短編 | ナノ

埃と混じってほんのりハザマさんの匂いがする。毛布を洗っても取れないぐらい、ハザマさんはうちに入り浸っていた。


奇怪島


わたしの生まれた場所はあんまり文化が通っていなくて、今でも秋祭りとか夜伽とか、そんな類のものが蔓延っていた。絶対に近付いてはいけない祠があったり、土地神様を本気で信仰していたり、表面上は何丁目とか整備されているくせにやっていることは大昔の村と何にも変わらない。
わたしはその年の生贄に選ばれていた。神社の裏山にぽっかりと口を開けた洞窟の中に手足を縛って押し込められて、そのまんま死ぬまで神楽を詠い続けるとかいう馬鹿みたいな風習だ。早く廃れてしまえばいい。
名誉なこととはいうし、選ばれることを心待ちにしている友達が多くて言い出せなかったけれど、わたしは神様とか、仏様とか、そういった目に見えないものを一つも信じられずにいた。儀式は八月の三十日にあって、一日一日近付いていくうちに怖くなってわたしは逃げ出したのだ。

「寒い、怖い」
「そこのあなた、ここは立ち入り禁止区域ですが」
「人だ! 助けて!」

マネキンみたいな白い人形が山積みになった恐ろしい場所で、雰囲気に似つかわしくないにこやかな男の人は物陰から現れた。動くものを見たのは久しぶりでわたしは年甲斐にも無くわんわん泣いて、男の人はなんだか迷惑そうな顔をしながらも異常なわたしの頭を撫でてくれた。状況を説明しても男の人はいまいちわかっていなかったけれど、帰る場所がないわたしを匿ってくれたのである。


器械島


「あれから三年ですか」
「今でも八月末って生きた心地がしない」
「あなたの生まれ故郷、先日の災害に巻き込まれて無くなったそうですよ」
「ふーん」

大きな爆発が起こったらしかった。その時間わたしは統制機構のハザマさんの部屋で寝ていて、起きたら大騒ぎだった。勝った勝ったと号外がばら撒かれていて、あーあ、わたしの生まれ故郷ってどうなるんだろうと少しだけ気になった。けれど特段帰る予定も無かったし、もう追われる夢にも魘されないで済むと思ったらその夜は昼寝を物ともせずぐっすり眠れたのだ。
薄情かもしれない。けれどわたしには、土地神様を信仰する連中は親も含めて一人残らず敵というか、人間じゃない何かみたいに見えていたのだ。洞窟の中がおびただしい量の白骨屍体で足の踏み場も無いことなら知っていた。あの生贄達も地面ごと抉り取られてしまったんだろうか。

「そういえば、あなたの出身地って何を信仰なさっていたんですか?」
「タケミカヅチサマとか言ってた」
「それは笑えますね」
「どうして?」
「いいえ、こっちの話です」

目に見えないものは信じられないけれど、ハザマさんは緑と黒の妙なデザインの鎖をよく空間から引っ張り出していた。遠くにある物を取るときとか、ドアを閉めるときとか、タケミカヅチサマはどうやらハザマさんの鎖と似た物らしかった。内緒で覗いた資料の中には黒と赤の禍々しい土地神様が描かれていた。主成分とか動力源とか、制御方法とかが事細かに載っていたものだから、わたしの無神論は更に強固なものになっていった。


機会島


そろそろ自立のし時だというのに、いざハザマさんの住む部屋を離れても毎日この人と顔を合わせている。今度はわたしの部屋にハザマさんが住む番だった。服とか歯ブラシとか、二人暮らしを想定していない部屋は物に溢れている。なんか新婚さんみたいですね。

「今日お店に残党が来たの」
「あなたの出身地の方はおりましたか?」
「ううん。話してみたらそんな場所知らんって、世間って広いね」
「もしかしたら最初から無かったのかもしれませんね」
「あったよ、住んでたし」
「偽の記憶を植え付けられているのかもしれませんよ」
「非科学的だ」
「この階層都市の名前、日本神話の神が由来しているそうです」
「神話っていうより昔話でしょ。アマテラスとかイザナミとか」
「あくまで目に映るものしか信じられないのですね」

そう言ってハザマさんはテレビのリモコンを例の鎖で取り上げてチャンネルを変えてしまった。わたしには目に映るものが全てでそれは今でも変わらない。ただことこの件に関してはハザマさんが全てだっていうわたしの心情が如実に現れているだけで、もしこれを通行人が使っていたら見てみないふりをするか理屈を問い質しているだろう。術式とかいうのは結構科学的で、仕様を調べると中々面白かった。いくら目に映らないものが信用できないからって、分子とか電子とか魔素みたいなハナから見えない粒子まで気にするほど几帳面ではない。


気海島


こっそりレリウス大佐の研究室に忍び込んだのはそれが初めてではなかった。大佐の本棚は人類の謎解きの種が詰まっていて、不思議なことが不思議ではなくなる快感を一度味わうと引き返せなくなってしまったのである。知識欲の塊だ。閉鎖的な村で育つと、外の世界は全部新鮮に見えた。
ただわたしは世の中には知らない方がいいこともあるっていうのをよく理解していなかった。本棚の奥に隠すように収められているファイルは綺麗なクリアグリーンをしていた。嫌な予感がしなかったわけではないが、虫の知らせや女の勘すらアテにしていないわたしはそれを当然のように開いてしまったのである。素体の研究、覚え書き、被検体の写真はハザマさんだった。内容も勿論ハザマさんの特性を連ねてあって、わたしは、頭の中が真っ白になりながらもページを捲る指を止められずにいた。


機械島


ハザマさんはロボットだった。


機械島


ロボットといえば語弊があるけれど、わたしの人並みな感性と知識では、人から造られたヒト型のものは一様にロボットか人形という言葉でしか表せなかった。ハザマさんは今日も仕事疲れで帰ってきて、ソファに横になっている。ご飯を出せば食べるし、トイレに立ったのをつけてドアに耳を当ててみたらきちんと排泄もしている。趣味があって嗜好があって、眠った時はぐるぐると目が動き回っていた。呼吸も心音も全部わたしと変わらない。疲れてシャワーを浴びなかった翌日は髪の毛や肌がベトベトになったし、そうだ、髪も伸びるしお腹も鳴る。けれどハザマさんは人間じゃなかった。レリウス大佐が丸きり大人の状態で完成させた人工物だ。

「ナマエさん、顔色がよろしくありませんがどうかなさいましたか?」
「え、いや、ううん何にもないの」
「今日は早めに休まれた方がよさそうですね。電気、消しますよ」
「ありがとう……」

ハザマさんは緑の鎖を使わないで、立ち上がってスイッチを切った。もしかしたらこの時既に全部悟られていたのかもしれない。科学的であろうが、目に見えようが、得体の知れない技術はやっぱり畏怖の対象だった。もしヒトをここまで精巧に造ることができるんなら、もしかしたらわたし自身もそうなのかもしれない。それだけじゃなくてあの場所に住んでいた全員や、世界中の人間っぽい見た目をしたすべても人工物で、各々が気付かないか知らないフリをして、或いは騙し合うようにヒトとして振舞っているだけなのかもしれない。

「ねえ、いつか、わたしの記憶が偽物かもしれないって言ったよね」
「ああ、思考実験ですよ。世界五分前仮説はご存知ですか? この世界は実は五分前に出来たばかりで、住民は非存在の過去を覚えていた状態で唐突に出現したとかいう」
「そんなの非科学的だ」
「哲学ですよ。でもこれ、否定できますか? ナマエさんの大好きな知識の大元も、実は全くのデタラメなのかもしれないんです。過去の証明は知識ではできません」
「今日はよく喋るね」
「すみません、これでは眠れなくなってしまいますね」

毛布からはハザマさんの匂いがした。近くにいるけれど今はとても抱き付いて顔を埋める気になれなかった。
今まで何度も赤ん坊を見て、その子供が成長する様子だって知っているのに、世界の全部が嘘に思えて仕方なかった。ハザマさんの言う思考実験は馬鹿みたいな話だけれど、少なくともハザマさんにとっては世界はほんの数年前に出来上がったものなのだ。幼少の不安を知らないから彼は飄々と空気を吸えるのだ。そう思うと途端に彼のことが得体の知れない肉塊に思えて、抱き寄せられた腕を払いのけてしまった。


棋界島


それから数日、ハザマさんは仕事を理由に帰ってこなくなった。そんなのが言い訳であることは知っている。欲は身を滅ぼすことを身を以て知ったのは、カラカラに乾いた歯ブラシに触れた時だった。
もしあの時ファイルを手にしなかったらわたしの世界は崩壊しないまま、白痴のようにハザマさんとの毎日に浸れていたのかもしれない。もしわたしに知識欲なんて無かったら、わたしが見えないものも盲信できる素直な人間だったら何か変わっていただろうか。それだとわたしは三年前に白骨死体の仲間入りをしている、ならどこまで遡ったらいいのだろう。
思い出すのは馬鹿げた仮説だった。わたしはハザマさんとの甘美な記憶を携えた状態でこの世界に突然発生して、取り留めのない後悔をするのが役割である。どんなに悔いても過去に戻ることが出来ない以上もしもは無いのだ。世界が五分前に出来たなんてあり得ないけれど否定はできない。目に映らないものを頭ごなしに蹴散らしていくわたしみたいな人間は損をする。目に見えない?


喜界島


わたしは馬鹿だった。口癖のようにわたしは、目に映らないものを信じられないと言ってきたじゃないか。ハザマさんのことは見えていて、それどころか触ることもできた。ただ得体の知れないものであったけれども、それ以上に正体不明のものをわたしはズット懐に忍び込ませていた。
本部の玄関口でわたしはハザマさんを待ち伏せていた。陽が傾いて空が赤くなっていくのにスペクトルの文字が見えるのを必死にかき消して、ちらほらと建物を出ていく影を凝視する。青い制服ばかりがぞろぞろと列をなしていて苛立ちと焦りが募っていく。ハザマさんはもう跡形も無く液体に還っているんじゃないかとかいう言いようのない不安が込み上げてきた。
結局日が暮れても彼は出てこなかった。また明日と踵を返すわたしの真横を嗅ぎ慣れたやわらかい匂いが通り過ぎる。

「ハザマさん!」
「……どちら様ですか?」
「え、嘘……」
「なんて、冗談ですよ。こんな場所でどうされたんですか」

メモリーをフォーマットされたのかとドキリとした。ハザマさんはいつものようににこにこと笑ってわたしの顔を覗き込む。端整な顔立ちに引き締まった高身長、じっくりと響き渡る低音の声とか、思えばこの人は完璧過ぎた。けれどそんな外見上の事実なんて今のわたしには関係無かった。

「場所、変えましょうか。缶コーヒーでよろしければご馳走しますよ」
「うん……」

ハザマさんを見れば妙に安心して、けれど近付いたら心音が速まっていく。彼が幸せそうにしているとあたたかい気持ちになるし、女性の話を少しでも持ち掛けると嫉妬心が湧き上がる。それは言いようもなく恋心だった。感情なんてのは目に見えないし、科学でもなんの証明もできない胡散臭い代物である。ただあの時住んでいた場所を逃げ出した動機も、人を見つけて駆け寄った理由も、今こうしてハザマさんの隣に座っている事実もすべてわたしの心情がそうさせていたのだ。

「知ったんですよね、私のこと」
「本を、読みたくって」
「レリウス大佐、話していましたよ。ちゃんと言ったらいくらでも資料は解放したと」
「ごめんなさい」
「私が怖くなってしまいましたよね」

ハザマさんは淋しそうに目を伏せた。それから普段見せない黄色い瞳で月を見上げて、缶コーヒーを飲み干した。

「偽の記憶に怯えていたのは私の方でした。私には過去なんて無い筈なのに幼少期を尋ねられたらすらすらと口が動くんですよ。まるで本当にあったことのように」
「どこで生まれたとか育ったとか?」
「過去だけではありません。どうして言葉を話せるのか、何故膨大な知識を持っているのか、明日起きたら水槽の中にまた沈められているのではないか。私には現在も未来も御座いません」
「今はあるよ。わたしが証明できる」
「ここにいる私が果たしてナマエさんを助けた時の自分かもわかりませんよ」

わたし達はごく下らなくて、考えても仕様もないことで延々悩み続けている。空に浮かぶ月をどうやって証明できるだろうか。そこにあるから、それだけでは足りない気がした。
目に見えるものだけが全てではないことかわかると、ならば目に見えるものも疑わなければならなかった。現在は認識した瞬間に過去になって、掴んでも掴みきれない時間の糸に絡み取られて頭がぐちゃぐちゃになる。わたし達は馬鹿だった。

「あのね、わたし怖かった。あの場所のマネキンってハザマさんと同じようにできてたんでしょう。腐らないで、そのまんま積み上げられてて」
「失敗作のことですか。あの光景は誰が見ても不気味ですね」
「うん、それでね。わたしの住んでたところには文化が通ってなかったから、もしかしたらそういうのって普通なのかもしれないけれど、わからないものって怖くて恐ろしくて、もしかしたらわたしだってって思って」
「少し失礼ですね」

ハザマさんがわたしの頭をぐりぐり撫でる。それから大きな手は遠慮がちに髪を取って、もう片腕の間にわたしは身体を滑り込ませた。
ハザマさんはあったかかった。心臓だって規則正しく動いていた。

「けど違うの。めに見えないし証明できないけど、わたしはハザマさんのことが好きで大切で、それって多分過去も未来も関係ない」
「ナマエさんにしては感情的ですね」
「感情は科学じゃないけど、わたしって科学者じゃないから。ずっと思ったまんまで動いてたから」

その時わたし達は初めて恋人っぽくキスをした。星と月だけがそれを見ている。物静かなこの場所で、風が吹き抜けて木々を揺らしていった。その一つ一つがひどく文学的で心がゆっくりと潤った。

「生贄ね、ならなかったからあの土地が滅んだのかもしれない」
「あれは元々決まっていたことですよ」
「だったら外に出てよかった。ハザマさん、理由は付けないけど愛してます」
「それは私に先に言わせて欲しかったところです」


機械島


数日間で薄っすらと消えかけていた毛布にまた彼の匂いが戻ってくる。吸って吐いて、恐怖心の代わりに深い愛情がわたしを包んだ。



20150902

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