短編 | ナノ

 裾上げ用のピンを持って来る。と、鏡舎にエペルが走った。
 美意識の高いポムフィオーレだから衣装合わせには慣れているのだろう。続き様にデュースが教室を飛び出した。他の寮の奴らを呼んでくるだとか、遠退く声が叫んでいる。そこまでしなくても良いのにとナマエは苦笑した。


 本日は月に一度の各寮活動発表会があり、寮服での登校が義務付けられていた。普段はやれ自分の寮が最も模範的だとか一番強いだとか寮長の喧嘩じみた弁論が続くのだが、今日に限っては彼らは反論の一つも漏らさない。
 きっと事前の寮長会議でひと悶着あったのだろう。疲れ果てた顔色の学園長の司会進行の中、寮長らは事務的に活動を報告し野次の一つも飛ばずに発表会はすんなりと終了してしまった。

「暇だな」

 解散後、言い出したのは誰だったか。
 降って湧いた授業も部活動も無い時間を同じクラスの三人プラス一匹で過ごすにも限界がある。だらだらと隣のクラス乗り込んだ一同は、同じく怠惰に時間を浪費する友人の何気ない一言に目を輝かせた。

「オンボロ寮には寮服ねぇのか?」

 それを皮切りに視線がナマエに集中する。
 オンボロ寮はその名が示す通り万年金欠で、その上自分とグリムの為に用意された特例的な分類だ(何と言っても制服のベストすら用意が無い)。
 あるわけないじゃん、笑い飛ばすナマエにエースが悪巧みを思い付いたような笑顔を見せた。

「だったらオレらの着てみる? 似合うのがあったら学園長に用意してもらおうぜ!」
「確かに暇潰しには持って来いだな!」

 ハートマークを髣髴とさせる襟を立てながらエースが言った。それに乗っかるようにデュースやエペル、ジャックまでもがいそいそと上着を脱ぎ始める。
 男子校ならではの突拍子の無い提案に頭を抱えながら、しかしナマエは内心の高鳴りを感じていた。女子である以上ファッションには少なからず興味がある。異世界で、それも学生の身分で服を買う余裕は無く諦めていた悔しさを反芻すると、なるほど丁度良い機会かもしれない。
 手始めにハーツラビュルの寮服を羽織ろうとしたところ、エペルがハッとした顔で「待って!」と口にした。物静かで可憐な見た目に反して力強い声色に一同が固まる。

「衣装合わせの魔法はまだ使えないから、サイズが合わない……よね。寮の衣装室から裾上げ用のピンを持って来る!」
「え、エペル? そこまで本格的にしなくても!」
「ヴィルサンが『サイズの合わない服を着るなんて醜い真似は許さない!』っていつも言ってる……から。すぐ戻る!」

 教室を飛び出したのはエペルだけでは無かった。デュースまでもが跳ねる様に席を立つ。

「せっかくなら全部の寮服揃ってる方が楽しいだろ? セベク達に声を掛けて来る!」
「そんな、いいって! ……あー、行っちゃった」

 相変わらず底なしに真っ直ぐな性格だ。ただその熱意が自分に向けられていると思うと気恥ずかしくて、ナマエは苦笑いしながら頭を掻いた。本当に良い友人を持ったものである。
 中途半端に脱ぎ捨てた制服のジャケットを持て余すナマエは、ジャックの尻尾にじゃれ付くグリムや手癖のようにペンを回すエースの指先をゴーストカメラで追いながら期待ににやける顔を誤魔化した。
 十五分程経った頃だろうか。色とりどりの足音が1年B組の教室前に響いた。

「フロイド先輩お疲れっす! カリム先輩にケイト先輩まで?」
「こんな映えそうなイベントをけーくんが見逃すわけ無いじゃん?」
「寮服交換とかおもしろそーって思ったんだけど。オレじゃ不満だったぁ?」
「フロイド先輩みたいなデケェ人に着られたらオレの服破れちまいますよ!」
「僕は問題無いがな!!!」
「セベクは声がでけーんだって! 鼓膜が破れるだろうが!」

 一体どんな誘い文句を持ち掛けたのだろうか。セベクにカリム、フロイド、ケイトを加えた個性豊かなメンバーを前にデュースが深深と頭を下げる。
 曰く、折角だから全寮生を集めようと走ったが、イグニハイド生だけはどこを探しても見当たらなかったらしい。大食堂にすら顔を出さない彼らのことだ、早めの解散を幸いにさっさと自室に戻ったのだろう。
 概ね予想通りの展開であるが、エースが一人にやりと笑った。

「イグニハイドはいいっしょ。休日になればいくらでも着られるだろうしー?」
「ホタルイカ先輩の服ってオレのほどじゃないけどデカそー。小エビちゃんの膝まで隠れちゃうんじゃないのぉ?」

 イグニハイドのホタルイカことイデア・シュラウドが話題に上がりナマエは顔を赤くした。
 ナマエとイデアが恋仲にある事は最早周知の事実である。相変わらず仲が良いんだな、と言うカリムの無邪気な突っ込みが赤面を加速させる。
 しかし実の所、ナマエはイデアの寮服どころかあの大きなパーカーに袖を通したことすら無い。
 交際している以上、所謂「彼シャツ」には憧れるが、いざ脱ぎ棄てられたパーカーを手に持つとイデアはいつも「臭いかもしれないから絶対にダメ!」と咄嗟に取り上げるのだ。

「……そんなこと無いって」

 思い返すと無性に虚しくなってきた。ナマエの空虚な表情に勘付いたのか、からかい始めた当人であるエースは慌ててハーツラビュルの寮服を彼女に被せた。

「へー、意外と似合ってんじゃん。ハーツラビュルに転寮する?」
「ナマエなら僕はいつでも歓迎だぞ!」
「ハートの女王の法律覚えられる気しないから遠慮しとこうかな」

 侍女よろしくエペルが肩周りや袖口を合わせていく。赤く塗った薔薇のコサージュを取り付けたナマエに、ケイトがスマートフォーンのカメラを向けた。

「せっかくだし映える写真撮りたいよねー。そうだ! お題はリドルくんっぽいポーズってことで、やってみて!」
「えーっと……わたしに跪きなさい! とか?」

 女子ならではの低身長を振るい、メンバーを見下すように顎を上げるナマエをケイトが大笑いしながら撮影する。案外サマになっているらしく、次はこっちだ、いいやウチだと早速寮対抗戦が巻き起こった。やはりこの学園の生徒らには和気藹々より喧嘩が似合う。
 エースの寮服を脱いだナマエが次に纏ったのはサバナクローのワイルドな衣装だ。袖無しのジャケットの凉しさは今の季節に有難いが、普段使いには露出が多過ぎるし今の自分が着るには不恰好だ。
 いそいそとそれを脱いだ彼女に、続いてスカラビアの寮長服が差し出された。

「あ、あの……カリム先輩。このアクセサリーってもしかして純金だったりします……?」
「当たり前だ! って、そんなに緊張するなよ。壊れてもまた買えばいいだろ?」
「いやいやヤバいですって、服だけ貸してください!」

 装飾を一切伴わない貧相なスカラビア寮長を演じた彼女に次に差し出されたのはオクタヴィネルの装束だ。提供元が長身極めるフロイドである為に、エペルもサイズ合わせに困惑している。
 自分の背丈以上のストールをマフラーのように巻き付け、大きなジャケットをアズールよろしく肩に掛ける。都度感想を受け何枚も写真を撮られては気分はモデルだ、ナマエはケイトが構えるスマートフォンの前くるりと一回転を披露した。

「フロイド。取り立ては順調ですか?」
「あはっ! アズールそっくりじゃん。小エビちゃん、オクタヴィネルに来てもいいよぉ?」
「命を賭してでもパスしたいです」
「えぇ〜、小エビちゃんがいたら面白くなると思ったのに。つまんねーの」

 臍を曲げるフロイドを脇目に、続くポムフィオーレ寮服を纏ったナマエは不意に故郷を思い出した。長い振袖に太い胴当てが故郷の和服を髣髴とさせる。

「これが一番しっくりくるかも……」
 下に着るのが肌襦袢ではなくワイシャツというのは違和感があるものの、和モダンと思えばアリかもしれない。
 花魁宜しく正座で両手を突きナマエは頭を下げた。撮影係と化したケイトもこのポーズには感嘆する所があるらしく、今日一番のシャッター音が教室に響く。

「わっち、オンボロ寮のナマエと申しんす。少し遊んで行きませんかえ?」
「何そのしゃべり方、おもしれー! オレにも教えてよ」
「とりあえず語尾に『ありんす』って付けたらそれっぽくなりますよ」
「最後はディアソムニアの伝統的装束だな!」

 本日一番の盛り上がりを締め括るようにセベクがその頭に帽子を乗せた。軍服のようなディアソムニア寮の装いに自然とナマエの背筋も伸びる。

「人間! 若様の前にひれ伏すが良い!」
「声量足りてねぇぞー」
「もっと若様への忠誠を込めろ!!!」

 見様見真似の敬礼、一頻り試着と撮影会を終え、ケイトが「アップ完了ー! 皆イイネ付けてね?」と冗談めかして言った。
 自分の姿がアップされるのは面映いが、気分は他寮生だ。普段セベクがマレウスやリリアにするように跪きながら「撮影感謝致します」と再度敬礼した。そう、ここまでは問題無かったのである。
 藹々と賑わう教室に、ガラリと開扉の音が響いた。
 教師だろうか、身構える一同の目に映ったのは煌々と輝く炎である。

「……何してんの」

 その炎は、教室に立ち込める朗らかな空気を一瞬に冷ますように青く燃え上がっている。滅多に人前に姿を現さないイデアがどうして生身でここを訪れたのか。
 冷め遣る空気を気にも留めず、ナマエは相変わらずの能天気な声色を走らせた。

「皆がわたしの為に寮服の試着会してくれたんです。イデア先輩ってマジカメのアカウントありましたっけ?」
「……あっそ、これだから陽キャは。最悪」

 不快感を露わにしたイデアはその一言を捨て台詞に乱暴にドアを閉め去って行った。一転シンと静まり返る室内で、何が悪かったんだろうかと首を傾げる者が半分、やってしまったと舌を噛む者が半数と対立している。
 とても冗談を言えるような雰囲気ではない教室内には暫くの無言が訪れ、それを打開するようにケイトが「今日はお開きにしよっか」と言った。

「ナマエちゃん、イデアくんにごめんねって伝えてて?」
「でも皆悪い事はしてませんし……」
「いいから、ね? もうすぐ部活の時間だし解散しよっか! 皆もお疲れー!」

 度し難い空気感の中本日の会が終わりを告げる。状況をうまく飲み込めないナマエは、自らのジャケットを羽織りながら溜息を吐いた。


 イデア・シュラウドが他者との交流を過度に拒んでいることは有名な話である。
 交際している以上自分には心を開いてくれているものの、どこに地雷があるか分からないイデアに対し、極力要らぬことはしないよう譲っていたが今回ばかりは何に腹を立てているか想像も出来ない。何せ今日は男との一対一ではなくこんなに大勢参加者がいるのだ。
 セベクに寮服と帽子を、エペルにピンを返したナマエは物憂い気持ちで鏡舎に向かった。とりあえず謝っておこう、そしたら機嫌も直るだろう。

「ナマエさん、兄さんのところに行くつもりなんだよね?」

 しかしその短絡的な考えはすぐに霧のように消え去った。七つの鏡の前にはオルトが門番のように待ち構えており、小さな身体でナマエを阻んだのである。

「今日は遠慮してくれないかな。兄さん、今まで見たことないぐらい機嫌が悪いから……ナマエさんのこと解体しちゃうかも」
「冗談って思えないのが怖いなァ……」
「もう少し落ち着いたらまた遊びに来てよ」

 そう言い残しオルトが手を振った。全く、何が悪かったと言うのだろうか。
 オンボロ寮に戻ったナマエは、「僕との連絡用」の名目で譲り受けたパソコンを立ち上げマジカメを開く。ケイトがアップした写真にはすでにイイネやタグがついていた。楽しかった本日を思い返すとイデアへの疑問も薄まっていく。

「……まあいっか。いつものことだし」

 そもそもイデアが一方的に機嫌を悪くし彼女を拒絶するのは日常茶飯事なのだ。そう言う時はしばらくするとあちらの熱が冷めて、何食わぬ調子で会いたいとかメールが飛んでくるのだ。


 ソレを待っていたナマエは、半月以上鳴り響かない通知音に確かな焦りを感じていた。

「イデア先輩……ほんとに怒ってるんだ」

 ネットゲームの最終ログイン時刻はいつ見ても数分前、錬金術や飛行術の実習にはこれまで通り生身で出席し、イグニハイド寮生から特段変わった話も聞かない。
 ただナマエだけを拒んでおり、メールの返信は無く、没交渉が続いている。ここまで徹底的にイデアから距離を置かれるのは初めてのことで、ナマエの胸に不安が募る。

「子分! 今日はスカラビアで宴があるんだゾ! ジャミルの奴からツナ缶がいっぱい出るって聞いたから一緒に――」
「ごめんグリム……一人で行ってきて」
「最近ナマエ元気ないじゃん。具合でも悪いの?」
「大丈夫。心配してくれてありがと……」

 何でもない日のパーティにモストロ・ラウンジのフェア、軽音楽部のライブやミステリーショップの特売日、そして本日の宴。
 いくつもの誘いに乗り切れず、ナマエは今日もパソコンモニターを不安に揺れる瞳で見詰めている。もし一瞬でもイデアの呼び声を聞き漏らせば、金輪際二度と会えないような、そんな恐怖で最近は夜もろくに眠れていない。

「……どうして返事くれないんだろう」

 スパム以外の一切を受信しないメールボックスに落胆の息を漏らし、朝方になってナマエは机に倒れ込んだ。もう随分とベッドに横になっていない気がする。
 こんな時スマートフォンがあれば良いのにとナマエは独り言ちる。それと同時に、なぜ自分が睡眠や遊びの時間まで削ってイデアからの連絡を待たねばならぬのかと言う怒りが込み上げてきた。そうだ、理由も告げずに一方的に連絡を絶っているのはあちらの方だ。

「あーもう限界! 何でわたしがこんなに悩まないといけないの!」

 早朝五時、依然「最終ログイン:一分前」を記録するネクラ侍のステータスを前にナマエは机に平手を叩き付けた。この時間ならばオルトはスリープモードに入っている。イグニハイドに乗り込んでやる。
 とは言え相手は親愛なるイデアなのだから、シャワーと髪のセット、簡単であるがメイクも必要だ。
 度重なる不眠に肌が荒れている。どれもこれもあの引きこもりの理不尽の所為だと、込み上げる怒りを胸にナマエはオンボロ寮を飛び出した。
 朝陽が彼女を刺激する。この快晴の下でもどうせイデアはいつも通りカーテンを閉め切って自堕落に過ごしているのだろう。


 鏡舎に立ち並ぶ鏡に飛び込んだナマエは、イグニハイドの青を基調とした近代的な寮内を時間も忘れて駆け抜けた。彼の部屋は最奥にある。
 厳重なセキュリティを誇るドアーを素手で叩くこと数十秒、幾何学走る扉に隙間が覗いた。

「直接殴り込みとか勘弁してよ。さっきのPvPの件であったまっちゃった? 育成が足りてません、わー……」
「ピーブイなんとかじゃなくて、ずっと無視されてる件です!」
「え、あっ……あああ、嘘! ナマエ氏!?」

 すかさず室内に身体を滑り込ませたナマエは、驚きの余り盛大な尻餅をついたイデアを渾身の眼力で睨み付けた。部屋は案の定薄暗く、灯りはモニターと燃え上がる青白い髪ばかりである。
 普段以上に濃い隈を擦りながら、イデアは情けなくもそのままずりずりと後退りをはじめた。これではまるで、弱者を追い詰める加害者だ。

「はァ……。イデア先輩、どうして怒ってるのか教えてくれませんか?」

 とうとう金色の瞳に薄く涙を浮かべる姿に怒りが鎮火されていく。
 大きな溜息を以て屈み込んだナマエに対し、しかしイデアは不満そうに視線を逸らした。

「そ、そんなの自分で、かん……考えろよ」
「皆の寮服借りただけでそんなに怒るわけ無いし、何か他の事──」
「は? 『だけ』ってどう言うこと?」

 青かった視界が一瞬で赤く染まる。
 今度は自分が見下ろされる番だ。180余りの長身がぬるりと立ち上がり、業火の如く赤く燃える髪を激しく燃やしたイデアがナマエの肩に爪を立てた。

「僕に黙って他の男の服着て挙句写真を不特定多数の目に付くネットに公開までさせて! 何が寮服を借りただけ? ありえないんですが!」
「だけどマジカメの」
「その上男の前で着替えたんでしょ。僕以外に肌見せるとか何考えてんの? ここが男子校だって分かってんだろ!」
「でも、下は」
「言い訳なんて聞きたくない! 僕が怒ってる理由なら教えてあげたんだからさっさと帰ってよ!」

 これまでも声を荒げられることはあったが、ここまでの激昂は初めてだ。怒声に肩で息をしながら壁を殴ったイデアはナマエを睨み、寮長室奥のベッドに飛び込んだ。
 もしこれが寮服試着会当日であれば、ナマエは何度も謝りながら言われた通りこの部屋を去っただろう。

「……」
「聞こえなかった? 僕、もう帰ってって言ったんだけど!」
「………いい加減に、してください!」

 そしてイデアもまた、彼女の怒声を聞くのは初めてだった。

「ひっ! な、何が言いたいの? 僕何も間違ったこと」
「間違った事ばっかですよ! 仲の良い友達の服借りて写真撮ったのがそんなに悪いことですか? この調子じゃ何もわかってませんよね。パソコン借りますよ!」
「ま、待っ……まださっきの報酬が」
「うるさい!」

 今までどんな勝手も飲み込んで、一度の反論すらしなかったはずのナマエが怒りのままにキーボードを叩く。あるページを開いた彼女はベッドに丸まったイデアのフードを強引に引っ張った。

「公開範囲はあの場にいた人限定、借りたのは上着だけです! それに、この写真見てください。一番わかりやすいから!」
「……え。こ、これって? もしかして、僕」

 モニターに拡大された写真を見てイデアは文字通り言葉を失った。
 露出が多いはずのサバナクローの装束、しかしそこに写っていたのは世にも不恰好なファッションに顔を赤くするナマエの姿だった。

「僕の、勘違い……?」

 ワイシャツの上に袖なしのレザージャケット。レオナであれば様になっただろうが、生憎ナマエはワイルドさのカケラも無い女子であるし、この服は恵体のジャックの持ち物だ。「#服に着られてる」「#裾上げピンの限界」と面白がったタグがついている。
 よくよく見れば、他の寮服も第一ボタンまでしっかり留めたワイシャツの上から羽織るばかりである。勘違い。毛先に羞恥のピンク色を残し、イデアの髪は見る見る青く戻っていく。

「これでもわたしが悪いですか? さっさと出て行った方がいいですか?」
「勝手に怒って酷いこと言って、ご、ごめん……かっ! 帰らないで!」

 つい先刻までの威勢を完全に失ったイデアが土下座せんばかりに頭を下げる。
 何をしても嫉妬する、束縛の塊のようなイデアがまさかここまですんなりと非を受け入れるとは思いもしなかった。初めて見る光景にナマエも怒りを手放しへたり込む。

「……僕、遊びでも君が他の男の服着るとか、そういうの、耐えられなくて」
「はぁ……。だったらイデア先輩の服着せてくださいよ」
「だっだだだダメだよ! 無理ゲーが過ぎる! 臭いって嫌われること不可避な件について!」
「しません。先輩、落ち着くいい匂いがするんですから」

 イデアの上に覆い被さるように抱き着いたナマエは、パーカーに鼻を埋め深呼吸して「ほら」と笑った。




「よっ! イグニハイド寮のナマエ!」
「オンボロ寮の新ボスはオレ様に任せるんだゾ!」
「人間! 服に着られているようではまだまだ半人前だぞ!」
「はぁ……、変なことばっか言ってないで準備しようよ。午後から体力育成なんだから早く着替えないと」
「ちゃんと青のTシャツは持って来たか?」
「小エビちゃん脱皮中みたいで超面白かったぁ」
「ジャックとフロイド先輩まで! もうやめてって!」

 大食堂、いつにも増して騒がしい後輩達にトレイが「あいつらと来たら」と保護者のような感想を溢した。
 本日のナマエを取り巻く布陣は予想通りのメンバーだ。ケイトはスマホ画面を眺めにやりと笑う。

「なんだ、マジカメでもバズったか?」
「マジカメってのは合ってるけど、詳しいことは内緒」
「ははっ、それは残念だな」

 アイコンはデフォルトのまま、アカウント名は文字の羅列でプロフィールの文言は当然まっさら。昨夜突如フォローされたアカウントであるが、その正体はすぐに分かった。数枚の写真全てにその人物の所有物が余す事なく収められていたのだ。

「それにしてもナマエちゃんがいると退屈しないよね!」
「確かに良い刺激になるな。さて、俺達も午後に備えて教室に戻るか」

 グレーの厚手のパーカー、見慣れた青と黒のボーダーシャツに白いハイカットスニーカー。
 インナーまでもオーバーサイズを引きずったその女子生徒の写真には、全て共通のタグが一つだけ添えられていた。

「……仲直りできてよかったね」
「何か言ったか?」
「んー? 何でもないよ。あーあ、よりにもよって一日中座学とかツイてないなー」

――#イグニハイドが一番似合う

 渡り廊下に浮かぶタブレットを目で追いながら、ケイトはもう一度にやりと笑った。

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