短編 | ナノ

 腹が減る。
 生来燃費の悪い自分が何故ここまで成長できたのか、ジェイド・リーチは不思議でならなかった。生まれた時は何万匹もいたと聞かされる兄弟は物心付く頃には両手で数えるばかりになり、エレメンタルスクールの制服はたった五着しか用意されなかった。気付けばその内三匹が誰かの腹の中に入っていて、今やフロイドと自分の二人きりである。
 陸と言う安全地帯に逃げ込んだ自分達は今生は余生を謳歌できるだろう。ナイフとフォークをガチャガチャと鳴らすフロイドを眺めながらジェイドは、ふと息を漏らした。

「フロイド、食事中にマナーが悪いですよ」
「食べるの飽きたー。今銀の髪すきとチェンソーが戦ってるとこだから邪魔しないで」
「高価な食器だそうですからアズールに叱られても知りませんよ。……それより、食べないのならいただいてもよろしいでしょうか?」

 腹が減る。
 生来燃費が悪かった。お前の周りからはプランクトンも海藻も無くなってしまうと笑われたことがある(記憶に無いだけで兄弟の事も食べていたのだろう)。失敗した料理もお前が平らげるから安心して新しいメニューに挑戦できると母が言っていた。ジェイド・リーチは悪食だった。加えて力もあったので、目の前にある物は全部胃袋に入れることができた。

「いいよ。でもさぁ、最近食べ過ぎじゃない? たしかに陸の料理って全部うまいけど」
「二足歩行は体力を使いますので。それに僕達、育ち盛りですし」
「俺より身長高くなったら嫌なんだけど」
「心配しなくともこれ以上背丈を伸ばすつもりはありませんよ」

 ただの一センチの差で大袈裟にジェイドを見下しながらフロイドが言った。先の死闘は銀の髪すきが勝利したらしく、テーブルにチェンソーことナイフが放られている。
 きちんと洗い物はして下さいと、釘を刺してすぐにジェイドは食べ残しに口を付けた。腹が減る。足りない。確かに胃はイッパイになっている筈なのに少しも満たされず胃酸によるものか腹痛まで襲ってきた。

「ほんっとジェイドってで昔からよく食べるよねー。あんま変な物食べちゃダメだよ。しょーかふりょーってのになるらしいから」
「胃腸には自信がありますのでご心配なく」

 とは言ったものの、最近の飢餓感は異常である。海中と違い常に重力や日光を肌で感じる陸上のせいだろうか。そう考えたジェイドは空腹と痛みを誤魔化すようにベッドに横たわった。




「うわ、これキノコ入ってんじゃん! 俺いらないからジェイド食べていーよ」
「好き嫌いは感心しませんが、ありがとうございます」

 この時間の食堂は常に満員であるが、好んで自分達兄弟の隣に座るものはおらず昼食はいつも快適なものだ。席や料理を取り合う生徒の喧噪をバックミュージックにジェイドは普段通りの大食っぷりを見せ付けている。大皿に盛ったパスタやスープ、パンに揚げ物はみるみる華奢な身体に飲み込まれる。もしこの世界にフードファイトなる競技があれば一躍有名人になれるだろう。
 そうしている間にフロイドが「先に取り立て行ってくるー」と席を立った。入学して一年半、日に日に長くなるジェイドのランチタイムにいつしかフロイドは中座するようになっていた。それを片目で見送りながらジェイドも椅子を引く。腹が減る。それに伴うように腹が痛い。不人気メニューならばまだ残っているはずだ。

「消費期限ギリギリらしいし、どうしようかなあ」

 ビュッフェボードの傍で聞き慣れた声が何かを話している。あの生徒はいつかアズールに契約を持ち掛けて来たオンボロ寮の監督生だ。周りにも何人か見知った顔がいる。
 腹が減る。連中は何かに困っているようだ。ならば取引でも持ち掛けてやろう。そんな打算的な調子でジェイドはソッと聞き耳を立てた。

「購買のでハンバーガーおまけしてもらったのはいいけど、こんなに食べられそうにないんだよね」
「オレ腹いっぱいだからパスー」
「僕もこの後トレイ先輩の新作タルトの試食会があるから遠慮しとく」
「だったらオレが貰ってやってもいいッスけどー?」

 ピンと立った耳が特徴的な獣人、ラギーである。一年連中が陣取るテーブルの真ん中に割り込み監督生の持つ包みに手を伸ばす。と、その手を監督生がパチンと叩いた。

「ラギー先輩はダメですよ! これオニオンソースだから、イヌ……あれ、ハイエナってネコ? とにかくどっちにしても玉ねぎは厳禁なんですから!」
「……はぁ? 喧嘩売ってんスか?」

 朗らかなテーブルに瞬間緊張が走る。
 ラギー・ブッチは監督生の襟首を掴み不機嫌そうに牙を剥き出しにしていた。その様子を普段一蓮托生のようにつるんでいるエースやデュース、正義漢のジャックすら止めずにやれやれと言わんばかりに首を振る。
 いよいよ立ち聞きも限界で、ジェイドは気取られないよう慎重に足を勧めた。どうせ素直に渡して貰えなかったことに腹を立てているのだろう。陸の生き物の怒りのツボは分からない。
 食べ物の始末ならばあわよくば自分が引き受けようかと考えていたが面倒事に巻き込まれてランチタイムを不意にする訳にも行かない。残ったメニューを大皿に盛ってジェイドは席に戻った。


 午後のチャイムが鳴る十分前、食器を下げに席を立ったジェイドは一人切りで項垂れる監督生に声を掛けるべきか悩んでいた。先程まで騒いでいた友人らはとうに食堂を後にしているらしい。テーブルには取り合いになっていたハンバーガーがポツンと置かれている。
 あの監督生の事だから関わると面倒事になりかねない。分かっていながらも、授業前に摘まむのに丁度良いサイズ感のソレに目が奪われる。

「あ……ジェイド先輩」
「おやおや、見付かってしまいましたか」

 余程の存在感を放っていたのだろう、自分は。監督生から声を掛けられては無視をしたり誤魔化したりする方が厄介である(この生徒は変なところに目ざといのだ)。

「そちらの、食べないのならいただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ……」
「ありがとうございます」

 時間も無いし丸呑みしてしまおう、あまりもたもたしていたら食後の歯磨きの時間が無くなってしまう。
 ソレを飲み込むと不思議と飢餓が薄れていった。今度からは食堂でなく真っ先に購買部に向かおう。数日ぶりに満腹感を覚えたジェイドが監督生に笑い掛ける。監督生は戸惑いながら「ゴミ、捨てときましょうか」と言った。

「ゴミ?」
「あっ、いえ、何でもないです。ウツボだし大丈夫……ってこんなんだから怒られちゃうんですよね」

 何かを含ませる監督生を脇目にジェイドは時計を見遣った。

「ああ、今は持ち合わせがありませんので今度モストロ・ラウンジにお越しください。今回のお返しに一杯ご馳走しますよ」
「貰ったものなので気にしないでください! それよりジェイド先輩、お腹とか……気を付けてくださいね」
「特に問題はありませんが」
「だったら大丈夫です、授業があるので失礼します!」

 借りは返せとはアズールが常日頃から座右の銘の様に掲げている言葉であるが、先程の「おまけで貰って困っている」といったやり取りを思い出しジェイドはその言葉ごと飲み込んだ。自分もさっさと授業の準備に取り掛かろう。





 腹が減る。
 廃棄予定の食材を口にしながらジェイド・リーチは幼少を回想していた。思えばあの海には食べられる物がいくらでもあった。プランクトンは勿論小魚や海藻、今の自分ならばそれなりに大きな魚でも人魚でも食い散らすことが出来るだろう。
 陸の風味豊かな料理を前にするとああ言った味気の無い食事ではもう満足できないとか、フロイドは言うが今や空腹が満たせるのならば何でも構わない。腹が減る。加えて腹が痛む。最近内臓が突っ張るような痛みで目が覚めることがある。喉元に迫り上がる酸味を飲み込みジェイドは平時のように笑った。

「フロイド、惜しくも死んで行った兄弟達の事は覚えていますか?」
「いっぱい過ぎていちいち覚えてないけど」
「次のホリデーにでも弔いに帰ろうと思っていたのですが残念です」
「あー、一匹だけ覚えてるかも。なんか透明のクラゲちゃんみたいの食ってて母ちゃんに叱られてたやつ! エレメンタリースクールの途中で腹痛いって言って死んじゃったよねぇ」

 仕事中にも関わらずフロイドは銀の髪すきと何かを闘わせている。今日の獲物は包丁らしい。さすがに髪すきが負けると思いきや援軍がやって来た。

「フロイド! 食器で遊ぶなと何度も言ったはずですよ! 傷が付いた分の費用はお前の給料から天引きしますからね!」
「えぇー。ちょっと欠けたぐらい誰も気付かねぇと思うんだけどー」
「お黙りなさい。ジェイドも食べてばかりでなくしっかりフロイドの子守りを頼みますよ!」

 だから言わんことでは無い。キッチンの見回りに来たアズールによってフロイドはこってり絞られていた。そんな、愉快な現場を前にしても、腹が減る。腹が減る。なのに食事が喉を通らない。
 先日監督生から拝借した物と同じハンバーガーを見付けたジェイドは無心でソレを袋ごと飲み込んだ。舌触りはクラゲより無味で昆布より固く海水より馴染み深い。コレを飲み込み続けたら胃痛も渇望感も取り払われるのだ。喉を通り胃袋に落ちる異物感が心地好く──

「え、ジェイド?」
「ジェイド……ジェイド、どうしたのですか! フロイド、すぐに医者を呼んでください!」
「きゅーいちいち? いちいちぜろ? わっかんねえよ! ジェイド、目ぇ開けてって! ジェイド!」

 自分が倒れた事に気付いたのは視界の隅に二人の足を見た時だ。ジェイド・リーチは悪食だった。加えて味覚を重視しなかったので、目の前にある物は全部胃袋に入れることができた。
 異物を飲み込み、吐き出さんと胃液がせり上がって来る感覚すらジェイドにとっては食事の一部だったのだ。暗く狭まる視野の中で、まだ夕飯を食べていなかった事を思い出しながらジェイドは意識を手放した。



「えっ? ラギー先輩? 皆?」
「あのなあ監督生、そう言うのよくねぇぞ? 獣人っつっても人間なんだから同じモン食うに決まってんだろ」
「こいつ異世界から来たんで常識知らないんすよ。今回は勘弁してやってください……ほら、監督生も謝れって」

 先輩であるラギー・ブッチの手を叩いた事が原因ではない。気遣いが真逆の意味を持つ事に監督生は頭を下げた。異世界から来た自分からしたら獣と人間の真ん中にいる彼等は腕力や魔力の差こそあっても庇護の対象だったのである。
 イヌネコと獣人を同列に語るなと言う新しい常識を叩き込まれながら監督生は深深と頭を下げた。次からは気を付けろと吐き捨ててラギーが食堂を後にする。続いてジャック、エースにデュース、それからグリムまでもが気まずそうに後に続いた。

「はあ……。やっぱり異世界って難しいな」

 テーブルに残ったハンバーガーを眺めながら監督生は独り言ちる。魔法や魔獣といった突飛な問題はかえってすんなり受け容れられたが、これまで何年と培ってきた倫理観はそう簡単には塗り替えられない。
 その為にどうやってこの「おまけ」を処理するか思い悩む中、背後の威圧感に気が付いた。恐る恐る振り返った先には身長二メートル近いあのリーチ兄弟の片割れが立っている。

「あ……ジェイド先輩」
「おやおや、見付かってしまいましたか」

 まるで獲物を見付けた捕食者のような視線だった。ただ幸いにも、その金の目に据えられているのは監督生本人ではなくテーブルの上の食糧である。

「そちらの、食べないのならいただいてもよろしいでしょうか?」

 口先では笑って見せているが目は依然として爛爛と輝いており、もし駄目だと言おうものなら身体ごと引き千切られそうだと背筋が凍る。飢えた獣のようなジェイド・リーチに命乞いをするかのように監督生は「はい、どうぞ……」と包装を手渡した。

「ありがとうございます」

 昔、神社のお堀を泳ぐ鯉にパン屑を投げたことがある。魚は何でも食べると父が言っていた。ゴミを川に投げたことがある。魚は何でも食べるから消化の出来ない物は捨ててはいけないと担任の先生から怒られた。
 ウツボの人魚であるジェイドにはどちらが適用されるのか。少なくとも包装ゴミぐらいは代わりに捨てなければ失礼になるだろう。思い監督生は「ゴミ、捨てときましょうか」と渾身の声を掛ける。

「ゴミ?」
「あっ……」

 自分の拳よりも大きなハンバーガーをジェイドは丸ごと飲み込んでいた。

「いえ、何でもないです。ウツボだし大丈夫……ってこんなんだから怒られちゃうんですよね」

 ここは魔法と奇跡で出来た異世界なのだ。こんな素晴らしく不思議な世界で不法投棄されるゴミとか、ソレが腹に詰まって死ぬ魚がいるとか、そんな、元の世界で散々啓発されていた問題がある筈が無い。そもそもウツボは強い生き物だと聞いたことがある。プラスチックゴミぐらい簡単に消化してしまえるに違いない。

「それよりジェイド先輩、お腹とか……気を付けてくださいね」

 その証拠に「特に問題はありませんが」と語るジェイドはいつにも増して白く細く元気だった。

「だったら大丈夫です、授業があるので失礼します!」

 大体この人を一般的な軟弱な魚扱いしたらどういう目に遭ったものか分からないし、都合良く考えよう。そしてもっときちんとラギーに謝ろうと心に誓い、監督生は食堂を後にした。

back
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -