短編 | ナノ

※ならばわたしと恋をしませんか? の続き )


「この前尾形が言ってたラーメン屋さんってなんてとこだっけ」
「名前は忘れたが場所は覚えてるから今度連れてってやる」
「わーい。あ、尾形もビール飲む?」
「いる」

 テーブルに脚を投げ出したまんま尾形が気の無い返事をした。だからそれをやるなと何度言えばわかるのだろうか。
 缶ビールを、投げるのはさすがに危ないのでお腹あたりに落としてやる。くぐもった呻き声の後にただでさえ悪い目付きで凄まれた。

「そんな怖い顔しないでよ」
「雑過ぎる」
「お行儀が悪いからです」
「お前も女なんだからもっとしおらしくしてろ」

 女ですって、今までそんな素振り見せたこともなかったのに。
 尾形はアレ以来いやにわたしのことを気遣ってくれる。例えば午後から雨が降る日は二人分の傘を用意していて、重い資料を運んでいたら横から取り上げてくれて、それから歩く時もテンポを合わせるのだ。

 そんな尾形に、新しいスーツでも買ってやろうかと思った頃だった。その日も尾形は自室にワイシャツを脱ぎ捨ててわたしのタオルを頭にかぶっていた。

「それ気に入ってるやつだから尾形が雑に使うと毛羽立つ。自分の使ってよ」
「めんどくせえ」
「尾形って身長何センチだっけ」
「死んでも教えてやんねえ」
「佐一くんと比べたら拳一個分ぐらい低いよね。尾形が小柄ってのも変な話だけど」
「喧嘩売ってんのか」
「尾形くぅん、家族っていうのはお互いの情報を全て開示するものなんだよ」
「四回」
「え? 何が?」
「……家族だったら、その尾形ってのやめろ」
「はあ」

 とは言え尾形は尾形である。
 ちょっとは優しくなったとは言え、この人は昔っから尾形だ。いいや昔は違ったのかもしれないけれど今は尾形である。女ならばしおらしくしろとか言われたけれど、呼び捨てるから悪いんだろうか。

「じゃあ尾形主任? 尾形様?」
「もういい」
「尾形くんとかの方がよかったの? 初々しい感じで」
「………」
「何か変なことした? ごめんって、謝るから拗ねないでよ」

 ただでさえ無口な尾形が口を噤んでいる。試しにチョコレートを差し出してみたけれど、一瞬だけ、こっちを見たきりソッポを向いた。あ、猫っぽい。いつぞや猫を飼いたいと言った時、にゃーんって、下手くそな鳴き真似をしていたところを思い出す。

「……お前も尾形だろ」
「あー……そうだった」

 タオルで顔を隠しながら、尾形がそっぽを向いて呟いた。
 そうだ、わたしはこの男のことを変わらず苗字で呼んでいる。職場では旧姓のまんまだから実感がまるでなかったけど、最近尾形姓の保険証が届いたんだった。

「でも尾形もわたしのことたまに苗字で呼ぶじゃん」
「慣れねえから」
「わたしも尾形と一緒だけど」
「無いとは思うが、俺の名前知らねえの?」
「もものすけだっけ」
「……死ね」

 ひゃく、とくぐもった声がした。あ、結構可愛いところあるかも。

「え、ひゃくのすけ? へー! 珍しいね!」
「名前も知らねえ相手と二年近く住んでたのかよ」
「気にしたことなかったし誰も呼ばないじゃん」
「もういい」
「ごめんって! ごめん百之助!」

 改めてよろしくお願いします、百之助くん。長いから百ちゃんとか百くんとか呼んだ方が新婚さんっぽいかもしれない。
 少しの初々しさも無いと考えていた二人暮らしが、割合色めいたので嬉しくて抱き締めた。百之助が頼りなくわたしの頭を撫でる。この人にはもっと初心をもって始めないといけないかもしれない。


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