雪が積もったらキット素敵だ。こんなことをあの極寒の地域で喋舌ったならばどれほど非難を受けるだろうか。一度きりの人生だから特異な経験をしてみたいと願っている。もしもっと昔に生まれていたら、世界がひっくり返る瞬間を見ることができたというのに。
「前時代の人たちってどうやって生活してたんでしょうね」
「不便で平和極まりなかったんじゃありませんか? 私には想像も付きませんがね」
「あーあ、アダムスミスと同じ時間に生きていたかった」
「馬鹿なことを仰っていないでさっさと歩いてください」
「ハザマさんと違って短足ですみませんね」
恋い焦がれる時代には緑色の髪の毛ナンテのは創作上の人物像だったらしい。瞳も含めて蛍光色で、遠目からでも観察できる彼を見上げる。何を食べたらこんなに背が伸びるのだろうか。
前時代では平均身長は時代と共に高くなっていたと聞く。わたしが生まれてから幾十年の記録を見ても、ヒトのデータはさして変わっていないから、もしかしたら人類はありったけの進化を終えてしまったのかもしれない。
「キサラギ少佐、また行方不明だそうですよ。なんでもかの指名手配犯が関わっているだとか」
「ハザマさんって本当何でも知ってますね。ちょっと恐ろしいです」
「いえいえ、分からないことだらけですよ。たとえば愚鈍な部下の思考回路だとか」
「単純そのものですよ」
顔にかかる風は年中あたたかなもので、時折空気の温度を忘れてしまう。ただ世間の風当たりだけが日に日に冷たくなっていくことが、慣用句的にしか知らない寒さを思い出させた。
ハザマさんの足取りについていこうとすると息が切れる。いつも飄々として、たまには苦痛にゆがむ表情でも見せたらいいのに、と背中を睨みつけていると、察されたかのように歩みが止まった。
「す、すみません!」
「何を謝っているんですか」
「じゃあなんで止まったんですか」
「定期的にあなたの顔を見ないと忘れてしまいそうでね。さすが諜報部に指名されただけあって、印象に薄いつまらない顔をしておいでですから」
名前も苗字も顔立ちも体系も平凡で悪かったな。大体この組織には特殊な人が多すぎるのだ。キャラが濃いといったらおどけているように聞こえるだろうが、身の回りには一度会ったら忘れられないような風貌の人物ばかりが揃っている。
「ハザマさんもその一人ですよ」
「はい? あなたと一緒にしないでください」
「いえ、あの、その逆で……」
「糖分不足で頭に血が回っていないんですかね。仕方ありませんし、休憩にしましょう。まったく世話が焼けます」
ハザマさんがこう言う時は自分が休みたいときだ。どこまでもわたしのことなんて考えてくれないんだなあ。そんな些細なことを考える余裕が無いのかもしれない。わたしはポジティブだ。
世界が戻ってしまえばいい。難しいことが増えてしまったからいけないのだ。前時代では、することのない人々は哲学に勤しんだという。恋愛は哲学だ。
ハザマさんの背中をもう一度睨みつけても彼は振り返らなかった。全部無かったことにして、平坦になったらきっと人生は思い通りなのに。
(二日後世界は歪んだ)
20140225