短編 | ナノ

わたしは普通のおうちが欲しかっただけなんです。


懐劫



「義母?」
「そうなんですよ」

瀬人くんはコーヒーを不機嫌そうに飲み干した。応接室に一挙手一投足が拡がって、次に反響するのは溜息だ。彼は大袈裟に椅子にもたれ掛かったけれど、良い品は軋む音すら立てない。
海馬瀬人は忙しい人間なので、一連の動作に割いた時間を取り戻さんばかりの勢いでキーボードを叩き始めた。気のせいで無く打鍵には力が篭っているけれどコンナ事が気に掛かる程浅い付き合いでは無い。

「何故それを俺に話すんだ」
「だって瀬人くん得意分野じゃん、義理の親との不仲」

器用なもので、画面に向かいながら彼は一瞥もくれず不機嫌そうに吐き棄てる。わたしの台詞はそれはそれは癪に障ったようで、彼は返事をしなかった。

「昔は優しい子だったのにすっごく陰険になったらしいじゃん? そんでその次は今みたいに高飛車になるんだから、どうやって気持ち切り替えたのか教えて欲しくてさ」
「………」
「短期間で人格矯正みたいな? なんか悪化してる感じもするけど」
「…………」
「わたしももう半周ぐらい振り切れたら多分あの義母サマともうまくいきそうなんだけど」
「……………」
「ねエ、何があったらソンナに性格変えられるの?」
「………」
「ねえ」
「……それが用か?」

痺れを切らした瀬人くんがようやっと、負けたみたいに振り返る。その間にもケエタイはチカチカ光るしディスプレイの通知も引っ切り無しだ。

「違うけど?」
「ならば何が目的だ」
「昔馴染みとのお喋舌り」
「悪いが貴様の義母といった会った事も無い人間の愚痴に付き合う程暇ではない」
「男の人ってのは女の子の愚痴を話半分で頷いてあげるだけでモテるんだよ」
「時間の無駄だ」
「じゃあ株の話する?」
「素人とビジネスの話をして喜ぶのは成金だけだ」
「成金と何が違うの?」
「……勝手に喋ってろ」

とか言うとまた画面に戻って、たった数十秒の間に溜まった仕事の解決にデスクに向かう。キーはさっきよりいくらか柔らかく叩かれているのに、瀬人くんの苛立ちなのか何なのか判らない雰囲気は増していく一方だった。会話が続かないが口は動かしたい。
品の塊のようなフィナンシェはバターが多過ぎて、野菜とか食べたくなってくる。瀬人くんっていつ食事しているんだろう。いつも昼間に訪れているのに出てくるのは痛風になりそうなお茶菓子ばかりだ。

「わたしにも兄弟がいれば変わったんかねー」
「そんな事で変わるような性分ではなかろう」
「義母じゃなくて義弟が欲しかった」
「そう言う話は旦那にしろ」
「それこそ義母じゃない? 今から弟作ってーって」
「だから」
「義理の兄は絶対嫌。こじれそうだし」
「随分と自信があるんだな」
「何勘違いしてんの? 義兄のお嫁さんと仲良くなれそうにないって話なのに」
「どの道貴様のような奴と仲良くなれるような人間などおらん」
「旦那サマがいるけど」
「そうか。ならばその旦那様とやらと話せばよかろう」

指輪にくっ付くゴテゴテしたダイヤモンドの原料は瀬人くんのポケットマネーだ。ご祝儀袋の中は紙ペラ一枚かと思ったら、常識外れな程無数のゼロが並ぶ小切手が入っていたのである。わたしと夫の一般的な結婚式に、瀬人くんはマナー通りの黒いスーツに白のネクタイを結んで参列してくれた。新婦側の友人席は瀬人くんとそのお付きの人だけで埋まっていて、その頃から配偶者が余所余所しい。

「瀬人くんはわたしの唯一の友達なんだから、そんな、突き放したみたいにしないでよ」
「突き放すのも友情だろう」
「瀬人くんが友情とか馬鹿みたい」
「貴様に友人呼ばわりされる方がよっぽど馬鹿馬鹿しいわ」
「友達のこともっと大切にして」
「大切にしただろうが」

何年経っても何があっても瀬人くんは昔からわたしと友達でいてくれた。昔変な約束をしたのだ。大人になっても友達でいようとかそういう類の、幼児の戯言も無碍にしない根は良い人だってところはあの頃から変わっていない。

「約束守ってくれるなんて素敵ね」
「貴様には破られたがな」
「破ってないよ。だってわたしの唯一の取り柄なんだから! 大企業の社長と幼馴染って」
「たまたまだろうが」
「イカサマまで使って養子入りしてたまたまはないでしょ」
「運が良かっただけだ」
「瀬人くんにしては謙虚だね」
「俺がただの会社員だったら友人付き合いも辞めていたのか?」
「うん。友達じゃなくて夫婦になってたと思う」
「馬鹿馬鹿しい」
「前も言ったけどわたし普通の家が欲しかったの」
「夢が叶ってよかったな」
「あ、お誕生日おめでとう」
「覚えているではないか」
「何の話かわかんない。じゃあまた明日」
「ああ」

古い約束を守ってくれているなんて思ってもいなかったのだ。××歳になってもお互い一人だったら結婚しよう。そんなのがまだ有効だったナンテ思っていなかったのだ。教えてくれたら良かったとか、知らせてくれたらこんな思いしなくて済んだのにとか、今からでも間に合うんじゃないかとか、そういうのが頭の中でごちゃごちゃになって瀬人くんから嫌われようと努めてしまう。
もし嫌われて、友達でなくなるならばあの約束だって最初から守られることは無かったと諦めが付くのに瀬人くんは訪ねるわたしを拒まない。約束を破った代償は一生残る後悔なんだろう。


20190307

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