短編 | ナノ

※グロテスクな表現を若干含みますので閲覧にはご注意ください




 人間を解体する場合、証拠を遺さないよう注意を払う必要がある。血液から感染する病気を防止する意味でもゴム手袋を重ねる事が望ましい。肋骨の処理には枝切り鋏が有用であるが、頭蓋骨のような部位については電動鋸を別途用意しておくべきだ。意外かもしれないが金槌も必須である。
 マニュアルを読み上げるように彼は道具の逐一を解説しながら男の首をロープで締め上げた。コレを殺せば数百万の現金が手に入るらしい。たかだか三桁の為には死体遺棄は罪が重過ぎる。目の前で息絶える見知らぬ男性に、わたしは最早同情をしていなかった。正気でいたら途端に精神が保てなくなってしまう。

「今回は私がやってあげるからしっかり見ていてね」
「はあ……、動画撮ってても良いですか?」
「何を言っているんだい。撮るならせめてビデオカメラを使いなさい」
「スマホじゃなくて?」

 見る見る血色が悪くなって行くソレ(遺体をわざわざ「彼」とか「男性」とか表現するのも違和感がある)を灰皿替わりに、夏油先輩は吸いたての煙草を消して大袈裟に溜息を吐いた。ビデオテープだったら燃やせば良いんだって、テープって何だろう。
 とりあえずデータに残るのは都合が悪いらしい。わたしだって別に真剣に解体方法を勉強したい訳では無い。もし今後、今日と同じような事が起こったとして一人でに人体をバラバラにするつもりは無いので黙って観察することにした。わたしの意図を察したンだろう、夏油先輩はもう一度大きな溜息を捨てた。

「服もそこそこの値段で売れるだろうね。洗濯しておいてくれないかな」
「えー、触りたく無いなア。クリーニ……なんでもないです」

 だから足を残すなと言わんばかりに夏油先輩が睨むので指示に従う事にする。下着以外を丁寧に脱がせてわたしに押し付ける、ソレを、極力丁寧に部屋の隅に重ねた。有名なメンズブランドの服ではあるけれど毛玉がついているし、良くて一、二千円にしかならない気がする。
 彼は素っ裸の死体を引きずるように浴室に運んで行く。廃墟のような古い木造家屋の浴室は、湯船こそ狭いけれど水色のタイル張りの床はだだっ広い(おばあちゃんの家と似ていると思った)。その他道具を運びがてら夏油先輩は手順通りゴム手袋を二重に装着している。まずは内臓から、と、言った癖に彼は首尾良く死体の皮をこそぎ始めた。

「包丁使わないんですか?」
「皮膚は脂で刃が通りにくいんだ。この後枝切り鋏使うから取ってくれないかい?」
「はーい」

 最初の説明に沿うように、ソレから彼は、関節部をメインに肢体を切断し始めた。ゴロンと腕が床に落ちる。この人は相当な熟達者らしく、見る見る死体が達磨のように加工されていった。





 そもそもこうなったのはわたしの責任だ。最近亡くなった父親が秘密裡に借金をこさえていて、ソノ所為で実家が差し押さえの対象になったのである。わずかばかりの保険金は葬儀に消えて、実家が父名義の為に相続放棄も出来ず、ソンナ中で月末までにどうしても三百万程都合しなくてはならなかったのだ。
 現実的に考えて、学校を卒業したてのわたしにそんな大金が用意できる筈もない。その時わたしは学生時代何かと目を掛けてくれていた「ちょっと悪い先輩」を思い出したのだ。

「えーっと……あった。この番号まだ繋がるのかな」

 夏油先輩は地元では有名な人だった。住んでる場所は治安が悪いと悪名高い×××地区で、お父さんが刑務所にいるとかあの家は呪われてるとか陰では言われたい放題だったけれど、根は他人想いの優しい人だと感じていたのだ。
 卒業間際に夏油先輩は「困ったことがあったら連絡して」と電話番号を渡してくれた。

「お久し振りです、覚えてますか? ナマエです……っと。さすがに五年ぶりだから返信来ないよね」

 あの人がその筋の人と繋がっているって噂なら聞いている。だからわたしは、あわよくば闇金でも紹介してもらおうとショートメールを送信した。

「えっ? あ、夏油先輩?」
「ああ。久し振りだね……相変わらず元気そうで安心したよ」

 送信して、あまりにすぐの着信にわたしの心臓は口か鼻から飛び出しそうだった。放課後にアイスを奢ってくれていた時と同じ変わらない柔らかい声が電話口で笑っている。まるで数年のブランクを感じさせない彼の調子にわたしはすぐに本題を切り出した。

「あの、父が亡くなりまして……色々あって、お金を都合しなきゃいけなくなっちゃって」
「それは御愁傷様に。大変だったね」

 数年振りに連絡していきなり金の無心なんて、今思えばわたしは何と不躾な人間なんだろう。なのに先輩は「何とかしてあげるから、次の土曜日に出て来られるかな」と学生時代と変わらない優しい言葉を掛けてくれたのだ。



「思ったより早かったね」
「あ、あの、すみません。夏油先輩なら信頼出来ると思って……」

 テッキリわたしは闇金屋さんかヤクザの事務所だとかを紹介されるだけと考えていた。ただ彼から集合場所として指定された場所が廃墟のようなこの家で嫌な予感がした。
 到着するや、夏油さんは剥き出しの札束を五本突き付けた。目を白黒させるわたしに彼は「タダ同然の金だから気にしないでよ」とヒラヒラ手を振ったのだ。

「来週末もまた来て欲しいんだけど、大丈夫だよね?」

 お金が無くても断れた気がしない。夏油先輩の張り付いたような微笑みは、学生時代よりズット恐ろしく見えた。二つ返事で頷くわたしの頭をくしゃりと撫でて、夏油先輩は霊柩車みたいに真っ黒な車に乗って一人でに帰ってしまった。






「ぼんやりしているけれど、具合でも悪い?」
「この前のこと思い出しちゃって……すみません」
「なら良かった。ハサミ、取ってくれないかな。内臓を抜くから」
「枝切り鋏って鎌みたいですよね」

 物思いに耽るわたしを差し置いて夏油先輩はどんどん死体をコンパクトに加工していく。屠殺場ってこんな感じなンだろうか。無表情無感情で効率だけを求めて仕事を上げる彼はやはり職人のように見えた。
 最後の関節を取り払った先輩に道具を差し出すと、彼は、受け取るや垂直に刃先を立ててテコの原理で一本また一本と骨を詰めていった。ドロリと血がタイルを濡らしていく。バツン、ゴリゴリ、発泡スチロールでもバラすようにいとも簡単に肋骨が生ゴミになり、理科の教科書でしか見た事がなかったようなピンク色の臓器がブリブリと飛び出してくる。暫くホルモンは食べたくないと思った。
 一頻り内臓を取り出だしたので、夏油先輩はすぐさま電動鋸に武器を変え頭蓋骨を削った。脳味噌のピンクが目に柔らかい。わたしにも全く同じものが入っていて、ただ容量が少ないから彼のショーに付き合わされているのだと痛感した。

「わたしの親戚、漁港で働いてるんですよ。お父さん死んでから何かと気に掛けてもらってて」
「お金の工面はしてくれないのに?」
「金の切れ目が縁の切れ目って言いますから。それで、昨日クール便で鯛とかイカとか送ってもらっちゃって。あ、流します?」
「お願いしようかな」

 お湯の蛇口を捻ったはずなのに水しか出てこない。住むには適さないこの場所は梅雨入り前でも肌寒く、こんなことなら長袖のインナーを用意しておけばよかったと後悔した。
 食器用洗剤で刃にこびり付いた油脂を擦りながら夏油先輩が「それで?」と続きを求めた。こんな作業中に世間話を続ける余裕があるとは見上げたものである。

「魚とか捌いたこと無いから調べたんですけど、鯛の捌き方じゃなくてタイの裁き方って検索しちゃって」
「結果は」
「割と日本と同じでした」
「そうじゃなくて、三枚おろしにしたんだろ。君、不器用だったしどうせ失敗したんじゃないかな」
「動画じゃよくわかんなかったから仕方ないですって」

 よれよれの柵になったわたしのタイと目の前の肉塊は似ても似つかない。百聞は一見に如かずとかよく言うので、今のわたしは魚より人間の方が上手く捌けてしまいそうだ。

「これで大体片付いたね。歯を抜いたら骨は焼いてしまおうか」
「火葬ですか?」
「裏の沼に巻くから水葬の方が近いかもしれないね」

 ひとまずの仕事を終えた夏油先輩は、血みどろの手で癖のように髪をかき上げ「しまった」と小さく漏らした。キレイな黒髪が汚い血で濡れている。正確無比の職人さんもこんな初歩的なミスをしてしまうんだ。そう思うと少し可愛らしく見えて笑ってしまった。
 笑い声は自分で思っていたより大きかったようで、血を洗い流していたシャワーヘッドがこちらの顔面に向けられる。勢い良い冷水を顔から被ったわたしは文字通り目が覚めたような感覚に陥った。いや、正しくは正常な精神状態に戻ったと言うんだろうか、今更になって夏油先輩が恐ろしく見える。足が震えて、大量の冷や汗が流れるのに不思議と吐き気は催さなかった(最早目の前の肉塊を人間と認識できなくなっているのだろう)。

「やっぱり、お金、いらないです。今日のこと誰にも黙っておくので、あの」
「残念、ガス管ダメになってるみたいだね。適当に流したら近くのホテルでも行こうか。ナマエ、お腹空いてるでしょ。手間賃で焼肉奢ってあげるよ」
「……今一番食べたくないやつなんですけど」

 今一番したいのはこの場から逃げることである。先輩の事は好きだし久し振りに会うと前より艶っぽくて、素敵だなアって思うけれどヤッパリわたしとは住む世界が違うんだ。
 目敏い人なのでわたしの足がすくんでいる事なんて気付いているンだろう。なのに彼は相変わらず張り付いたみたいな優しい顔をしたまま、濡れた手でわたしの額に滲む汗を掬った。

「安心して。絶対にバレないし、もしサツに嗅ぎ付けられてもうちの下っ端がやったって事にしてあげるから」
「これからわたし、どうなるんでしょう、か」
「そうだね、可愛い後輩だから上手く解体出来るようになるまでは監督してあげるよ」

 今日の逐一はメモぐらい取っておくべきだった。忘れられないぐらい衝撃的な体験だった筈なのに、頭の中は血と内臓と先輩の横顔ばっかりで手順なんて一つも思い出せない。
 それから、と先輩は怪しげにくつくつと微笑う。聞いちゃいけないって、解ってるのに怪しげな空気があまりに夏油先輩を彩るから目が離せない。

「ゆくゆくは私の愛人にでもなってもらおうかな。実は君のこと、前から気になっていたんだよ」
「え、正気ですか」

 いつ連絡が来るかと五年間番号を変えなかったんだ。そう彼は言うと浴室隅の肉塊を踏み潰して、「彼には感謝しないとね。勿論君のお父様にも」ともう一つ笑う。
 正気でいたら精神が保てなくなってしまう。頷く事しか出来ないわたしは心の隅でお父さんに謝った。わたし、天国には行けそうにありません。夏油先輩と地獄に堕ちる自分を想像したら笑うことしか出来なかった。

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