短編 | ナノ

テルミさんハッピーバースデー!!!!!!


※謎時空



「テルミさん、今日何食べたいですか!」

 勢い強い語尾には期待と好奇が滲み出ている。扉を開くなり投げ掛けられた言葉に、テルミは悪態を吐くのも忘れ「た、ただいま……」と柄にも無く素直に帰宅を呟いた。
 先週の暖気が嘘のように、今日は冷える。いいや二月の心地としては当然であるが、小春日和を一身に受けた記憶がいっそう寒さを主張した。出がけにナマエから強引に巻き付けられたマフラーに感謝することになるとは、と、つい先刻の質問に答えることも忘れテルミは床にソレを投げた。

「あーマジ寒かった。魔道都市イシャナ様も格落ちだろ、結界が破れたからって気温調整までできねえとか」
「なんでも床に放っちゃうのやめてくださいってー。じゃなくてご飯!」
「あ? ああ……なんで?」

 同じ部屋に棲み着くこと数ヶ月、食事は最低限でいい、ただゆで卵だけ添えてもらえたら特段苦手なものも好みも無い。
 そんなテルミに最初こそ夕飯のリクエストを乞うていたナマエも、いつしか文字通り適当に食事を作ってテルミの起床や帰りを待っていたはずだ。眠気があればあくびをし火曜日にはゴミをまとめる、そんなルーティーンに組み込まれ始めていた食卓について、改めて言及される覚えがない。
 マフラーの回収ついでにカーペットに絡んだ毛玉をついばむナマエに、テルミはもう一度「なんで?」と柄にも無く愛らしく言った。

「テルミさん、もしかして無頓着な人ですか?」
「律儀な人間に見えてんなら眼科行った方がいいぜ」
「あーもーわかってたけどなんか腹立つー」

 わざとらしく眉間にシワを寄せながらナマエが立ち上がる。ソファで足を投げ出すテルミの前に正座し、彼女は壁を指差した。モダンなデザインの柱時計には1から12までの数字の他に、小窓が日付を告げている。29、長針に見切れた数字を見てもしかし何の心当たりも無い。

「悪い、マジで意味わかんねー。ナマエちゃんってよく通信簿に『主語が無い』って書かれてただろ」
「ツウシンボ? 立ちんぼの親戚ですか?」
「うわージェネレーションギャップ感じるー」

 で、何だよ。ナマエの反応にニヤリとしながらテルミは続けた。ナマエ=ミョウジは初めて会った頃からこんな風に、そう、予想が出来ない面白い人間だった。イシャナの結界が破れ黒き獣の進行を許した時ですら「明日の小テスト中止になるかな」と期待に小躍りしていた奴だ、キット思いもよらないような奇怪な理由があるのだろう。
 フードの下で普段以上に底意地悪く笑うテルミに対し、しかしナマエは好戦的である。「本当にわからないんですか」もはや感嘆符を失った冷たい問い掛けはほとんど口を開かずに紡がれ、落差の激しい彼女の感情の起伏を表していた。これは、好くない。このまま茶化し続けていると不機嫌が加速して暫くは治らなくなってしまう。
 悪事と目的以外に使うことが無いはずの頭を振り絞りテルミは慌てて日付にまつわる行事を回想した。祝日、違う。大安仏滅、いいやイシャナにそんな暦は無い。結婚記念日? そもそも結婚ナンテしていない。

「あ。付き合って一年八ヶ月目の記念日とか?」
「違います! って、わたし達付き合ってたんですか……?」
「あ? 俺様はそのつもりだったけど」
「え、えー! わたしテルミさんの、か、の、彼女……」
「ヤることヤってんだからそうなんじゃねぇの」
「ってことはテルミさんはわたしのこと好きとか? えー! 両想いー!」
「ンだよ、好きでも無ェのに律儀に機嫌取ってやるわけねえだろ」

 不動の正座から一転、ふにゃりとだらしなく口角を緩めたナマエはテルミの左膝に食い込むようにソファに座った。が、詰問はあくまで継続されるらしい。
 ソレは後で話すとして、と前置きしてナマエはもう一度「本当にわからないんですか」と重く放った。根負けだ。

「……悪ィ。全然心当たり無いんだけど」
「はァ。まアいいですけど、テルミさん、もっと自分のこと大切にしてほしいです。あともしあの時から付き合ってるなら一年八ヶ月記念日は昨日です」
「それはマジでごめんって」

 コイツといるとペースが乱される。しかし不思議と悪い気はしない。口を尖らせるナマエを片腕に抱き寄せながら、テルミはもう一度29日を考えた。二月二十九日、ソウ言えば何か、この女と出会った当初に言った気がする。アレは確か――

「お誕生日です! テルミさんの!」
「あー思い出した。ンな事言ってたわ」
「何それ!」

 まるで信じられない事象を目にしたかのように声を張り上げるナマエにテルミは苦笑した。二月二十九日、そうだ、ヤッた後に好きな色とか曲とか出身地とか誕生日とか聞いてきたから何ンの気なしに答えたんだった。ソレを律儀に、コイツは、どこまで頭がすっからかんなんだ。
 そこそこ長く一緒にいたら、あの時の会話に意味が無いことぐらい解っていたはずである。ソレをこの馬鹿と来たらご丁寧に、なんと健気で意地らしくてアホで、アホなんだろう。

「もしかして信じてたわけ? マジナマエちゃんっておもしれー」
「何ですかソレ! もしかしてまた嘘言ってわたしのことからかってたんですか!」
「嘘っつーか、俺様誕生日とかそういうのそもそも無ェし。ちょっと考えりゃ分かんだろ。ナマエちゃんマジ可愛いんですけどー」
「それは……そうですけど、まさか誕生日まで無いとか思うわけないじゃないですか!」

 大爆笑の隣はブーイングに沸いている。かと思えば顔を青くするものだから見ていて飽きが来ない。
 揺れるソファに再度身体を預け、テルミはナマエの頭を子供にするようにぐしゃりと撫でた。

「で、たまにはリクエストを聞いて腕によりをかけてーとか思ってたわけ?」
「もう知りません」
「悪かったって」
「思ってないくせに。あーもうどうしよ。ナインにも話しちゃったのに」
「まさかサプライズパーティとか言い出さねえよな……?」

 見知った六英雄の顔が脳裏に浮かぶ。コイツのことだからやりかねない。
 ソンナ懸念はナマエの「誘ったけど全員死んでも嫌って言って断られました」という不名誉な弁で吹き飛んだ。ソレはソレで癪に障るものである。

「プレゼントとかオススメのケーキ屋さんとか、って言ってもいつもの喫茶店のテイクアウトになったんですけど」
「もしかして昨日冷蔵庫開けんなって言ったのそれのせい?」
「そうです。そーうーでーすー」

 観念したかのようにナマエは冷蔵庫から後生大事に白箱を持ち出した。コレです、と控えめに開けた中には「テルミくんおたんじょうびおめでとう」とハートマーク付きで描かれたチョコレートが打ち見える。どうせ消費期限を切らした食材を暴かれるのが嫌なンだろうと気にも留めていなかったが、まさかこんなにファンシーなプレートを隠す為だったとは。なるほど誕生日を設定するのも中々悪くは無いらしい。

「なんで2月29日とか言ったんですか」
「たまにしか来ねえから」
「特別感みたいな? そう言うの中二病っていうんですよ。良い年してフード被ってるだけはありますね」
「ハザマちゃんみてえな事言うのやめてくんねえ?」
「ハザマ? 誰ですかソレ」

 仕方が無いからと、ナマエは小ぶりのバースデーケーキを皿に移した。こう言うのは食後に出されるものではと思ったがあえて口にしなかった。これ以上彼女を揶揄うとどんなツケが待っているか分からない。
 据付のローソクを片手にナマエは解答を求めていた。そうだ、ナマエはテルミの年齢を知らない。

「イチゴ、四個乗ってんだろ。四本とかでいいんじゃねーの」
「テルミさんって本当は何歳なんですか?」
「数えるのだりぃから知らねー」
「ですよねー」

 四と言ったのに五本のローソクを立てたナマエはテルミに火炎魔法を要求する。自分でもライターでも使えばいいがそうしないのは彼女があまり足りていない人間である証である。
 そういえばコイツ、卒業単位ギリギリだったんだっけ。大魔導士や錬金術の天才といった世界を救うべくして救った学生を瞬間思い出したがその影はすぐに煙に消えた。
 着けた炎を自らすぐに吹き消したテルミに、ナマエは本日何度目かわからない抗議の声を上げた。

「まだはぴばーすでーの歌うたってません!」
「そう言うの寒いからいらねえんだって」
「今日って冷えますよねー」

 気密性の高いこの家は暖房に空気が乾いている。恨めしく引き抜かれたローソクの足に絡んだ生クリームを人差し指で掬い舐めたナマエは甘味にエクボを作っていた。
 ともすれば雑に箸を入れかねないテルミに警戒してか、スッとホールケーキを取り上げて、単身には広く二人住まいには狭いキッチンから諦めたような雑音が響く。「2月29日って」、あくまで彼女は誕生日を引きずるらしい。

「四年に一回しか無いから張り切ってたんです」
「食べたい物だっけ? だったら昨日のうちに聞いとけや。俺様が煮卵食いてえとか言ってたらどうするつもりだったんだよ」
「想定内なのでもう作ってます」
「マジで? ケーキよりそっちの方がうれしいんですけど」

 あとで、と、ナイフを温める手が話す。

「2月29日って円満離婚の日なんですって」
「マジでごめんって」
「冗談です。わたし達結婚してないし、て言うかさっき付き合ってるの知りましたし」

 カボチャでも切っているかのようなナイフの打音に、せめて歌ぐらい歌わせてやるべきだったかと後悔するももう遅い。美しくナッペされた表面は今頃ズタズタに地割れしているだろう。
 ただ、ナマエが本心から怒っているかと言えばそうでもなかった。この程度のやり取りは二人の間では日常茶飯事で、ひどい時は攻撃魔法だとか蛇双ウロボロスだとかが飛び交っている。先々週の騒動比べたら今日ナンテ可愛いものだとテルミは笑った。

「わたしが生きてる間にあと何回テルミさんのお誕生日をお祝いできるのかなーって考えてたんです」
「それって俺様と一生添い遂げられる気でいたって意味?」
「夕飯人肉にしましょうか。2、2、9、人肉の日」
「ざーんねん。俺様人じゃねえんだよなー」
「命拾いしましたね」

 言いながらもナマエの口角は上がっている。豪快に真っ二つに開かれたケーキがテーブルに並んだ。
 相手は人間ではない、敵なのか味方なのかもわからない諸悪の根源で限定的に人類に加担してくれている得体の知れない化け物である。
 いつ終わるかも、何故続いているかもわからない二人暮らし未満の中で食器は知れていて、不揃いな皿に片方はクリームがこぼれ、片方は空間を過剰に余らせている。同じく不揃いな大小のフォークは、大きい方はテルミ、小さい方はナマエの前に置かれた。

「プレゼント、結局何も思い付かなかったんです。ナインとかテルミなんかには使い古しの靴下ですら贅沢だって言うんですから」
「別に気にしねえよ」
「本当はひとりでもサプライズしたかったんです。でもテルミさん、何が好きかとかわかんなかったから」
「考えたこともねーし、食えりゃ何でもいいっていつも言ってんだろ」
「わたしの誕生日の時は獣兵衛さん経由でプレゼントくれたからお返ししたかったのに」
「え、バレちまってたの?」

 それにしても落差の激しい人間だ。怒っていたかと思えば喜んで、不満を顕した瞬間には愉快気に笑って、そして今見せているのは悲しみなのだろう。
 あと何回、繰り返すセリフは今度は悲哀ではなく冗談に笑っていた。

「テルミさん、誕生……発生? なんかよくわかりませんけどおめでとうございます。あ、存在おめでとうございます!」
「どの事象探しても俺様の存在を祝ってくれる奴なんざナマエちゃんぐらいだろうな」
「自覚があるなら態度をもっと改めてください」
「絶対してやんねー」

 それで、何が食べたいですか? 今度は正確に問い掛けたナマエにテルミはもう一度思案した。改めて聞かれると答えに詰まるものがある。

「あー……煮卵? 準備してくれてんだろ」
「ケーキの後のデザートです」
「普通逆だろ」

 四年に一度だけのスペシャルブレンドですからと、満を持して出された煮卵は殻が剥かれていなかった。結局ただの、いつものゆで卵である。
 失敗したと泣くナマエをテルミは笑いながら抱き締めた。こんなに愉快ならば、誕生日は毎年訪れる2月28日にでも8月2日にでも4月1日にでも7月14日にでも、設定していたら善かった。ただ今の自分に、いいやナマエにとっては今日がその日なのだ。
 あと何回この特別な喧騒を見られるのだろうか。少しずつ、着実に年を重ねるナマエの自然な死に目は訪れるのだろうか。
 テルミは最近、折りしに、この嘘だらけな世界を壊すと言う目的に価値を見出せなくなる事がある。永遠に今日が続けば好いと思うことがある。



20240229

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