しも聞きたくない。

尾形さんがわたしの背後に回り込む。あったかいなア、今年も来年も、秋口はズットこうして過ごしていたい。わたしは少しも尾形さんと離れたく無いけれど、他人が皆自分と同じことを考えているはずがないのだ。尾形さんはわたしとまったく逆のことを思っているに違いない。

「ナマエも俺と同じだろ」
「飽きたらポイ捨てですか? 一緒にしないでください」
「誤魔化すなよ。俺と同じはずなんだから」

ズシリと肩が重くなった。尾形さんは酒臭いけれどほんのりとわたしと同じシャンプーの香りがする。遠くに、サイレンの赤色が走っている。

「じゃあせーので言いませんか?」
「カウントダウンがいい」
「仕方ないですね。ごー、よん、さーん……」
「マズい」

途端に彼はわたしを抱きかかえた。パトカーが近付いて来ている、不意を付かれて転がり落ちて、彼はわたしの腕を引っ張り無人駅に走り出す。
待ちなさい、と、後方からけたたましく叫ばれる公安の声を尾形さんは笑い飛ばした。慌てていたくせに次の瞬間には余裕を持っている彼は、何かから逃げるのが得意なんだろう。

「え、尾形さん切符!」
「後で払えばいいだろ」

人のいない改札を飛び越えて、閉まりかけのドアに滑り込む。わたしはこんなにも息が切れているのに彼と来たら汗ひとつかいていない。
誰もいない二両編成で、尾形さんはどかりとシートに寝転んだ。酔っ払って面倒くさくなるのはやっぱりこの人だ。鈍行電車が聞いたこともない終点を目掛けて揺れている。

「オイ、さっきの続きだ。にーいちゼロ」
「えっ! あ、えー、喉乾いた!」
「やっぱり俺と同じこと考えてんじゃねえか」

上体だけ起こした彼か愉快そうに笑う。違う、そういう話ではない。
キレイに固めた髪は所々ほどけていて、首元の少し伸びたTシャツと相俟って自宅なんじゃないかと錯覚してくる。尾形さんはいつもと違う顔で笑っている。

「今日の尾形さんって尾形さんじゃないみたいですね」
「寒くなると仕方ねえんだよ。もっと甘やかせ」
「花火職人諦めますか?」
「諦めた。世捨て人になる」
「もうなってます。それより尾形さんは」

手招きされて、彼のくつろぐ座席の下に屈み込んだ。彼はわたしの頭を、いつも自分にしてるみたいに柔らかく撫ぜる。「ヤリてえ」最低なセリフは聞かなかったことにしよう。

「終点過ぎても二人で逃げ続けるか」
「え? ちょっとわかりにくいです」
「アホなお前にも理解できるように言ってやるからちゃんと聞いとけよ」

ずっと一緒にいたい、彼一人だけの声が深夜の列車に落っこちた。最低だ、さっきと打って変わって尾形さんは泣きそうな顔をしている。
どうしてそんな尊い言葉を、こんなに申し訳無さそうに苦しそうに言えるんだろう。きっとどんなに時間が経ったところで彼は一生人付き合いが上手くならない。

「意外です。わたしも同じ事考えてました」
「お前も合わせてるだけだろ。俺カッコイイし金持ってるから」
「どうやったらそこまで自惚れられるんですか」
「事実だろ?」
「茶化さなくてもいいですよ」

彼はようやく地面に足を付けた。隣に座って、窓ガラスに映るわたしたちは結構どうしようもない顔をしている。鈍行が、誰もいない駅に律儀に停まる度に身体が触れる。

「どうやって帰りましょうか」
「わかんねえ」
「花火の後片付けしてないのちょっと申し訳ないです」
「他には」
「小腹が空きました」
「それと?」
「ちょっと肌寒いかな」
「あとは」
「尾形さんのことめちゃくちゃ好きです」

彼の太い腕が不意にわたしを抱き寄せた。花火と違って尾形さんはずーっと色を変えていく。口元だけを緩めながら、やっぱり同じじゃねえか、とか後出しされても嬉しくって笑ってしまった。


20191010

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