短編 | ナノ

「今から帰るけどなんかいる?」
「いらん」
「じゃあ何も買わんぞ」
「シーチキン」
「あ?」
「酒の肴にする」
「何飲んでんの?」
「お茶」
「ワンカップとビールどっちがいいの」
「どーせナマエはビール買ってくるじゃん」
「チェーンだけ外しといて」
「うん」
「煙草は?」
「いる」
「へい」

とはここまで画面上のやり取りで、尾形は当然のようにわたしの家にいるらしい。アイツが帰らなくなって数ヶ月が経つ。わたしの部屋には見る見る尾形の私物が増えて、増えて、ワンディーケーの住まいはいよいよ圧迫されてきた。冬は炬燵が欲しいナンテ先々の話をする癖にたまに外をフラリと出歩いては行き摩りの女を弄んでいるらしい。わたしも弄ばれていないかと言われたらそうでも無くって、当初はアレがたまに見せる冷めた目付きだとか、意味深な溜息だとかに心を悩まされていた。今でこそ踏ん切りが付いたのは自分が佐一くんを好きだって初心に帰ってからである。

「杉元?」
「うーん、秘密」
「いい加減諦めてよ」
「うるせえ」
「俺でいいじゃん」
「死んでも嫌」
「ナマエって文章だと男っぽいね」
「そういう貴様は文面だと可愛いな」
「(スタンプ)」

トボけたツラの猫ちゃんが画面上で踊っている。尾形の野郎がこの課金スタンプを吟味して、購入手続きを経ていたと考えると結構愉快で笑ってしまった。何を考えているか分からない、近隣でも有名な冷たい男である尾形のコンナ姿を見られるのは果たしてわたしだけなんだろうか。計算高いこの男の事だからあちこちで「アナタにしか見せない本当のボク」ナンテのを演じて腹の底では嘲っているに違いない。
そういう薄汚い思索も全部佐一くんに会ったら洗い流された。佐一くんはいつもまっすぐで、顔が良くって、瞳は煌めいていて、優しくって、可愛くて、明日子ちゃんが好きで、多分わたしが好きなのは素敵な男性に恋い焦がれる自分自身だ。佐一くんみたいな人を好きな自分が大好きなんだ。だから尾形の事はどうだって良い。

「あとどんぐらい?」
「2バス停」
「混んでるでしょ」
「そこそこな」
「早く帰ってきてよ。一人だとさびしい」
「気色悪」
「チェーンかけたまま寝てやる」
「すみません」

今こうしてやり取りしているのが佐一くんだったら好いのになア、家で待っているのも、一人を淋しく思っているのも、全部佐一くんだったら善い。そしたら多分わたしは毎日ビールを飲む事も、残業をする事も、好きでもない男と寝る事も無いのだ。ただ残念でわたしの家に待って寂しがっているのは瞳の死んだカケラの優しさも見せない好きでもない尾形である。そろそろわたしは現実を受け入れる心構えを持った方が良い。

「あとちょい」
「ピンポンしたら開けるよ」
「頼んだ」


ピンポーーーーン(呼び出し音)


うぃーーーーん(オートロックが開く音)


うぃーーーーー(エレベーターが降りてきて、上る音)


ガチャン(ドアロックに阻まれる音)


「案外早かったな」
「ドアロック外してって言ったのに」
「泥棒とか入ったら嫌だから」
「わたしが帰ってこられないのは嫌じゃないの?」
「割とどうでもいいな」
「淋しがってたくせに」
「黙れ」

本当に麦茶だけ飲んでいたらしく、尾形からはお風呂上がりのシャンプーの匂いがした。コイツはボディソープに至るまでうちに持ち込んでいて、お陰で狭いお風呂場まで侵食されている(わたしは生粋の牛乳石鹸派だ)。尾形はコンビニ袋を掠め取ると、矢継ぎ早にツナ缶を開けた。潔癖症なのかビールは口を洗ってマグカップに注いでいく。

「ジョッキとは言わんがグラスぐらい買え」
「家から持って来たらいいじゃん」
「自宅では飲まん」
「じゃアさっさと外行って飲んで来たらいいじゃん。バーで女の子でも引っ掛けて」
「気分じゃねぇ」

さも当然のように尾形はソファに陣取っている。決まって左側を空けて、ポンポンと叩くのでギチギチに座るのだ。ソレを確認すると奴は満足気に席を立ち換気扇の下で煙草を吸う。その隙にスペースを取ると決まって不服そうな顔をして、恨みっぽく床に座るので左に詰める。
ルーチーンになったのはいつからだろうか。尾形は毎日、つまらなさそうな顔をしながらも楽しそうにしていた。ソンナ顔を見せられるとわたしのかばかりに遺った良心が傷むのだ。

「来週ね、佐一くん来るから帰って」
「杉元だけか」
「……明日子ちゃんも。あと白石」
「仲間外れとは悲しいもんだな」
「尾形って佐一くんと仲悪いじゃん」
「まあな」
「佐一くんと二人だったらいいのになア」
「百之助っていつになったら呼ぶんだよ」
「長いから一生無理」
「百ちゃんでもいいぜ?」
「気色悪い」
「じゃあ百くん」
「気味悪い」

尾形の顔が近付く。コンナ、ムードの無い白熱灯の下でいつも始めようとするから疎ましい。わたしは本当は、本当は多分佐一くんとそういうコトをしたい。でもいざとなったらコイツの顔を思い出すんだろう(コレが条件反射とか刷り込みとかいうヤツだ)。

「ナマエ、お前杉元の事アイドルか何かと勘違いしてんだろ」
「佐一くんはちゃんとわたしの好きな人だよ」
「誠意がねぇんだよ。だったらどうして俺の隣にいる」
「あー、アイドルなのかもね。ただの偶像で」

わたしはキット、尾形で妥協しなきゃいけないンだ。尾形は文字通り淋しそうにわたしを見ている。虹彩は黒くって深くって、何かに取り憑かれたみたいに尾形の事が尊く思えてくるわたしは意思が弱い。神様、どうしてわたしは明日子ちゃんではないンですか。
白熱灯に照らされながら行うキスは麦の風味がした。心底もこの男に侵犯されていて、このまま済し崩したように尾形の事しか考えられなくなるンだ。隅っこにチラ付く佐一くんの面影を毛布に被せて、冷たい部屋には自分の吐息が響いている。


20190731

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