短編 | ナノ

時間はきっと戻らないし、夢はずっと叶わない


朝方に目が覚めて、隣を見たら彼が無言で仕事をしている。こういうのを見るのももう何回目だろう。最初に芽生えた感想を消すみたいに過ごしていて、やっと忘れたと思ったらこうだ。多分この人はいつも労働に支配されている。
瀬人くんに気付かれないように寝直すけれど、心臓はうるさいぐらい跳ね上がっていた。何回見ても慣れないなア、多分わたしはこの人のことを心の底から受け止められる程愛情深い人間ではない。

彼には夢がある。結構途方もない割には小さい夢だ。そしてそれは世の常に引っ掛かって叶う望みなんてもうない。
一人になったら瀬人くんが時間を戻す術を探しているのは知っている。小さいなアとか思いながら、でもこの人はとても勝気な奴だから本当はソンナものとっくに捨てているんだって考えていた。高い背丈は弱い心を隠すためだけにあって、それにわたしは毎日失望するのだ。

「おはよう」
「まだ眠い」
「寝る?」
「今日は買い物に行くんだろう」

覚えてたんだ。
街に買い物に出る時、瀬人くんは立派な用心棒になってくれる。別に誰かから狙われているわけでは無いけれど、要らないものを勧められて断れないわたしはいつも無駄な取引ばかりしてしまうから、スーパーにすら彼はついてきてくれるようになった。
二人で歩いていたら、たまにお付きの方ですかと話し掛けられる。こんなのを世話している奴隷と思われている自分が嫌いだ。頭が悪く見られてるだろうなアと考えては気色悪い感情に取り込まれる。

「今日は一人で行くからいいよ」
「また要らん物を買ってくるんじゃないか」
「使う分しか持ってかないし大丈夫」

瀬人くんは洗面台に敷き詰めるように並べた「怪しい水晶玉」を指差して言った。一丁前に批判してのけるけど、これを使えば過去に戻れるんじゃないかとか深夜に一人で試していたじゃないか。

「なんかいるものある?」
「コンビニ飯以外なら」
「おでん嫌いって街の人が知ったら笑うだろうね」
「馬鹿にするな」
「可愛いとこが好きなのに」
「ああ、そうか」

瀬人くんの、高飛車な見た目に似つかわしくないそういうところが好きだった。わたしはと言えば年収相応に安っぽい食べ物が好きだし、年相応に当たり障りの無い服を着ている。経験相応な仕事をしていて、場当たり的に流行り物に手を出すどうにもつまらない人間だ。
ただ美的感覚がオカシイところが瀬人くんのハートを射止めた要因らしい。わたしにとっては小さい頃から普通だから、どこがそうなのかなんてわからないけれど。

「ご飯だけ炊いといてください」
「洗濯はどうする
「まだ溜まってないからいいや。……瀬人くんって何でもお手伝いさんにやらせるもんだと思ってた」
「自分で出来ることは全てやる」
「へエ、そう」

いってきます、ドアの外ではやっと一人だ。
瀬人くんはわたしのことを離さなかった。童貞みたいに大切にして、本当は両手足の指でも足りないぐらいの女の人と遊んでる癖にわたしが一番だという。なんとなくそれは本心だろうなって自信があるのだ。だからわたしも彼を離せない(そうだ、愛されているから離せないのであって決して金目当ての下賤な人間ではないのだわたしは)。

スーパーまでの道のりは険しく、着いた頃には汗だくだ。過剰な冷房が肌に心地いい。家ではどんなに設定温度を下げてもここまで冷えないのに、一体何台クーラーを稼働させているんだろう。

「ちょっとそこのお姉さん、おひとついかがですか?」
「今日は洗剤を買いに来たので……」
「だったらこの新製品の洗濯機はいかがですか? 必要な洗剤が従来の(云々)」

( ここにサインをするんですね )
( 毎度ありがとうございます)

大金持ちの瀬人くんとは違って、わたしはローンを通さなければ家電ひとつ満足に買えない。繁忙期だから来週には届くんだって、と言ったら瀬人くんは、見たこともないくらい渋い顔をした。押しに弱い人間でごめんなさい。
お詫びのように買ってきたココアの新フレーバーを、できる限り丁寧に淹れても彼の機嫌は直らなかった。わたしのお金なんだからそこまで怒られるのも筋違いだと思う。

「いつかお前がどうしようもない人間に騙されないか不安で仕方が無いんだ」
「ごめんね、ありがとう。瀬人くんのこと大好きだよ」

そう言っていたらなんでも解決するのだ。


( わたしはどうしようもないことに巻き込まれた )


深夜にこっそり起きて、瀬人くんは考え疲れたみたいにグッスリ眠っている。よかった、今日は外に出られる。
辛辣なことを思っておきながら、わたしは瀬人くんのことが本当に好きだ。友達にはあんな男はどうのこうのと話すけれど、本心では何も知らない癖に批判しやがってと腹を立てている。
本当に好きなのはあなただけだから、わたしは何をしたって浮気にならない。浮ついているのはわたしの身体だ。

「彼氏はいいの?」
「寝てた」
「今日はドライブしようか。行きたい場所はない?」
「家?(わたしの)」

違う人と会いながらも、わたしの頭は瀬人くんのことでいっぱいだ。だからあんな、情けない部分なんて見たくないのだ。わたしの愛する王子様が弱くあってはいけないのだ。
三時間して家に帰ると、瀬人くんは生活痕を大いに残していなくなっていた。何回目だろうなア、その隙にバスルームに飛び込んだ。身体についた全部の証拠を洗い流しては涙が止まらない。こびりついた他人の汗とは違って、腫れた目蓋は簡単には片付かないのに。

「ナマエ! どこ行っていた!」
「散歩」
「泣く程嫌なことがあるのなら俺にも話ぐらいしろ」
「瀬人くんだって、わたしには何も言わないじゃん」

お互いの目蓋は恥ずかしい程醜く腫れていた。鼻も赤くて、まるで通夜終わりか別れ話の後の男女みたいで笑ってしまいそうだ。
瀬人くんの涙の理由を知っているように、彼も彼でわたしの嘘を見抜いているんだろう。

「ねエ瀬人くん、時間が戻ったらいいのにね」
「それだけは叶えられん」
「そっかー、そうだよなー。今日はもう寝ましょうか」
「悪かった」
「ごめんね」

時間が戻ったらきっとわたしはこの人に出会わないルートで、だけど記憶だけは引き継いでいたい。見たこともない笑った顔が大好きです。あなたが辛いのを堪えている姿を知っているのが耐えられないんです。

( 知っているから嫌悪感に耐えられない )

とか綺麗事を並べても所詮はひどい女だ。褒められないことをしているのに、瀬人くんはずっと優しい。
つり合っているんだ。大好きなのに嫌いだなんて感情はとても面倒臭いから、もしも時間が戻るなら最初からこの人のいやな部分だけしか知らないようにやり直したい。それから、この人を苦しめる過去の人間を過去ごと滅ぼしてしまいたい。


20190917

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