短編 | ナノ

( いなか、の、じけん )


絶対に開いてはいけませんと硬く言いつけられていた引き出しをわたしはいとも簡単に開いてしまいました。眼下に広がるはわたしの寝顔、裸、寝顔、すぐ喉元に来ていた胃液を飲み込んで、わたしは部屋を出ました。今日の痕跡をきれいサッパリ無かったことにしてくれる装置があるならばと強く願って眠りにつきましたが、朝起きても引き出しの重さを忘れることはできませんでした。

夜の風は冷たくて、わたしは三度もクシャミをしました。鼻をすすると頭がクラクラします。耳の聞こえが悪くなったので唾を飲み込んで、ナナヤからの伝言を思い出しました。いつもなら本人が伝えるのに、今日は遅くまで出払っているのだと言います。できれば帰って来て欲しく無かったなあ。踊り場の姿見で、彼と会う時の顔を作ってわたしは深呼吸をしてドアをノックしました。どうぞ、とか言われると思ったらわざわざ重い扉を開けて出迎えてくれた彼はいつものようににこやかな様子でした。「ハザマさん?」彼はわたしの上官です。

ナイトキャップに付き合わされるのはこれで何回目でしょうか。ウイスキーのにおいがわたしは苦手です。えずくわたしに彼は甘いお酒を渡しました。
「今日は体調が悪いので、ハザマさんが飲んでください」
「そうですか。お大事になさってくださいね」
それでは私は、とすぐにベッドに横になった彼は、その日何をしても起きませんでした。わたしは彼が飲まなかったウイスキーを息を止めて飲み干して自分の部屋に戻ります。不思議と寝つきの悪い夜になりました。

仕事中の彼はそれはそれは頼りになります。どこまでも長身で、几帳面で、彼の書く字は角ばっていてたいそう美しくわたしはそれを見ると羨ましくてファイルに綴じたくなります。きっと行き過ぎたらわたしも同じ穴の狢になってしまうのです。紅茶のはいったカップを掴む手は非の打ちようが無いぐらい美しいものでした。写真の中の自分にいくらか嫉妬していることを感じて、わたしはトイレへ駆け込みました。今日の朝食がうまく消化されないままぼとぼと水の中に落ちて、跳ねた水滴が目の中に入ってわたしは少しだけ泣きました。

呼ばれてもいないのにわたしは彼の部屋にいました。相変わらず開けちゃ駄目だと言いつけられた引き出しを漁って寒気を催して、平静を求めて床を掃除します。ガチャリと扉が開く気配がして慌てて立ち上がると、ハザマさんはわたしの様子に少しも驚かず帽子を投げてコートを脱ぎ捨てました。

「ミョウジさん?」

彼はやっと不審そうにわたしの名前を呼びます。現実に引き戻されて、わたしは敬礼しながら非礼を詫びました。ネクタイを剥いで、興味なさげにハザマさんはベストも脱いでゴミ箱へ放り投げます。新しそうな服が一瞬でゴミに変わっていきました。

「今度からお越しになるときは一言声を掛けてください。心の準備が必要なので」
「すみま、せん……」
「まあいいんですけどね。酒でも飲みますか? 買いに行かなくてはなりませんけど」
「ご一緒します」
「いいんですよ。ミョウジさんもお疲れのご様子ですから」

にっこりと笑って彼は部屋を出ていきました。取り残されたわたしは、これでいいものかと戸惑いながら彼が棄てた服でテーブルを吹き上げます。ベストからは仄かに彼のにおいがして、わたしはそれを堪能しました。身体の奥が熱くなるのを感じ、嗅覚の記憶の鋭さに恐怖しました。眠っているときのわたしはきっとこのにおいに包まれているのです。作り物で無かった画像が頭を掠めて、それでも具合はちっとも悪くなりませんでした。少しずつ現実を受け入れ始めている浅ましい自分をさらす事ができたら、彼は起きているわたしの頭を撫でるでしょうか。


「ミョウジさんはワインはお好きですか?」
「自分の部屋で飲むんなら」
「でしたら差し上げましょうか」
「眠るのが怖いのでいりません」
「ああ、引き出し。明日には中身を移動しますので。本棚には触らないでくださいね」
「留意します」


端末の電波が悪い事も、化粧品が切れていることも、わたしは全部彼のせいにしてしまいます。シャワーの温度が高いこともマコトに兄弟が多いことも、ノエルがドジなこともツバキが廊下を走るわたしに説教することも、全部全部彼のせいにして納得します。
その日わたしは眠りませんでした。ただ毛布にくるまっているだけで、暗い空間にじっとしていると時間の感覚が失われていきます。ドアの開く音が欠けていった感覚を戻しました。

「……ナマエ」

ハザマさんが乱雑に毛布を剥ぎ取って、ふわりと憧れたにおいがわたしの身体を覆いました。心臓が苦く加速して、こめかみがズキズキ痛みます。いつ目を開ければいいかわからない状況が悪い方へ悪い方へと流れていきます。

「ハザマ、さん」
「これはこれは、起きていらしたんですね。そうならば早く言ってくださればいいのに」

暗闇に慣れた目は彼を捉えるには充分過ぎました。服の最後のボタンに手を掛ける彼を抑止するつもりが、何も変わらず下着も取り払われてしまいます。ハザマさんの低体温が地肌に触れるたびに、わたしは一々冷たさに驚いて身体を跳ねさせました。

「ハザマさんは、どうして」
「人の服を拾っていたのはどこのどちらですか? 本棚まで漁って、私、貴女ほど整理整頓は出来ませんのですぐに分かりましたよ」
「こうなりたかったんだと思ってました」
「いいえ。出来れば一つも気付かれないままでいたいと願っていましたよ」

ついには服をすべて脱がされて、肌に刺さる温度に身震いしました。
雲間から月が顔を出して、照らされた彼は相変わらずにこやかに笑っていました。ただいつもと様子が違うと言えば、目つきの悪い黄色い目玉がわたしを見下ろしていることぐらいです。

「幻滅なさいましたか」
「知ってたので、少しも」
「貴女が悪いのです。どんなに声をお掛けしても、棄てた物ばかり見ているんですから」
「ハザマさんだって、寝てるわたしのことにしか興味がないくせに」
「そうなってしまったのはミョウジさんのせいですよ。なので今日はこれで終いです。ああ、折角食事に薬を混ぜたのに」

お詫びに差し上げますよ、と彼はシャツを脱ぎ捨ててわたしに被せました。きっと明日からもわたしたちは趣向を変えることなく付き合っていくことでしょう。部屋に漂う空気を肺いっぱいに吸い込んで、わたしは浅い眠りに落ちました。


(においフェチと睡眠姦趣味の話)

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