短編 | ナノ

日付を跨ぐ瞬間に尾形は家にいない。
今日みたいな木曜の夜にアレは、空いている飲み屋でひとり物欲しげに座る女をタラし込んで、そのままホテルから出勤する。いつか宇佐美にネクタイが変わっていないと指摘されてから、尾形はロッカーに数本真新しいのをストックするようになった。わたしはソレを下世話な目つきで観察している。



( ならばわたしと恋をしませんか? )




貯金をするにまず見直すのは無駄金ではなく固定費である。日本人のランニングコストで最大値を誇るのは言うまでもなく家賃だ。

「築年が若くてある程度広くて職場かからは近からず遠からずで虫が出ない家に住みたい、月×万円で」
「無茶言うな」
「キッチンは少なくとも二口コンロが置けて、収納は多い方がいいなー、月×万円で」
「んな物件ねえだろ」
「あと猫とか飼いたい」
「あー、知ってるわ」
「紹介して!」
「一緒に住むか」
「あー……、8対2」
「五分五分」
「ナナサン」
「五分五分」
「七対三!」
「ロクヨン」
「乗った!」

2LDKの部屋で結局わたし達はそのうち一部屋を殺している。暑さにも寒さにも弱い尾形はエアコンがリビングにしか無いことを言い訳にわたしの部屋に潜り込んできた(わたしの部屋はリビングに面しており、ドアーを開くと冷気が染み込んでくる。冬の寒さ対策に関しては言葉にするのも恥ずかしい)。
尾形の部屋だった場所にはヤツの趣味であるモデルガンだとか、マンガだとかあとは脱ぎ散らしたワイシャツが積み重なっていて対照的にコッチは閑散としている。

前の家を引き払うに当たってお互いの荷物は必要最低限だった。生活していくと主に水回りで私物が増えていき、いよいよ溢れる前に何ンでも尾形と共有になっていく。

「次風呂いいぞ」
「はいよー」

転居の折に提出した住所変更届を見て、キット総務ではわたし達のことが妙に色めいて噂されているんだろうが、わたしのタオルを首に巻く尾形と尾形のTシャツを着るわたしは、世にも奇妙なことに、何が起こるでもなく毎日を過ごしていた。

「換気扇回してって」
「すまん」
「一本ください」
「タバコ辞めろよ」
「尾形がやめたらやめるんじゃない?」
「梨食うか?」
「いる」

昨日の会話を反芻するように置きタバコに火を点ける。わたし達は当然付き合っているわけではなかった。お互い、別々の未来のためにお金が必要で手段として家だけ同じくしているだけで、一方の私生活に干渉するような野暮は起こさない。
こうして木曜に街に出て、金曜に目蓋を擦りながら妙な駅から通勤する尾形を眺めたところで一週間の終わりを確かめる以外には何も感じなかった。

とうのわたしはといえば、たまに鶴見さんに高そうなお店に連れて行ってもらうだけで特段変わったこともしていない。そもそもわたしにはお金が必要だ、漠然と、この先の人生が不安なのだ。
鶴見さんは飲んだ終わりに決まって外国人の奥様に会わせてくれる。お子様は拙い日本語(幼児の言語などどこの国でも心許ないモノだ)で、ナマエー、とか呼んでくれるのだ。そう、わたしは来たる結婚と出産、育児に備えて貯金をしたいのである。

「……相手がいない」

家に冷房がついているか否かはコイントスより勝率の悪い賭けだった。尾形は大概出払っていて、起きた頃に思い出したようにエアコンの電源が入っている。わたしは夏でも冬でも外気と同化して生きていけるので、たまに不愉快なのだ。

「猫ちゃんがいたらなア」
「にゃーん」
「………、尾形、帰ってるなら言ってよ」
「風呂」
「自分で入れて」
「茶」
「もう寝る」
「へー、ここが尾形ん家か。めちゃくちゃ広いじゃん」
「え、え、佐一くん!」
「ナマエちゃん? え!」

金曜日の夜だった。
わたしは定例のごとく鶴見さんからお高いお店に連れて行ってもらって、タクシー代を頂戴して、帰宅してエアコンをつけた後シャワーを浴びる。それから尾形の趣味もない黒Tシャツを着て(身長差があるのでチョットしたワンピースの具合になる。夏はコレだけで快適だ)麦茶を飲んでいた。佐一くんが帰って来た。
佐一くんがくるならば、髪をキチンと乾かして薄化粧をして、ソレからまともな服に着替えていたのに。

「えー、尾形が一緒に住んでるのって、えー……」
「違うの! わたしはたまたま、その、隣に住んでて」
「ここの隣は熟年のレズカップルだ」
「じゃなくて奥の」
「そこは小学生のガキがいる夫婦」
「あっ、向かいのマンションの」
「建設中」
「家賃をね! 浮かせたいっていう、ソレだけで!」
「それは本当だ」
「えー……」

佐一くんの頬は尾形と違ってほんのり紅かった。二人で何の話をしたのかなア、ナンテ事を若干考えながらも異常事態に吐きそうだ。妙齢の男女が住所を同じくして、良い大人なんだから何も起こらない筈が無いとは、いくらお人好しの佐一くんであろうと連想しているに違いない。

「ただの同居人だ。ミョウジには女の友達がいねえからな」
「あー……うん、なるほどね」
「俺は二階堂でも谷垣でも構わなかったんだが断られてな」
「だろうね」
「で、ちょうど良いところにミョウジが家賃を減らしたいとか持ち掛けて来たんだ」
「なーんだ、そう言う事か」
「そう! それだけ!」
「……それだけ?」

佐一くんは気まずそうに右や下に目配せしている。雑な出で立ちをしたわたしには目を合わせないところに誠実さを感じながら、自室に放っていたハーフパンツを履いた。状況は切迫しているのに、わたしのカードはとうに出尽くしている。

「本当にやましいことはないから!」
「さぁてどうだか」
「尾形は黙ってて!」
「それよりお前ら知り合いだったのか」

それはこっちの台詞である。佐一くんとわたしは大学のサークルが同じだった。就職先で上司を殴って辞めさせられて、ソレからどうしていたんだかは知らないけれどそもそも尾形と飲みに行く仲だなんて少しも繋がらない。その前にブラを付けなければ、いいやそのまえに誤解は解けたんだろうか。

「まさか元カレか?」
「ただの友達だよ。ナマエちゃんって大学の頃モテたよねー」
「あはは、今はさっぱり。それより佐一くんと尾形は?」
「腐れ縁」
「何で同居人の断り無しに連れてくるの?」
「俺の家だし」
「わたしの家でもあるんですが」
「お前だってたまに友達連れて来るだろ」
「その時は尾形に出てってもらってるじゃん!」
「あー、尾形がたまにうち来るのってそういうことね……」
「佐一くんごめんね! 本当ごめん!」

スッカリ酔いも醒めてしまったようで、佐一くんは苦笑いしながらコンビニ袋のロング缶を取り出した。まあ、座りなって。一丁前に促しているけれどこの人もわたしの家を私物化するつもりか。

「彼女にはなんて説明してんの?」
「ガラの悪い同僚とルームシェアしてるからうちには来んなって」
「ガラが悪いのは尾形の方でしょ」
「ミョウジ、氷入れてくれ」
「はいよ」
「なんだかなあ……」

二人はダイニングテーブルについて、飲み直しと言わんばかりに酒を広げている。おつまみとか用意した方がいいんだろうか。買い出しは毎週土曜日のお昼だから冷蔵庫に何も入っていない。
それより尾形、彼女いたんだ。いつも行きずりの女と遊んでるだけで真剣に誰かと付き合うナンテしないヤツだとばかり思っていた。遊んでいる風体ではあったけれどソンナ素振りはこの一年半ぐらい一度だって見せたことが無い。
なんとなく気に食わなくて、氷は一個だけしか入れてやらなかった。代わりに佐一くんにはチェイサーも用意してやる。

「そう言えばサークルの副幹事だったアイツ、結婚したらしいよ?」
「えー! あいつ定職就いてなかったのにできたんだ! 知らなかった!」
「会計の子の式って呼ばれた?」
「元カレ寝取られたから気まずくて行ってないなア」
「そうだったね! まあすぐ離婚したから正解だったかも」
「……ミョウジ、氷溶けた」

尾形が無表情のまんまテーブルに突っ伏している。顔に出ないだけで多分結構酔っているんだろう。面倒臭い、昔話に花を咲かせる様はどうやらコイツにとって面白く無いらしい。
終電はもう終わっていて、佐一くんがどこに住んでいるかは知らないけれど多分コレは三人で飲んで、なし崩しのように寝落ちする流れだ。さすがにこのまま寝かせるのも申し訳ないのでスーツをハンガーに掛けてやる。佐一くんは相変わらずガタイが良い。

「泊まってくでしょ? 物置みたいになってるけど部屋空いてるから、眠くなったらどうぞ」
「そしたら尾形が寝れねーじゃん」
「……あ、やっぱりソファどうぞ」
「あー……、いいよ。明日用事あるしぼちぼち帰ろうかな」

ソレからひとしきり近況を報告し合って、連絡先を確認して、今度改めて集まろうと約束すると佐一くんはうちを後にした。不貞腐れていた尾形は玄関扉が閉まるのを見届けると一転、いつもみたいに小憎たらしい顔で笑う。
お前、杉元のこと好きだっただろ。訳知り顔で尾形が真上から言葉を落とし込んだ。

「昔の話だし尾形には関係無いじゃん」
「へー。ああ言うのがねえ」
「うるさい」
「少し傷付いた。なんでだろうな」
「知らない。尾形だって彼女いたんだ」
「別れた」
「わたしのせい?」
「思い上がんな」
「ルームシェア解消してもいいよ」
「引越しの手伝い面倒だから」
「出て行くのは尾形の方だけど?」
「家賃多めに払ってんのは俺だろ」
「わたしの名義で借りてんじゃん」

保証人がいないと、転居の折に尾形は言った。お母さんを早くに亡くして、お父さんは生きてはいるけど元々いないらしい。聞けば聞くほど尾形は気の毒な生い立ちをしていた。性格も歪むわけである。
ソファにどかりと座り込んで、尾形は天井を仰いでいる。テーブルに脚を乗せるなと何度言えば理解するんだろうか。

「ミョウジもさっさと彼氏作れよ」
「できることならそうしてますー」
「モテるんだろ?」
「佐一くんが盛ってるだけだよ」
「お前って何で金貯めたかったんだ」
「……将来のこと考えて?」

思えば尾形が何故この話に乗ってきたのかを聞いたことが無い。同期とは言えど尾形は役職に就いていて、給料だって結構貰っているはずだ。
そもそも一人でいたところでお金なんて余る程ある彼は何故自分だけの時間を犠牲にしてまで家賃を浮かせているんだろう。そういう尾形は、聞くと天井を見たまんま口が動いた。

「家族が欲しかった」
「……ミョウジ百之助?」
「尾形ナマエじゃ悪いか」
「なんか締まりが無いから嫌かな」
「花沢ナマエよりマシだろ」

尾形が言っている家族っていうのは多分、妻では無く純粋な家庭の話なんだろう。テレビで陳腐なホームドラマが流れる都度、コイツは物憂げにチャンネルを回す。聞くところではあんまり楽しい幼少時代を過ごしていないらしい。

「わたしは尾形のお母さんの代わりとかできないけど」
「ハナから求めてねえよ。母さんはお前と違ってとんでもねえ美人だったし」
「遺伝できなかったんだね……」
「色が白いとこは似てるってよく言われる」

血管の青さが際立つ腕を伸ばして、麦茶、と尾形が要求する。顔色が悪い、このまんまじゃ吐くんじゃないだろうか。
部屋を汚されるのはお互いにとって良い事では無いので、言われた通り冷蔵庫を開けた。来週はシチューとカレーでやり過ごそう。麦茶はさっきわたしが飲んだ分で全部だったから、水道水を汲んで渡してやった。尾形が眉間に皺を寄せる。

「家族ってこんなに雑なのか」
「愛情があったら多少雑でも気にならないんじゃないの?」
「難しいもんだな。少しも理解できねえ」
「まあそのうち何とかなるでしょ」
「なんとかしてくれよ」

とか言われたところで、所詮尾形は同居人であり他人だ。
鶴見夫妻の顔が脳裏をチラついた。鶴見さんは、普段は頭がオカシイんじゃないかってぐらい破天荒だけれど奥様とお子様に向ける目は慈悲深くって、幸福そうでいるのだ。わたしの両親だってよく喧嘩しているけれど心の深いところでは繋がっている。わたしと家族も、他の誰だって大概そういうものなんだろう。

「お金浮かせたいんじゃなかったの? 結婚は人生の墓場で、無駄金増えると思うんだけど」
「節税にはなる」
「扶養に入れる気満々かよ」
「結婚してえから金貯めてたんだ」
「うわー、奇遇ー。相手は?」
「考えてなかった」

水道水はお気に召さなかったようで、尾形は立ち上がって冷蔵庫からりんごジュースを取り出した。ペットボトルのまんま、残り300ミリぐらいを一気に飲み干して無表情を貫いている。一体何を考えてんだろう。尾形の思っていることがいつも以上にわからない。

「で?」
「は?」
「俺、プロポーズしたんだけど」
「え、いつ?」
「なんとかしてくれって」
「うっそー。白石でももっとロマンチックなこと言えるよ」
「悪かったな」
「え、えー」

こんなに縋るような求婚があってたまるか。けれど尾形は真剣に、わたしを見ている。いつも腹が立つぐらい見下してくるくせに、今に限っては少しだけ膝を屈めて、目線を合わせて、迷子に声掛けるやさしい大人みたいな構図がチョット面白かった。

「うちの会社、結婚祝い金が3万出るんだぜ」
「二人で6万っていっても一回だけじゃん」
「家族手当が各人に毎月2万入る。二人で月4万。どうだ?」
「……乗った」

尾形ってわたしのこと好きだったんだ。それよりもわたしが尾形のことが好きだったのに驚いた。お金につられて仕方なく、みたいな体裁を整えてくれる尾形の自尊心の足りなさがむず痒い。あー、明日は市役所に行って、親には事後報告でいいや。会社の人たち驚くんだろうなア。
家族、欲しいのならばタバコは辞めよう。佐一くんと次に会う時は結婚しましたナンテ報告になるんだから結局誤解されっぱなしかもしれない。

その日はじめてわたし達はきちんと一緒に寝た。手だけ繋いでこれでは結婚というより恋である。チグハグな共同生活に名前が付いて、安心したみたいに尾形は安らかだった。


20191004

※続き

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