短編 | ナノ

昔人を殺したことがある。刺したり、突き落としたりした訳では無く、二回目だった。もしかしたら二回では済まないかもしれないが後にも先にもあんなに後味の悪い経験は無い。未来だけを見ているのでは無く過去から目を逸らしたいだけなのだ。


煉獄の虚夢


俺と同い年の女はいつも焦点の合わない目付きでケタケタと笑っていた。傍目には明るく社交的に映るようで、じっくりと感染するように、身の回りの人間はいつもミョウジさんミョウジさんと話している。

「瀬人さん、明日時間ある?」
「俺に暇な時間など無い」
「あーあ。土の中のお父さんに会わせたかったのに」

女の素性を知るには時間はそう掛からず、呆けの仮面を被ったこの狂人が少しずつ俺の生活を蝕んでいるのではと背筋が凍った。昔人を殺したことがある。あの頃の自分は我ながら気が違えていた。

「海馬くん! 筆箱忘れちゃったから鉛筆貸して?」
「貴様にやる」
「ありがとう! 洗って返すね」

と言うのにミョウジは一向に俺を殺そうとも、それどころか嫌う素ぶりすら見せなかったのだ。まるで白痴のように無為な愛想を振りまいては特定の友人も作らずにふらふらとしている。筋の通らない話し口はそのうち周りの人間から疎んじられ、高校を卒業する頃には彼女の周りには誰もいなかった。

「昔のミョウジさんはもっとまともだったのにね……」
「仕方ないよ、お父さんが……ほら」
「まともに見ちゃったんでしょう? 中学は不登校だったのってそれが原因だとか」
「申し訳ないけど今のミョウジさんは……ねえ」

女の父親は俺が殺した。

「おい、この後時間はあるか」
「瀬人? わたしはいつも何にもないけど」
「飯でも食いに行くか」
「それってデート? 海馬さんってわたしのこと好き?」
「おこがましい事を言うな」

ならば俺以外誰が償うと言うのだ。ミョウジは俺のことを知らない。墓前に連れて行こうと誘い出したことなど無かったかのように、毎日食事を摂りながらいもしない父のことを話すのだ。コレクター、小金持ち、家族想い、当時は気にも掛けなかった中年の影が俺を恨めしそうに追い詰める。ミョウジは飽くまで楽しそうにデタラメを口走る。

「ミョウジ、俺と付き合わないか」
「なんで?」
「貴様の為に身命を賭しても構わんと思ったからだ」
「アハハ、瀬人さんがそう言ってくれるナンテ嬉しい」

ナマエの学費も生活費も就職先も総て手配した。罪滅ぼしのつもりがいつしかナマエが傍にいなければ気が狂いそうだったのだ。貶められるのが恐ろしい、と言った自分本位な感情はいつしか消えて、ひたすらこの女の幸せを祈っている己が薄気味悪くもある。ナマエは順風満帆に、最近は父親など元々存在しなかったように振舞っている。それが後ろ暗くもあり安らぎでもあった。

「海馬くん、わたし病院行きたい」

この頃にはすでにナマエは無くてはならない存在で、原因を作ったのは自分であると言うのに少しでも健全に真っ当に生きて欲しくなっていた。最近ナマエは深夜に目を覚ましてはひたすら俺を眺めている。何もせず、死んだようにぼんやりと俺を見たまま宵を明かして仕事に出る。帰宅して談笑し、食事をして風呂に入って眠りに就き、それからまた午前4時に決まって目を覚ます。いよいよナマエは壊れてしまった。

「日記消した?」
「何の話だ」
「あと録画も」
「身に覚えが無い」

ナマエの目に映る俺は夜な夜なこの世の果てのように、辛そうに何かを叫んでいるらしい。そうなって欲しいと言う彼女の願望なのだろうか、だとしたら俺一人がもう一度精神を崩壊させたら満足なのだろうか。

「頼む……ナマエ」

一生かかっても償えない事をした。そもそも俺なんかがナマエを幸せにしてやろうなど、考える事から傲慢だったのだ。
ナマエは腕を振り払ってドアに走る。どう転んでも想像できるのは首を吊るナマエ、手首を切るナマエ、密室で呼吸を止めるナマエ、炎に抱かれるナマエ、俺を許さないまま死ぬ姿が浮かんでは消えて行く。

「行かないでくれ」

呼び名は話す都度に変わっていくし、ありもしない話だけで夜を明かすし、視点はいつも定まっていない。数年時間をかけていない人間のことは口走らなくなった。ならばあと数十年あれば元に戻るのではないだろうか(希望的観測であることは百も承知だ)。

「俺のことがわかるか」
「わたしのお父さんを自殺させた人」
「ああ、そうだ。それでいい。……ナマエ」
「瀬人くんどうしたの?」
「俺の一生で釣り合うか?」
「瀬人がわたしの家族になってくれるなら」
「一生許さなくても構わん。頼むからどこにも行かないでくれ」
「アハハ、瀬人くんがそう言ってくれるナンテ嬉しい」

その時初めてナマエは俺を見た。眼球に映る自分は酷く狼狽していて、償いなどでは無く単純に彼女を喪うのが耐え難いだけなのだと気付いたらあまりの情け無さに笑ってしまった。



20190326

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