短編 | ナノ

子供の領分


 慌ただしい都会の波から一人だけ抜け出して、あったのは虚しい畦道だった。わたしは何をしているのだろう。足並みを止めると全くの無音になってしまう暗がりで、電燈の灯りに照らされては後悔に浸っている。
 ほんの冗談のつもりだった。ただズット気にかけていたその人の視界に、もう少しクリアーに映りたいだとかいう幼げな考えすらもヨコシマだというのならわたしには何も出来やしない。

「ハザマさんのこと、最初に会った時から好きでした」

 後悔を噛み締めるように口にして、溜息を吐くことが最早快感のように思えてきている。いつになく冷たく感じる外気にコートを寄せる。肩だけ震えて、もしかしたらこのまま凍えて死んでしまえるのではないかとすら考える。

「死ぬには寒さが足りないなあ。あー、馬鹿みたい。もう、大人なのに」

 芝居じみた台詞も一人でいれば空に溶けるだけで、全部失ってしまぅあ哀しさを増長させる香料にしかならない。そんなことはわかっているんだから今だけは悲劇のヒロインを気取らせて欲しい。
 アテも無く歩いて、月が追ってくる夜に急に恐ろしさを感じた。もし誰かがわたしを殺しにきたらどうしよう。あるはずも無いのに浮かび上がった妄想がどんどんわたしを支配していく。その人はわたしの肩に手を掛けて、振り向いたところをニヤリと笑い、ダガーナイフで切りつけるのだ。滅多刺しにして顔まで裂いて、ズタボロになったところで側溝に蹴飛ばしてしまう。三日経ってようやく発見された時にはわたしの死骸は蛆に喰われて生前よりも無惨に成り果てているのだ。
 だからその足音は過度な妄想が起こした幻聴のはずだった。少し後ろからする早足に、わたしは確かな恐怖を感じている。

「もし」
「は、は……い!」

 振り返った先にいたのは想像通りの笑い顔だった。乏しい街灯にやっと反射した高い背筋に緑の髪が、いくつも重なった意味でわたしの心臓を跳ね上げさせる。ハザマさんは、困ったような顔で息を切らしていた。

「急に抜け出して、消灯時間はとうに過ぎていますよ」
「す、すみま」
「ほら、そんな恰好でいては風邪を引きますよ。車を呼ぶには辺鄙な場所ですし、これでも羽織っていてください。まったくどれだけ心配させれば気が済むんですか」
「あ……」

 ありがとうが出ない。無理矢理被せられたコートからは紳士服店のような、真新しいにおいがした。
 灯りの下でわたし達は、何をするわけでもなくお互いの顔を見つめ合っている。視界の隅を散らつく蛾に気を取られるところを必死に誤魔化してわたしはハザマさんの目を見ていた。

「……どういうつもりだったんですか? 嫌がらせにしては度を越えていますが。心配ばっかり掛けて、これだから子供は嫌なんです」
「すみません……」
「反省の言葉なら書面でお願いします。ほら、帰りますよ」
「はい……、あ、ハザマさんはこれから?」

 この張り付いたような笑顔も仏頂面の一つだと言えるのではないだろうか。

「ミョウジさんを送り届けたら帰りますよ。本当なら仕事が終わった後すぐに帰宅する予定だったんですが、不出来な部下を持つと疲れますね」
「すみません……」
「ほら、さっさと歩いてください。風邪をひいたらどうしてくれるんですか」
「御心配ありがとうございます」
「……私の話ですよ。勘違いなさらないでください」

 ハザマさんと歩く道は寒いのか温かいのかわからない。所在無く焦点が泳いで、行き道には気が付かなかった建物や看板の一つ一つに留まっていく。会話は無いわけではないのだが、一方的な嫌味が面倒臭そうに吐き出されるだけでわたしはただ頭を下げるだけだ。

「何で好きなんだろう」
「はい? 何か仰いましたか?」
「い、いえなんにも!」
「ミョウジさん、貴女……」

 折角逸れた都会に一歩また一歩と着実に引き戻されていく。こんなものまだ街の一部だ、中心地よりは幾分も時化たネオンが視界の隅を刺激した。汚い大人を招く呼び声を興味本位で見つめる。お兄さん、ちょっと寄ってきませんか。

「ここから先は大人の領域ですので、さっさと帰って寝てください。ではまた明日」
「え、あの」

 線で引かれたように、ネオンの向こうにハザマさんが見えなくなっていく。子供は嫌、不出来な部下、どれだけ幼稚なのか、一つ一つがリフレインしている。

「ハザマさんは!」
「どこかのガキが大人になるまでの話です。貴女は本当に馬鹿ですね」
「ハザマさんは……」

 ここからこっちが子供の領分か。影になって黒い地面を蹴って、爪先に積もる砂を蹴飛ばして、こうだからいつまでも大人になれないのだと感じた。ハザマさんはついに見えなくなった。

 ほんの冗談のつもりだった。ハザマさんにわたしを見て欲しくて、少し悪戯をしてみただけだった。
 迎えに来てくれた彼はどんな顔をしていただろうか、厭味の中で何度心配という言葉を吐いていただろうか、もしかしたら(父性という言葉は頭の隅に押しやっている)。

 馬鹿みたいに悲しんだり希望を持ったりすることの無い大人になれば、そもそもそれが子供なんだろうか。安全な子供の領分を統治するのも限界だ。


22:00 2014/11/09

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