短編 | ナノ

喉を鳴らしてワインを飲む人間を俺はコレ以外に知らない。

さして強くもないくせにナマエは毎夜酒を買う。仕事が、友人が、実家が、社会がと平日の飲酒に理由を付けるだけの中身の無い愚痴をが鳴りながらビールに酎ハイの缶は燃えるゴミの袋を圧迫していった(ナマエはゴミの分別をしない)。ある時費用対効果が悪いといやに知的な台詞を吐いたかと思えばコンビニ袋に安いワインをぶら下げて来た。それからは三日にいっぺん空き瓶を部屋の隅に並べている。
申し訳程度に揃えた安物のワイングラスに並々と薄黄色の酒を注いで、かっ喰らうように喉に流し込む。たまにナマエはアルコールを注射したいと嗤って消毒液を眺めていた。彼女は休日何も飲まない。一体どんな世界に生きているのかはコイツの眼鏡に染まった様相しか知らないが、仮に何ら問題の起こらない場所にいたとしてこの生活は辞めないんだろう。

「いい加減にしとけ、身体壊すぞ」
「尾形に心配される程ヤワじゃないから」
「酒臭ェんだよ」
「尾形はポマード臭い」
「ポマードなんざ今日日使ってるヤツいねえぞ」
「じゃアなんて言うか尾形臭い」
「喧嘩するか?」
「しないからあと二杯だけ」

飲んで饒舌になるナマエの舌が乾かないように、俺はただ適当に相槌を打つだけだ。尾形の分、なんて色気無く置かれたグラスにはナマエと同じく非常識なカサのワインが揺れている。すぐに顔が赤くなるコイツと違って俺はいつまでも土気色の肌をしていた。そういうところが共感性に欠けると口を尖らせる様を延々眺めて、本人には話の内容を全て覚えていることも、紅潮する頬が結構可愛らしいと思っていることも、実はワインは好きではないことも悟られてはいけない。ねエ、とか艶っぽい声に振り返る。

「もう一杯だけ頼みます!」
「はいよ」
「せんきゅー。注ぐねエ」
「大サービスだ、貰っとけ」

空いたグラスを差し出されたら反応してしまうのは社会に毒された証だ。溢れんばかりの白ワインをナマエは嬉しそうに揺さぶる(そして少しこぼした)。酒の一滴は血の一滴だと死んだじいさんが言っていたが、現代っ子の代表格たるナマエには何も響かないだろう。この家に入り浸り早二ヶ月、俺とナマエはこの期に及んで他人だった。裸どころか肘から上すら見たことがない。

「今日職場のおっさんから非常識なこと言われてさー」
「婚期を逃すとかそういう類か?」
「うーん、産休は部署内で相談してから決めろって」
「ははッ、お前には関係ねえ話だな」
「まアそうだけど、そうじゃなくてなんて言うかさー、授かりものなんだからソレ口にするなっていうか」
「セクハラで訴えろよ」
「あー、子供欲しい。好きな人との子供とか絶対可愛いのに」
「かもな」

酒を飲み始めたのはコイツの大学の同期に女が出来てからのことだ。ナマエは恐らく、それと俺が繋がっていることを知らない。世間とは狭いもので杉元は前職の同僚だった(本じゃなくて元気の方、とか言って、顔に大きな傷があるなどと話すものだからすぐに連想できてしまった)。
何かのスイッチが入ったように、ナマエは途端に顔を曇らせてソイツの話をし始める。とんだ地雷を踏んでしまった。ナマエの声で杉元の名前を聞きたい筈がない。悟られまいとする姿勢を頑なに貫き通しているばかりにコイツは人の気持ちを考えようともしないのだ。

「昨日有休取ったらしいよ。夏休みだし」
「俺も夏休み欲しいわ」
「あと一杯」
「これで最後だからな」
「杉元くんの彼女になりたかったのになあア」
「そぉれ一気」
「うるさい。尾形と杉元取り替えたい。あーでも彼女の子も可愛いし尾形だと可哀想だけど今わたしが世界で一番可哀想だ」
「飲まねえなら俺が飲む」
「飲むから!」

何が世界で一番可哀想だ。それを言うなら俺は宇宙で一番可哀想な人間だ。好きな女は知り合いの鼻に付く野郎に釘付けで、その女の家に転がり込めたかと思えばフローリングで寝かせられて、キスどころか掌に触れたことすら無い。ひたすら杉元を列挙され、それでもナマエの声だから聞き流すことも出来ない俺が可哀想で無いならこの世に戦争なんぞ起こらないだろう。
最後と謳った一杯も喉を鳴らして飲み干され、結局俺は瓶が空になるまでナマエに酒を供給し続ける。喉が鳴る。他人の事をじわじわと苦しめる人間を、俺はコレ以外知らない。


20190801

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