短編 | ナノ

わたしはいつも画面の向こうに思いを馳せている。馬鹿馬鹿しい、バラエティもドラマもニュースもディスカバリーもすべて羨ましくて仕方ないのだ。でも本当は深夜の衛星放送の主人公になってみたい。



「星占いしてぇから誕生日教えろ」
「そんなのできたんですか?」
「できない」
「変なの。どうせ誕生日にパイをぶつけたいとか考えてんですよね」
「馬鹿じゃねぇの? 誕生日に生まれてきてくれてありがとうって言いたいだけ」
ふーん、わたしは聞き流す。あんまりこの声を聞いていたら、頭の中で夜な夜なありがとうと賛美が流れ続けそうで怖かったのだ。



「腹壊してんのか?」
「はい」
「女の子の日?」
「なんで」
「ナマエのは全部頭に入ってんだよ」
「きもちわり」
「冗談。スカートに経血ついてんぞ」
「ぎゃっ」
その日わたしはジャージで過ごした。



この街は変な人しかいない。みんなみんなつまらないなりに生きていて、わたしだけが唯一取り残されたように不真面目だ。あア、枕から変なにおいがする。洗濯物を干したら近所から飛んでくる砂に全部やられてしまうことをわたしはまだ知らない。



「ナマエの家ってさ」
「きたないですよ」
「違う、カビ臭そう」
「変なにおいはします」
「女の子って全部リンゴの果汁みたいな汗流すと思ってたわ」
「一昨日の残り物にあたって脂汗かいてるだけです」
「それってハザマちゃんも?」
「さア」
めずらしくテルミさんはそれ以降話し掛けに来なかった。わたしはというとつまんない嘘に呑み込まれていたので都合は良かった。



「海行こうぜ」
「いや」
肌なんて露出したくないのだと言うと、俺もと言って腕捲りを直した。スーツの袖口は黄ばんでいる。ダンサーのように翻ったテルミさんのクシャクシャになったネクタイが目の中に入って、ぼろりとコンタクトレンズがおちた。



手紙を書こうと思う。愛しいハザマさん、夜勤と嘘を吐いて朝まで繁華街に入り浸るハザマさん、食前に胃薬を飲まないと体調を崩すハザマさん、素敵なあの人は文字が読めるのだろうか。



けたたましいサイレンに意識が吸い込まれていく。金網でできた橋の近くで生まれ育ったわたしは騒音をきくと眠くなるのだ。子守唄と絵本の読み聞かせは爆音だった。
「ナマエさん、ナマエさん起きなさい」
「はい?」
「避難訓練ですよ」
「ハザマさんとここで死にます」
「そうしましょうか」
そしてわたしたちは死んだように眠る。



拝啓、ハザマさま
わたしがいつもくだらない嘘で呼吸していることをご存知ですか。一度だってわたしはあなたのことを考えない瞬間はありません。あなたの煌めく笑顔を、宥めるような眼差しを、低音溢れる声色を、思い出すだけでわたしの胸は刃物に貫かれたように鋭く痛みます。どうか帰って来られますように。わたしは、寂しくてさみしくて哀れで仕方ありません。敬具。
追伸、全部嘘。



どうせ人形だから、と廊下でテルミさんはイグニスにボールをぶつけて遊んでいた。
「あア、あほらしい」
「楽しいぜ」
「虐待です」
「こいつって鉄とか食べるんだとよ」
「ふーん」
「ナマエと同じだな」
「そんなばかな」



前略、ナマエ様
貴女の気持ちはよく理解出来ました。私も貴女のことを片時も忘れることは御座いません。しかしながら私どもは一度腹を割って話し合う必要がありそうですね。不一。
追伸、テルミさんと喋舌るのはおやめなさい
注釈、ハザマ氏多忙の為代筆による



年に二回でいいから空を飛んでみたい。キットたいそう清々しくて、少しばかり恐怖心が付きまとうのだろう。
「あ、ナマエちゃんだ」
「あ、テルミさん。人参ならありませんよ」
「知ってる。休憩中に囓ってたよな」
「見られてただなんて末代までの恥だ!」
「それより俺様と喋舌ってていいのかよ」
「サボりじゃありませんから、ホラ、手はしっかり動いてる」
「手紙の代筆俺様なんだけど。ハザマちゃん怒ってたぜ」
その日わたしは恥ずかしくてはずかしくて空を飛んだ。キットわたしの奥ゆかしい手紙はテルミさんに朗読されたのだ。デパートの屋上から見下ろした世界は案外小さくて、こんな狭い世間なら飛ぶ必要も無かったと後悔しながら気を失った。



遺言
ハザマさん、ハザマさん。先日わたしは蛇足をしました。全部嘘だなんて追伸まったくの出鱈目だったのです。わたしは知っての通り恥をかくことがこの世界でいちばん恐ろしいのです。だから、ハザマさんにわたしの真実の告白が知れること、それによって嘲笑か失望されることを何よりも恐れたのです。ハザマさん、ハザマさん。わたしの少しばかりの財産は総て貴方に差し上げます。どうか美味しいものでも食べて、夜の街からは卒業なさってください。
追記、わたしは嘘吐きです。



目が覚めた先は天国では無くかと言って地獄でも無かった。わたしは確かに空を飛んだのに、目の前には膨大な資料が積み重なっている。これがわたしの罪なのか。日付は翌日だった。
「夢を見ていたのかも」
「あー、また俺様に話し掛けてる」
「若しかしてハザマさんは手紙を読んでないの?」
「黒山羊さんは読まずに食べた」
「はアー……がっ、げほっ」
物憂げに溜息を吐いたつもりが咳き込んでしまって、それを見てテルミさんは指をさして笑った。わたしはちょっとした恥には動じなくなっていた。



勧告
ナマエ様、私はもう限界なのです。貴女さまが自死未遂を起こす程私の不貞行為(と呼ぶに値するのでしょうか。これは単に代金を支払い相応のサービスを受けているに留まるのです)に悩んでおいでなのは重々承知しておりますが、しかし、私も常日頃苦悩しているのです。私も本当はあんな事はしたく無いのです。今晩ゆっくり話し合いましょう。私の言い分をご理解頂けないならばわたくしは、貴女の恋人を辞退します。
追伸、手紙を書く時間ぐらいある。



夕方になるとまだ家に帰られないのかとソワソワして仕方が無い。勤続三年一度も寄り道をせずに帰宅している。酒も煙草も賭博も性行為も、おおよそ成人に享受されるべき娯楽に一度も手を付けていないのは、自分がまだ大人になったことに納得していないからだ。いつまでも清らかでいたいとか、いなければならないとか、宗教的な事態は何も無い。怠惰なわたしだからそれらに手を付けて嵌り込んでしまうことを懸念してのことでもある。のを、どうして彼は分かってくれないのか。



「溜まってるの?」
「知識だけは一丁前ですね」
「最後に抜いたのいつ?」
「はしたない、やめて下さい」
「絶対嫌です、どいてください」
「では訴訟も辞さない覚悟ですので」
デートディーブイというらしい。ただその日のことは別段不快でも無かった。ソンナ自分が少しオカシクて、明日から大人になることを自覚するといくらか悲しい気持ちになる。
話し合うとか言いながらハザマさんは帰ってくるなりわたしを押し倒した。帽子もネクタイも全部そのまんまで、しかもベッドではなくてソファの上で、そして電気も点いたまんまだ。失望した。そんな中でもわたしはしっかりエーヴイ女優みたいに喘いでしまったのだ。



「つまんねえ」
「ごめん」
「つまんねー」
「ごめんって」
「結構頑張って邪魔してたのによ」
「もう会えないの?」
「別にそんなわけじゃねぇけど」
「なーんだ」
「ハザマちゃんのこと好き?」
「はい」
「お前って嘘吐き?」
「打率四割ってとこです」
「悪い女だわ、マジで」
ダブルスタンダードだ。嘘も何も、わたしは自分のことをよく知らない。浮気になんだろ、とか言われながらわたしはテルミさんの腕の中に潜り込んでそのまま寝た。



「おはよう、腕痛くなかった?」
「ナマエさん、目ヤニがついていますよ」
「取るから離して」
「カタワにでもなってくれたら悪い虫も寄り付かなくなりますかね」
「怖い」
「私といる限り無理ですか。どうにかならないものですかね」
結構上手いこと物事が運び始めた。あれから毎晩ハザマさんは仕事場から直帰して、セミダブルベッドでくっついて眠っている。それは幸せそのもので、テルミさんがつまんないとか悪態をつくのもしょうがないなあと少し思う。



がぶり。
「痛い! 痛いいたい!」
「暴れんな、じっとしてろ」
「痛い!」
「はい終わり」
「痛かった……何なんですか」
「宣戦布告」
ニヤリと笑って歯型を指先でなぞられた。あー、きっと青痣になってしまう。いつ治るんだろう。



親愛なるハザマさまへ
暫く帰りません。夕飯はカレーを、数日分用意しております。帰って来た頃にはどうか全部無くなっていますように。最近友人から、お前は嘘吐きだと決め付けられます。彼にとってはキットその方が都合が好いんです。ハザマさん、貴方はわたしが嘘吐きに見えますか? そうだとしたらどうしますか?
貴方の愛するナマエより



「痛い。また噛んだ」
「人間になるには人間の血を吸わなきゃいけねーんだってよ」
「じゃあテルミさんの血を吸ったら何になるの?」
「共犯」
「なんだそれ」
血が出るまで噛まれたことはない。首筋ならまだしも肩って結構皮が厚くできているのだ。顔の皮もわたしは厚い。ああ情けない。



早く寝なきゃいけないのに寝付けなかった。夢を見たいのに。ハザマさんとかテルミさんとか考えなくていいようないい加減でめちゃくちゃな夢を見たいだけなのに。その日の夢でわたしは空を落ちていた。地面に叩きつけられて五臓六腑がぐちゃぐちゃに飛び散っても夢は醒めなかった。現実だったのかもしれない。



ナマエへ
貴女をテルミさんに取られるぐらいならば(手紙に使われたメモ用紙は何者かに破られており、以降の文章は不明)



手紙が来ない




「お迎え?」
「( コクリと頷く )」
「待ってた」
「( 頭を撫でる )」
「そんな服持ってたんだね。すごく普通です」
「( 緑のパーカーのポケットに手を突っ込み苦笑する )」
「どっちですか?」
「( 首を傾げる )」
「じゃあ選ぶ」
「( 頷く )」



人間になりたいって言いながら、気になる女の子にちょっかいを出したり邪魔をしたり誰よりも人間らしかった人と、取られたくないとか言いながら野放しにして、肝心な時にだけ餌をくれる愛しい人と、わたしはどっちといても楽しかった。長い夢から醒めたみたいな気持ちだった。たぶん臓器をぶちまけたわたしが現実のわたしで、こっちが夢なんだろう。だとしてわたしは結構シビアにいこう。
どっちの名前も呼ばなかった。もうどっちも傷付けたくはなかったし、嘘を吐き過ぎてどっちがいいとか、そもそもどっちかを本当に好きだったのかとか、わからなくなっていた。
後ろからわたしの名前を呼ぶ声がしたけれど振り返らない。深夜にやっている、予算の少ない恋愛ドラマの主人公になったみたいな気分で、ちょっと嬉しかったのだけは本当だ。




20150907

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