短編 | ナノ

記憶を辿る過程で、もし自分なんかが関わらなければとどうしても考えてしまうのだ。関わらなかった時のこの女が、いかに平凡で幸せそうに生きているかを自分は知っている。出会ってしまったばかりに悩んで苦しんでそれでも笑っている姿はひたすら痛ましかった。

まるで自分を置いていくように、彼女は知らない男と並んで歩いては楽しそうに微笑んでいる。人並みの辛いことを人並みに乗り越えて、笑顔で天寿を全うしていく。そんな姿をこれ以上見ることに対して沸いていた虚しさや苦しさは、今や無くなってしまった。一通り終えて、意識を戻した時彼女は隣にいる。通す筈のなかった黒い袖を、所在無く引っ張ると、彼女は驚いたように目を丸くした。

「どうしたんですか?」
「別に、何もありませんけど」
「ハザマさん、顔色が悪いですよ。疲れてるんじゃありません?」
「そうですね」

少し疲れたかもしれない。一度に観ることの出来る事象なんて、この世界のあらゆる可能性に較べたらたかが知れていた。もう何回繰り返して何回この作業をしているのだろうか。精神の中心にあるのは自分では無い為に、微妙に展開の違う興味の無い映画を延々見せ付けられている感覚だった。たとえばそれは大概バッドエンドで、今の世界だってどうせその中の一つになるのだ。それでも出会わずにはいられなかった。

「ハザマさん!? 目!」
「はい……?」
「あ、あの、ハンカチ! ティッシュがいいですか?」
「あ……あ」

頬を涙が伝っていることに気付いたのは、渡されたハンカチで目を拭った時だった。自分でも驚いて目を見開き、擦って、彼女は不安そうに自分を見つめている。不安なのはこっちもそうなのだ、とか言っても、自分の状況は彼女には到底理解出来ない領域にあることを知っているのでそれがまた感情を暴走させた。

「最近考え事が多いみたいですし、何か嫌なことがあるんならわたしでよかったら」
「ナマエさん」
「はい?」

次の言葉を言い掛けては飲み込んでを繰り返す。きっと離れるべきなのだ。そうしたら解放される筈なのだ。
薄明るい部屋に居心地の悪い空気が流れる。きちんと見開いた目で直視する彼女は、やはり、自分と関わるべきでは無かったのだ。何度も見てきたどの世界の彼女も、今の彼女よりも屈託の無い表情をしているのだ。

「お別れしましょう」

そうすれば彼女は全てを取り戻せる。例えばノエル=ヴァーミリオンのいない事象でのツバキ=ヤヨイ中尉のように、どういった結末になろうが幸せでいられるのだ。
話してしまった瞬間に後悔が波のように押し寄せた。自分は自分の想像している以上に脆くなってしまった。

「と言えたらどれ程楽なんでしょうね。嘘です、冗談です。ただ、そうしたいのでしたらいつだって覚悟は出来ておりますから」
「……ばーか」
「はい?」
「泣くほど悩んでるから何かと思えば、わたし、ハザマさんに会えて本当によかったって思ってるんです」

そう言って笑う顔は、自分に向けられる筈では無かったそれそのものだった。とうとうここまで変えてしまったのか。不思議といい気持にはなれなかった。とうとうここまで奪ってしまったと言った方がしっくりくる。
ナマエは悪戯っぽく自分の横に腰掛けて、頭を胸に預ける。温かな体温が指先に走った。彼女の小さな手が自分の左手を弄ぶ。

「でも、あなたは私に出会わない方が幸せそうにしていましたよ」
「見間違いです。わたしはハザマさんが一番なんです」
「私はあなたを幸せにはできません」
「十分幸せです。いっぱい、ハザマさんがわたしのことを大切にしてくれるから」
「外の世界にはいくらでも、ナマエさんを大切にしてくれる人はいるんですよ」
「だけどわたしはハザマさん以外をこんなに愛せません」

きっと彼女は他の世界の知らない男にも同じことを言うのだろう。けれどもうこれ以上可能性を直視したくなかった。

「変な話をしてもよろしいですか。嘘だとか、夢だとか、病気だとか思って頂いても結構です」
「聞きますよ」
「私、知っているんです。ナマエはこれから死んでしまいます。まだお若いのに、私と関わってしまったばかりに殺されてしまうんです。もし私と出会わなければそうなることも無かったのに」
「だったら」

今度はわたしを守って、とナマエは囁いた。やっとの思いで頷いたところで、何も変わりやしないことも知っている。もし嘘が本当になって全てを手に入れられないのなら、自分の精神なんてもう一人に身体ごと明け渡してやりたかった。



20150802

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