短編 | ナノ

「ナマエさん、今から来れない?」
「え、え! 佐一くん? え!」
「消防署の近くのカレー屋の隣にいるから! どう?」
「あの、お化粧とかしてもっかいシャワー浴びて……あッ、そしたらまたメイクし直さないといけないんだ!」
「スッピンでもナマエさんは可愛いからさ、おいでよ。待ってるね」

可愛いって言われた! 佐一くんがわたしのこと可愛いッて、その上わたしのことを待っているナンテわたしはナンテわたしは、浮き足立っているとスネをドアーにぶつけてしまった。お風呂場で更に肘を打ち付けて、身体にはジワリと黒血が寄っている。バカみたいに浮かれたわたしは案内先の個室で暴れるヤツを見て固まった。

「やっと来た! 助かったよー」
「……佐一くん?」
「おい、ちゃんと呼んでやったぞ!」
「あァ? ナマエが来るわけねえだろうが!」
「そのマンガみてぇな目ん玉開いてちゃんと見やがれ! ナマエさん来てんだろうが!」
「………、……、ミョウジ?」

半個室には白石と、顔が真っ赤な明日子ちゃんが座っていた。その奥に騒がしいソレが落ちたまんま喚いている。ぬう、と落し物は身体を持ち上げて血走った顔をすこし緩めた。

「尾形の野郎がさ、ナマエさんじゃないと帰らないっつーから……夜中にごめんね」
「帰ります」
「ちょっと待ってよ!」

尾形さんは焦点の合わない両目でわたしの方をぼんやりと眺めながら、さっきとは打って変わって性格に合わずヒラヒラと手を振っている。どれだけ飲酒を極めたらあそこまでバカになれるんだろう。しかしバカと言う点に絞ったらわたしも同じ土俵で闘える。スッカリ、佐一くんと二人っきりになれるモノだと信じていた。裏切られたとかそう言うのでは無く、ただ自分の浅墓ッぷりに笑いが出る。佐一くんは腰掛けるとヤッパリ明日子ちゃんの肩を抱いていた。

「ミョウジー、俺が呼んでも来ねえくせによぉ」
「佐一くん、何で言ってくれなかったの」
「もしかしてナマエさん抜きで飲んでたのに怒ってる……? ごめんね、ナマエさん最近残業続きって聞いてたから中々誘えなくて」
「わたしの残業知ってたの?」
「これでも結構心配してるんだよ? 俺、ナマエさんがいなかったら今頃どうなってるか分からないし」
「(この前の経費精算だろうなア)佐一くんが心配してくれるンならもっと残業出来ちゃうよ!」
「ミョウジー俺も心配してるぜ?」
「口先魔人は黙ってて下さい」

尾形さんの服にはキラキラとガラス片が散っていた。電話口が静かだったのは二人の罵声に他の客が帰って、店員さんですら黙りこくってしまったせいなんだろう。
ソンナ中でも明日子ちゃんはグッスリだ(グッスリとはグッドスリープの略だ)。白石はスマートフォーンで何かを必死に捲っている。多分風俗情報サイトだ。

「ナマエさんって尾形と仲良しだったんだね」
「何回かしか喋舌ったことないけど」
「ミョウジー、こっち来いよー」
「死んでも嫌です」

ようは、わたしは尾形回収班だった。佐一くんは別にわたしと二人っきりになりたかったわけでも、数ある電話帳から吟味してわたしを選んだわけでも、わたしの事を連れ去ろうとしたわけでも無かったのだ。
失意の中でケエタイを覗くと、尾形尾形尾形、尾形尾形、着信履歴が見るものおぞましい様相であることにわたしはココでようやく気が付いた。

「明日子ちゃん大丈夫?」
「なめろうもってこーい」
「寝言がハッキリした子だね……」

テーブルには泡の消えた半分のビール、ホネだけになったフライドチキン、塩粒の残るお皿と暫く何ンにも頼んだ形跡は無い。尾形さんの世話役としてだけ存在しているのが見せ付けられているみたいでガクンと気分が落ち込み、途端に打ち身が痛み出した。何やってるンだろう。佐一くんと来たら、明日子ちゃんをおぶって連れ帰るかタクシーで運ぶかを思案している(白石は目を輝かせてコソコソと予約の電話を取っていた)。氷をフォークでイジる尾形さんと目が合った。反らしてもズット、真っ黒の両目がこちらを見ている。

「ミョウジ、吐く」
「明日子さんにかかるだろ! さっさと便所行け!」
「ミョウジ、吐く」
「仕方ねぇな、連れて行くからここで吐くなよ!」
「ミョウジ」
「……ナマエさん、申し訳ないけどこのバカ連れてってくれたら助かる」
「嫌かなア」

吐くなんて嘘も大概にして欲しい。根が生えたみたいに動かないわたしに尾形さんは口を尖らせて、そのくせすんなりと氷を含んだ。口角から垂れた水滴が、顎の手術痕を伝っている。首を傾げて尚こっちを恨めしく見つめる彼はいつもと違って惚けた顔をしていた。

「杉元、俺そろそろ出るわ。二千円でいい?」
「馬鹿言え、3倍だよ」
「まーた明日子ちゃんだけ0円かよー」
「明日子さんの家はおこづかい制なの! 土方の爺さん呼ぶ?」
「会計係ならマッちゃんでいいじゃん!」
「谷垣に殺されるだろ」

知らない名前が次から次へと流れて行って、わたしを取り残さないのは不本意なことに尾形だけだ。その尾形さんも目を開けたまま寝ているみたいにぼんやりしている。アー、わたしは一体何なんだ。
泣きそうな気持ちになるわたしを救ってくれるのはいつも佐一くんだ。尾形さんの鞄から当然のように彼は万札を取り出して店員さんを呼び付け様に耳元で囁いた。顔が赤くなっている、に違いない。今日ぐらいは回収係でもゴミ処理班でも引き受けてやらんことも無い。

「それじゃあまたな。明日子さーん、帰るよー」
「また来週ね。佐一くん」
「うん。また来週」

爽やかな笑みが風のように過ぎ去り残った泥は尾形だけになった。この人は見かけによらず鍛えているから抱えるとなれば一苦労だ。
おーい、帰るよ。肩を揺らしても尾形さんは何ンにも反応しない。死んでいるのかと思いきや息は荒くって、無視を決め込む耳を引っ張ると眉を顰めた。

「帰りますよ」
「ミョウジも飲んでけよ」
「家で少し飲んだからいりません」
「嘘つけ」

その時尾形さんがヤットわたしを見た。背筋が凍るぐらい冷たい視線に身震いすると、肩にズッシリと重みが来て途端に軽くなる。立ち上がった尾形さんは佐一くんより幾分か背が低い。

「有難うございました」

愛想笑いの店員さんを通り越すまで尾形は何も喋舌らなかった。敷居を跨いで、一歩外に出ると途端に屈み込む。ゲェゲェと、道端に吐瀉物が溢れてもわたしは背中をさすらない。尾形さんの嘔吐を見るのはこれが四度目だ。

「水……」
「お金ください」
「鞄の中、水……」
「ちょっと待ってて」

嘔吐反射で流れる涙も傷の痕を這っていた。塩水は地面に溢れず、そのまま喉仏を滑りカッターシャツに消えて行く。郵便局隣の自販機は補充が不十分でコーヒーとポタージュしか目ぼしい品が揃っていない。
仕方無しに一番安い缶コーヒーを攫って道路脇に戻ると尾形さんは、何だよコレ、ナンテ悪態を吐いた。

「立てますか」
「肩貸せ」
「いくら背が低いからってわたしより高いじゃないですか。無理」
「良いから貸せ」
「あーもう、タクシー混んでる」
「ミョウジ」
「歩けますか」
「手」
「死んでも嫌」

彼はこうして至る所で飲み散らして暴れてはナマエナマエとわたしを呼ぶ。大体、最初に佐一くんから電話が来た時に気が付けば良かったのだ。職場内でヒッソリと山猫保護師ナンテ呼ばれていることを知っている。とうの本人は酒を飲むと記憶が飛ぶだとかで翌日には平気そうな顔で書類を切った。尾形さんと初めて話した時は傍に鶴見さんがいたっけ、昔の事を思い出す余裕が出る程度にはこの保護活動も板に付いてきた。

「さっき杉元と何話してたんだよ」
「なんにも」
「来週どこ行くんだ」
「聞いてるじゃないですか」
「カマかけただけだ。やっぱり話してんじゃねえか」
「あなたに関係ありません」
「痣」
「え?」
「痛かったろ」

下を向いて歩く尾形さんにはわたしの不名誉な勲章が見えてしまっているらしい。夜目の利く彼は先程の嘔吐とは違ってゆっくり屈み込む。酔っ払って体温の上がった硬い指先が、壊れ物でも触るように足首から膝を撫ぜていった。吐きたいのはわたしだ。見上げた尾形さんは肘の打ち身にも気が付いて、上目遣いに眩暈がする。

「そんなに俺が嫌いかよ」
「嫌いと言うより面倒です。ほとんど話したことないし」

その上翌日にはこのやり取りも無かったことにされる。悲しいと言うよりは悔しかった。コンナ、大人として不出来な酔いどれにすら忘れられるわたしがどうして佐一くんと釣り合えると言うのか。
佐一くんはどんなに酔っ払っても、ヒトとしての尊厳は保ったまま自力で帰る。暴れる事こそあれど着信を乱立させるナンテ幼稚な真似もせず、真っ直ぐ(たまにフラ付いて)社宅に帰って翌日にはお詫びと言ってチョコレートを持って来てくれるのだ。
ソンナ姿が好きで、焦がれて今日まで生きているのにいつも水を差すのはこの男である。コイツはわたしの何だと言うのだ。

「本人のいないトコではナマエって呼ぶんですね」
「恥ずかしいだろ」
「馬鹿みたい。わたし、もう帰ります。良い大人なんですからさっさと一人で帰ってください」
「……いやだ」

ティーシャツの裾を掴んだきり尾形さんは動かない。顔色はいつにも増して青白く、鍛えているはずの腕がやけに細く見える。
濡れたような真っ黒の目玉が、街灯に反射してやけに艶っぽく見えた。いつも嫌味っぽく整えている前髪はバラバラに額に垂れて、これではまるで捨て子だ。

「尾形さんってわたしのこと何だと思ってるんですか」

どうせこのやり取りも週明けには無かったことになっているのだ。営業部の狙撃手こと尾形百之助はいとも簡単にアルコールの記憶を失くし、嫌味っぽく書類をメールで送ってくる。この前はどうも、などと声を掛けた所で事務員はお喋舌りが仕事でいいなとか鼻で嗤うばかりなのだ。

「どうしたらいいかわかんねえんだよ」
「ウコンでも飲めばいいんじゃないですか。それかそもそもお酒を控えるとか」
「じゃなくて、嫌われたくねえから」
「だったらもう遅いですよ。わたし尾形さんのこと結構敵だと思ってるし」
「書類ならいつも期日前に出してんだろ」
「ビジネスパートナーとしては可も不可も曖昧です。尾形さんが持ってくる案件って大きいけどイレギュラー多過ぎますし」
「気をつけるから、ナマエ」

置いて行かないでくれ、縋り付く彼はまるで親から捨てられた孤児のようにしている。どうせ彼には記憶が無いのだ。
憐れになって頭を撫でると、安心したように体重が掛かる。その様があまりに素直なものだから、道端だって言うのに止めることができない。

「これからはちゃんと最初から呼ぶから」
「別に良いですよ」
「杉元と上手くいくように手助けするから」
「自分でなんとかします」
「迷惑掛けないから」
「だから、大丈夫ですって」

だから、捨てないでくれ。馬鹿みたいに尾形さんが肩を震わせる。捨てるだなんて、そもそもわたしはこの人を拾ったことも無い。
街灯のせいなのか、尾形さんの目元はやけに光を含んでいて背徳的な気分になった。キット彼がわたしを見る眼球はわたしが佐一さんを眺めるソレと少しも変わらない。
腕にクッキリと尾形さんの手形が張り付いている。こんなにも彼は真っ直ぐなのに、多分わたしは薄情者だ。


20190914
( 20190917修正 )

back
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -