短編 | ナノ

ライナスの毛布


彼の左腕が無いとわたしは寝付けませんでした。晩から朝まで、わたしは彼の腕を首に敷いて、手を両手で握り締めて、それでも足りないので噛み付いて、晩から朝の時間は幸せそのものなのです。

「ミョウジ、ミョウジさん!」
「わっ! あー……ごめんなさーい」
「居眠りとは感心できませんね。体調管理も仕事のうちですよ」
「最近まったく眠れないんです」

彼は寝る時に限って、ローブに巻いたベルトをぱらぱらと解きました。それからわたしを抱きかかえるように後ろから包み込んで、脚を絡めて、彼もまたそうしないと眠れないのだと話しました。わたしと彼は共依存の関係にあったのかもしれません。或いはもっと酷く、しかし彼はわたしにそれ以上触れませんでした。男女が寝具を共にして、子供の一人二人出来ても何らオカシクはない状況で、わたしたちはあくまで健全に夜を明かしていたのです。
彼は時折、忙しいのだと言って姿を見せないことがありました。その度にわたしは酷い寝不足になって、ごく精密な業務をしているのに睡魔に抗えなくなるのです。

「私もここのところ全く寝付けませんが居眠りなんて……」
「知ってますよ。書類読みながら寝てるの」
「とんでもない! この通り、しっかり起きていますよ」
「糸目って便利ですね」

わたしと彼との関係が始まったのは、案外、最近のことでした。突然の大雨に帰る術を無くしている彼を見かけて、おっかなびっくり声を掛けたのがきっかけです。彼はハッとしたような顔をしました。まるで自分の姿は誰にも見える筈がないとか、幽霊が人間に触れられたらキットそんな顔をするだろうなアとかいう、現実味の無い表情でした。
背の高い彼が右側に立って傘を持って、お互いが肩を濡らしながら行き着いたのはわたしの家でした。傘を貸し出せばよかったのかもしれません。ただわたしは、ぶっきらぼうの癖に喋舌り好きな彼になんとなく魅力を感じて家に上げてしまったのです。

「それじゃあ休憩しません? 仮眠取った方が効率いいですよ」
「ミョウジさんにしては良い提案ですね。仮眠室を見て参ります」
「ソファとか机とかでいいのに」
「質の良い睡眠でなければ意味がありませんから。私がいない間に居眠りしていたら許しませんからね」
「はーい」

雨が止むまで自由にしていてください、とか軽い気持ちで言ったことは後悔しませんでした。コンクリートを穿つような豪雨は数日止む気配を見せず、その間彼はわたしの家で遠慮無く寛いでおりました。別にお付き合いをしているわけではありません。これから先もキット、わたしたちは睡眠だけを共にする友人であり続けることでしょう。わたしが雨音を好きになったのは彼のせいかもしれませんでした。
彼に最後に会ったのはたった二日前になる。

「空いてました。ちゃんと起きていらっしゃいましたか」
「はーい、しっかりー」
「一時間半だけですよ」
「部屋、空けてもいいんですか?」
「無断で入る馬鹿はおりませんよ」
「やったー休憩ー……」
「……気乗りしない顔ですね。枕が違うと眠れない方ですか?」
「まあそんなところですけど」

仮眠室にはベッドが五台ありました。いの一番に奥に横になって、毛布を掛けようと身体を起こすと、その間に滑り込むようにハザマさんは入って来て、当然のように左腕を伸ばしました。なんだって上司と同じベッドで寝なければならないのか、混乱するわたしを抑えたのはキラリと光った目玉でした。性格の悪そうなつり目は普段の穏和そうに見える上司の印象とは掛け離れて、そのせいで人当たりのいいにこやかな口許まで好戦的に歪んで見えました。そうだ、彼がうちに来ない日はハザマさんも酷く忙しそうにしておりました。
わたしはすんなりと上司の腕の中に横たわりました。その腕には青痣が散らばっていて、少しだけ申し訳ない気持ちになりました。

「なんか雰囲気違います」
「そう言われると傷付きますね」
「腕、痛そう」
「それも含めて安眠のうちですので」
「今日はどうされるんですか」
「身が持ちませんので会議が終わったら伺います」
「鍵、渡しときます」
「これで寝不足にもなりませんね」

後ろから囁くように聞こえる声が、彼の声と同質であることになぜ気が付かなかったのでしょうか。わたしたちはそれから目蓋を擦ることが無くなりました。そしてもう一つ、彼のローブを見ることもなくなってしまいました。


20150901

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