短編 | ナノ

朝方の静けさとか、張り詰めたような新鮮な空気とか、そういうのが好きだから変な時間に目が覚める。生活リズムの一部分になって今更安眠も出来なかった。隣ではテルミさんが死んだみたいに眠ってる。長い睫毛が伏せられていて、口はへの字に閉じていて、話し掛けたら、んー、とか返事にならない声を上げる。家にいる時の彼はフードを取り払うのだ。キット誰も見たことのないテルミさんの素顔は結構キレイだ。わたしはこの朝方にだけ、テルミさんに有りっ丈の褒め言葉を話している。起きているテルミさんにはなんにも言ってはいけないのだ。


N氏の憂鬱


この人は机に向かう時だけ眼鏡をかける。特段目が悪いとかブルーライトに気を遣っているとかではなくって雰囲気が出るからだとか言っていた。逆立てた髪の毛に胸元のボタンを何個も開けた服の着こなしで、だけれど真剣な面持でペンを握る姿は相反して真面目に見えるのだ。素敵だなあとか言ってはいけない。この人は、人から憎まれていないと途端に弱くなってしまうんだという。愛されようものなら姿形も保てなくなるんだって説いていた。だからわたしは体裁上でもこの人にできるだけ冷たくしている。つもりなのだけれどその実、甘えたり応えてもらったりやっていることは普通の恋人達と変わんなかった。

「テルミさーん、ちゅーして」
「引っ付くな! 溶ける溶ける」
「ちゅー」
「マジウゼェわ。帰れ」
「ここわたしの家だよ」
「じゃあ出てけ」
「ここわたしの家なんだって」
「あーもう分かったわかった」

ベッドに座るわたしを押し倒して、テルミさんは噛み付くみたいにキスをした。強引に口に舌を捻じ込んだかと思うと絡めた舌に思い切り形容ではなく噛み締めて、痛みに喘ぎ声を上げるとニヤリと笑って唇にも噛み付くのだ。わたしは結構このキスが好きだった。マゾヒストなのかもしれない。この人はどこまでも意地と性格が悪くてサディストだった。わたしは多分テルミさんに作り替えられてしまっている。

「これで満足だろ」
「痛かった」
「好きなくせによく言うわ」

どうしてこうなってしまったんだろうなアとか真剣に考えることがよくある。最初はただのお隣さんだった。寮に住むのがなんとなく嫌で、学校から少し遠いところにアパートを借りて、長らく空いていた部屋が埋まったのだ。挨拶をしても返さない怪しい男はある日突然うちのチャイムを鳴らした。お腹が空いて死ぬかもしれないと高圧的な態度で言ってきて、余り物のシチューを与えたところから色んなことが始まる。ナマエちゃんのこと好きかも、とか他人事みたいに言われてそれから意識し始めました、とかいう月並みでラブコメみたいなお話だった。ただ違ったのは彼がどこまでも不審人物ということだ。

「テルミー」
「呼び捨てってムカつくわ」
「テルミくん?」
「気色悪!」
「ユウキさん」
「呼ばれ慣れねぇ」
「テルミさん」
「大人しくそう呼んでろ」

テルミさんからするなら問題ないみたいで、この人は好きな時にわたしにキスをしたり抱き締めたり好きだって囁いたりした。それがなかったら恋人というにはあまりに冷めていたかもしれない。わたしはいつもジレンマに悩まされている。テルミさんが甘えてくるのをあしらうことしかできないのだ。とか言いながらやっぱりわたしはテルミさんに甘えている。褒め言葉とか愛してるとかわかりやすいことは彼が眠っている間しか話せないけれど、頭を撫でてみたり笑ってみたり、やっぱり考えている程わたしはテルミさんに気を遣っていない。

「なー」
「ん?」
「痕つけていい?」
「うん」
「やっぱやめた」
「なんで?」
「嫌がることがしてぇから」
「じゃあ嫌」
「しねーよ」

テルミさんは滅多にうちに来なくなった。嫌がることがしたいとか言って、トリニティと一緒にいることが多くなった。満更でも無さそうな彼女を見ていると胸の奥に真っ黒な塊が出来ては膨張していくのを感じる。二人はなんにもないってのはわかっているけれど、トリニティはテルミさんに優しくしていて、それを見ていたら羨ましいような妬ましいような、胸のうちがヤッパリ真っ黒くなっていく。
泣きながらやめてって言ったらテルミさんは嬉しそうに笑った。わたしの愛情表現は次第に嫉妬しか無くなっていって、テルミさんはますますわたしを放ったらかしてしまうのだ。こんな面倒臭い女ナンテ見限られて当然だとはわかっているけれど、あなたから好きだって言ったんじゃないかとか思い始めるとイライラしてしまって、わたしはテルミさんを褒めるようになった。好きだって口に出すようになった。朝方目が覚めるとテルミさんを揺さぶって、大好きとか、キスを仕掛けるとか、わたしの物ですと言わんばかりに首筋を鬱血させるとか、もともとしたかったことを思い付く限り彼にぶつけている。

「テルミさん、今日もかっこいい」
「いつでもかっこいいっての」
「ねエ、わたしのこと好き?」
「当たり前だろ。分かりきったこと聞いてんじゃねぇよ」
「帰らないで」
「帰るわ」

お昼ご飯を食べに外に出ると、トリニティとテルミさんが二人で一つのデザートをつついているところを見つけてしまった。動揺するわたしをテルミさんはニヤニヤ眺めている。その日はテルミさんの部屋に押し掛けた。どうしてどうしてとわたしはテルミさんに縋り付くみたいに泣いている。彼はわたしを抱き締めて背中を撫でながら、早くどけと楽しそうに笑うのだ。
早く消えてしまえ。
あなたのことが大好きなの、愛しているの、とか歯の浮くような台詞が口をついては出てきた。片時もテルミさんから離れずにいた。ちょっと前だったらこんなことをしたらこの人は顔を真っ青にして拒絶したのに、わたしの腹が真っ黒くなってからはむしろ嬉しそうにしている。テルミさんが弱くなったとか、消えかけているとかそういう話は全く聞かない。そもそも愛されたら消えてしまうだなんて嘘八百もいいところだったんだ。ソンナ変な体質があっていいわけがない。

「テルミさんの嘘つき。全然消えない」
「俺様は嘘は吐かねぇよ」
「じゃあどうして?」

何週間も経った朝方の部屋で、わたしはテルミさんを起こしてキスを求めていた。当然のように応じた彼は毒みたいに甘く口付けて、それがまるで幸せの絶頂期の恋人のように思えてゾッとした。

「ナマエちゃんが心のどっかで俺のこと憎んでるからだろ」
「だからあんなことするの?」
「じゃねぇとマジで消えちまうし」

あア、ソンナに単純なことなんだ。わたしはテルミさんに作り替えられてしまった。この人のことを愛している筈なのに、反面不幸にならないかと心底願っている。わたしを裏切るテルミさんなんかいらないと思い始めている。
けれどわたしの依存した気持ちがテルミさんを嫌いにさせない。歪んだ愛情は呆れるぐらい真っ赤で、黒に混ざって汚く濁っていった。


20151114

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