短編 | ナノ

女は目一杯黒いコーヒーを注ぐ。同じ時間同じ動作を変わらない顔立ちで、女は戯けた声色を使いこなし私の三歩後ろに立った。私はこの女を知らない。

***



「ハザマさんって、恋人とかいないんですか?」
「はあ、恋人」
「いるんならどんな人か気になります。ハザマさんと付き合う人って想像できないから」

この上官は掴みどころが無いというか、変人というか、とても結婚できそうなタイプには見えない。けれど女性経験が無いかといえばそれは誰もが否定するだろう。よく女性衛士を捕まえては、美しいだのなんだの口説いているのを見かける(当然お世辞なのだが、彼の場合本気なのかそうでないのか判断に困る)。
ハザマさんはコーヒーをぐい、と飲み干して真剣そうな表情で腕を組んだ。

「いますよ。いました、の方が正しいかもしれませんが」
「いま、した?」
「デリカシーの無い質問はするなということですよ」

別れたのか、もしかしたら殉死してしまったのかもしれない。後者なら最初の肯定も頷けるし、そして悪いことを聞いてしまった。
謝ろうと一歩踏み出したところを、彼の饒舌が止めた。

「たとえば完璧な貴女のクローンを作れたとして、それは貴女自身と言えますか?」
「生命倫理の議論ですか? まあ、当然言えないと思いますけど」
「では、平行世界……なんてものがあったとして、その世界の貴女は貴女自身ですか?」
「パラレルワールドなんて言われても想像できないので」

彼が言うにはこうだ。パラレルワールドの自分は自分としての記憶や歴史を持っている。育った環境も同じ、ただほんの些細な出来事が違うだけの、顕微鏡で見てもわからない度合いで違う世界に生きている自分と、この世界の今の自分は同じか違うかというものだ。
そんなこと言われてもわたしはわたしだし、当然その世界の自分はもう一人の自分だとしても他人だと、思う。自信は無い。

「わたしはどこの世界にもわたし一人しかいないんじゃないかなあって思います」
「そうですか。つまらないことを聞いてしまって申し訳ありませんでした」
「何でこんな話になったんでしたっけ」
「それならば私の恋人ですが、今頃どこで何をしているかもわかりません。多分死んだんでしょうけど、どちらにせよもう二度と会えないので」

唐突に話が戻り混乱するわたしを差し置いて、ハザマさんは立ち上がりコートを羽織った。出掛けるのだろうか。

「ああ、私は今でも彼女を愛していますよ。もうどうにもなりませんがね」
「多分その方も、ハザマさんのことを今でも好きなんじゃないかな、て思いますよ」
「何故ですか?」
「わたしだったらそうだから……なんとなく」
「それはそれは、何とも心強いお言葉です」

ハザマさんは帽子を目深く被り直して部屋を出て行った。残った部屋の空気に何故か郷愁を感じる。遠い昔にどこかでハザマさんとわたしは会っているのだろうか。
そんなわけないか。コーヒーカップを洗おうと受け皿ごと持ち上げたら、それはぐらりと傾いて床に叩きつけられ割れた。


***


彼女に二度と会えないことを理解するには女と私は距離が近過ぎる。何度見ても自分の愛した顔と声帯、気性を持つというのにこの女は違うのだ。私が弄んだ世界の君よ、どうか最期まで私を恨んで死んでくれていますよう。



20140310

back
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -