短編 | ナノ

「ハザマさん、その……好きです、お付き合いしてください!」
「はあ」

 だだっ広い執務室で彼は、わたしの一世一代の告白に溜め息混じりの反応をしたかと思えば、その重厚な引き出しをギィーと引っ張って一冊のノートを取り出した。何の変哲も無い大学ノートだった。術式とかパソコンとか普及している世の中で紙媒体って、珍しいなアと思いながらソレとハザマさんとを交互に眺めていると、彼は、普段みたいに笑いながら「期限は休み明けにしましょうか」と言った。期限って何の期限だ。
 全く意味が分からずに目を白黒させるわたしにハザマさんは片手でノートを押し付ける。あの、と、あくまで告白への返答を求めるわたしの真意は伝わっているらしい。彼は真っ黒い帽子を手に取って、長い人差し指でクルクル回しながら、「説明が必要なんですね」などと残念そうに吐き捨てた。

「困った事に、最近多いんですよ。最初は言われるままお付き合いをして差し上げていたのですが、どの方も思っていたのと違うだのこんなつもりではなかっただの被害者面をされますので……あらかじめ調査をした方がお互いの為になるかと思いまして」
「え? はい?」
「まったく、殊勝なものですよね。確かに私は顔も身体付きも、それに社会的地位も悪くはありませんが……それだけですのでどこが良いのか理解が出来ないのです」

 一人で勝手に納得して勝手に話を作っていく人なんだろう、彼は、演技じみたいつもの調子で大袈裟に肩を竦めて見せた。ハザマさんはやっぱりモテる男なんだ。女性関係のトラブルが多いとは小耳に挟んでいたけれど、直接本人から聞くと辛いものがある。わたしは本当にほんとうにハザマさんの事が好きなのだ。
 と、無い頭で必死に考えるわたしはさぞ滑稽に見えたンだろう。ハザマさんはわたしに向かって「何ですか、その顔は」とお腹を抱えて笑い始めた。ここで顔が真っ赤になればまだ可愛げがあるんだろうけれど、わたしは血管まで小心者なので血の気がグングン引いていく。どうしよう、コレならさっさとフラれた方が良かった。

「ソレと、ノートってどう言う……関係があるんですか?」

 フラれるならもう二度と話し掛けられないだろうし、せめてこの意味不明な状況だけでも消化しておきたい。意を決して、差し出されたノートをパラパラ捲ってみた。新品の紙が懐かしく香る。真っ白だった。
 てっきり「そんな事も理解できない女性に興味はありません」とか言われるものだと思っていたけれど、彼は、普段にこやかに閉じている目を片一方だけ見開いて不敵に笑う。ソレから一呼吸置いていつもの無機質な顔色に戻っていった。

「ナマエさん、私のどこが好きなのかをこちらのノートに書いて教えてください。勿論強制ではありません」
「う、えー……え、あ……え?」
「私は私自身について、それなりに完璧とは思っておりますが理解出来ていないのです。ナマエさんから見た私がどう映っているか、あらかじめ知っておきたいのですよ」
「あ……あー、はい」

 コレがもしそこらの男からの提言であれば、わたしはその場で「は?」とか悪態を吐いて周囲(※同僚友人家族その辺に飛んでる鳥など)に愚痴を漏らしていただろう。けれど、ハザマさんは真剣なのだ。多分真剣なのだ。いつも笑ってる人だしソコまで話したことも無いのでひょっとしたら違うかもしれないけれど真剣なのだ。
 わたしの中には使命感じみた決意が渦巻いている。ハザマさんはとっても素敵な人で私は彼が好きなのだ。やってやりますよ。最早売り言葉に買い言葉のような心境で、わたしはノートを片手に敬礼していた。木曜日の事だった。


( 怪しい中でもわたしは妙な優越感を覚えていた )



 世間は祝日と土曜日曜の連続を謳歌しているらしいが統制機構に暦は無い。部署に戻ったわたしのテンションは、段々と、告白で滾っていた瞬間から冷え始めていた。自分の好きなところを書けって、大体何なんだよ。自意識過剰かよ。冷静に非難する気持ちの傍あの恰好良くて強くて頼れるハザマ大尉様だからコレぐらいの試練は当たり前と納得する恋する自分が戦っている。落ち着け、わたし。まずは状況を整理するべきだ。
 色々と思う所はあるけれど、まず以って期日はいつなのだろうか。シフト制で動く諜報部でわたしの次の「休み明け」は四日後である。普通に考えたらその日までに文をしたためるべきなのだろうが、相手はあのハザマさんだ。

「すみません、大尉の出勤予定って分かります?」
「ハザマさん? だったら、明日が休みで明後日からは未定だね」
「へー、あー……」

 しかし相手はあのハザマ大尉だ。部下ひいては統制機構の為に尽力していると口にして憚らない彼であるが、その真髄は自己中心的で徹底的な効率主義者である。つまり「休み明け」とは明後日の事だろう。
 と、ここまで考えてわたしはヤッパリ「何でこんな人のこと好きになったんだっけ」と思い始めていた。ダメだ、ナマエ=ミョウジ。余計な事は考えるな。わたしは確かにハザマさんの事が好きなのだ。


( 話は二月前に遡る )



 最低限の教育を経て社会に放り出されたわたしは滑り込むように商社で働いていた。今の世界は統制機構が概ね支配していて、術式適正のある一部の特別なヒト以外は毎日を生きるので精一杯である。不遇こそ感じるけれど代々平凡な身分のミョウジ家では、ソンナ世間の秩序に何ンら疑問も持たずに日々をやり過ごしていた。
 大体同級生も親戚も皆同じように社会の歯車をやっていたのである。ただわたしは、ある時不意に思い立ったのだ。統制機構に入りたい。
 キッカケは旅行先の風化しかけた広告だった。「統制機構に入りませんか? 来れ、一般候補生募集!」鉄砲玉を募るこの手の広告は大学の各所にも貼られていた。けれど所謂軍隊みたいな、皆からも嫌われている、いつ死ぬかも分からないそもそも何をやってるンだか怪しい機関に進んで飛び込む輩は馬鹿と言われていた。
 ただ統制機構は制服が可愛いのだ。
 中学高校大学と私服通学をしていたわたしは、時折街で見掛けるソノ人らの、統制が取れているが個々の個性に合致したデザインの服に惹かれていた。ソレから何か、三年勤めると多額の退職金を貰えるとか言う噂にも興味があったのだ。かくしてわたしは家族その他の反対を押し切って、卒業を境に統制機構に入隊したのである。配属は諜報部の一部隊だった。

「おや、一般候補者の方ですか。仕事には慣れましたか?」
「あ……わっ! お疲れ様、で御座います! ナマエ=ミョウジ候補生と申します!」
「そう畏まらないで下さい。休憩中ですし」

 運良く本部に配属されたわたしは下っ端中の下っ端として雑用を生業としていた。給料も最低ラインで元いた商社での暮らしに後ろ髪を引かれている中、彼と出会ったのである。
 真っ黒のスーツに黄緑色の髪、無機質な白い肌とジャラジャラ煩いシルバーアクセサリーは彼を象徴するものだった。

「あの、え、でも、ハザマ大尉は上官ですので……! 申し訳御座いません、すぐにあの、片付けます!」
「諜報部ですので階級で呼ぶのはよしてください。私のことは、ハザマさん、とかで構いませんので」
「え……え、でも、大尉」
「ハザマさん」
「ハザマ……さん」

 諜報部の休憩室にて、他に人はいない中、ハザマ「さん」はわたしの前に腰掛けてニコリと笑った。
 この人のウワサ話は黒い方面で豊富である。何を考えているか分からない、顔が良い、都合の悪い人間はすぐに死地に飛ばしてしまう、女癖が悪い。あまり関わり合いにならない方が良いと、士官学校卒の生粋の衛士ならば思うのだろう。ただわたしは民間企業上がりの一般候補生である。
 商社でも、評判の悪い上司はいくらでもいた。しかし得てしてそう言った人間の方が権力を持っているモノで、わたしには(不甲斐無いものではあるが)ソウ言った人間に取り入る社会的スキルが身にこびり付いていたのである。

「ハザマさんも休憩室でお昼取られるんですね。自炊ですか?」
「ええ、まあ。よかったらおひとついかがですか? 今日は自信作なんですよ」
「ありがとうございま……す?」

 ハザマさんは堤袋から大量のタマゴを取り出して、一個一個丁寧に並べるや「どれになさいますか」と朗らかに笑った。ヤバい人だと思った。


( その翌月ぐらいだった気がする )



 タマゴの茹で加減を誉めたわたしはハザマさんに気に入られたらしく、仕事の折には「調子はいかがですか」と声を掛けて下さるようになっていた。彼がこうして誰かに話し掛けるのは珍しく無いが、一方で様々な派閥からわたしは突っ付かれている(あの大尉とは関わるな、なんであんたなんかがハザマさんと話てんのよ、中層民の処世術ヤバいな、気を付けた方が良いよ)。心配半分嫉妬半分と言うこのヤジもまた従前の職場でよく投げられていた。わたしはしょうもない人間なので、上に媚びへつらうことしか出来ないのだ。
 周囲の暴言はともかくとして、ハザマさんから嫌われてしまうと危険な任務に放られかねない事も書類の上で把握している。職場の均衡と自分の気持ちと、天秤にかけながら過ごす中で当然と言うか、わたしの脳内はハザマさんに支配されていた。

「ミョウジさん、今日はお早いですね。諜報部は獣人も多いですし、こうして掃除をして頂けるのは助かりますよ」
「季節の変わり目で毛が気になったので……ハザマさんってもしかして動物アレルギーなんですか?」
「さすがは諜報部配属、素晴らしい観察眼ですね! その通りです。お恥ずかしながら動物……特にネコが苦手でして」
「(リスって猫科じゃないよな)」

 三十分前出社が根付いていたわたしは、出勤がてんでバラバラの諜報部の中でもキッチリ到着して暇な時間を掃除に費やしていた。バラバラ、と言うのは諜報部の職務柄である。その中でもハザマさんは帰宅しているのかが疑わしい程、いついかなる時刻でも執務室の椅子に座っていた。
 ハザマさんは独身男性である。端正な顔立ちに低いとは言えない階級、誰に対しても物腰で話し掛けて仕事も出来るのだから、彼に惹かれるのは諜報部に配属された人間の一種の通過儀礼なのだと先輩方から聞いていた。聞いていたのが良くなかった。先輩方は、ハザマさんの、もっと踏み込んだ黒い噂等々を新人に幅広く吹き込んでいたのである。

「掃除以外でも、私、ミョウジさんには感謝しているんですよ。外部から入隊いただける方はなかなかいらっしゃいませんので、良い刺激になっています」
「あ、あの、でもわたし術式とか全然ですし……」
「それは追々身に付けて下さい。ああミョウジさん、あまり気を張らないで下さいね。貴女がいないと私の大切な話し相手もいなくなってしまいますので」

 普段通りの他愛の無い世間話の筈だった。しかしその日のハザマさんは少しだけ様子が違ったのだ。まるで自分に対する悪い噂全てを把握して、ソレに心を痛めているような危うさがあった。
 いつも通りの朝であればハザマさんはそのまま執務室に消えていく筈だった。だから敬礼をしてソレを待っていたのだけれど、彼はスタスタとわたしに近付いた。彼はわたしの目線に合わせるように膝を屈めた、彼は困ったように笑った。

「ですので、ナマエさん……と呼んでもよろしいでしょうか?」
「……は、はい!」

 その瞬間にわたしは恋に落ちてしまったのだ。


( そうして深夜に戻る )



 仕事を終えて宿舎に戻ったわたしは白紙のノートを見下ろし頭を抱えている。思い返せば返す程感じる。アレってハザマさんの「女癖が悪い」面だったのでは無いだろうか。
 感謝しているとか名前で呼ぶとか、どう考えてもオトしに掛かっている。ソノ上で弄んで苦行(ノートにどこが好きか羅列しろとか期日がすぐとか)を強いるのだ。
 どう考えても悪い男なのに恋するわたしは純情で、疑念を背中にペンを握っていた。ハザマさんのどこが好きなんだろう。具体的に挙げればキリが無いが抽象的に考えると一言だ。好きなものは好きなのである。
 『顔が恰好良いところが好きです』、ハザマさんは大多数の衛士から大層恐れられている。『声を聴いていたら安心します』、ハザマさんの経歴が不明瞭で怪しいと上司が至らぬ勘繰りをしていた。『毒があるけれど本当は優しい気がしてそこが好きです』、ハザマさんが来る前の諜報部の記録は全て改竄されているとか聴いた事がある。『デキる男は素敵です』、ハザマさんに関わった人間は大概不審死を遂げているらしい。
 一ページ目の三分の一を埋めた辺りでわたしは、内心に渦巻く疑念をとうとう無視できなくなっていた。考えれば考える程とてつもなく怪しい人間である、彼は、部署内にも本名を明かさないし一体何の任務をこなしているかも知らない。ただイメージだけで「上から信頼されている」と思われているだけの人物なのだ。

「……もっと早くハザマさんに告白してたらよかった」

 ソノ癖わたしはハザマさん一直線だった。もう一歩早かったら無条件でハザマさんと付き合えていたのだ。お試し期間でも何でも良いからハザマさんと付き合いたかった。二人ッ切りで、職場以外で過ごして、わたしのことを好きになって貰えなくても構わない。ハザマさんのほんの些細な挙動を上品だと褒めたり、素敵だと笑ったり、時折ケンカしたり気まずくなったりしてみたかった。思っていたのと違うとか失望してみたかったし思っていた以上に大好きだと甘えてみたかった。
 思うと段々悔しくなってノートが黒く染まっていく。大体皆、ハザマさんの事を何だと思っているのか。顔とか声とか上っ面ばっかり見て、もしソレが想像を下回ったら文句を言って、何様のつもりなんだろう。

「……以上より、私ナマエ=ミョウジはハザマさんと対等に渡り合える人物たるものだと自称致します。……あれ?」

 気が付けばノートの最後のページを飛び越えて、裏表紙の裏側、テカテカとコーティングされた厚紙の際に結びの文章を書いていた。どうしよう、コレ、ほとんど「ハザマさんの身の回りにいる人間の愚痴」しか書いていない。私のどこが好きかを教えて下さいと言う命題に一個も答えられていない。

「二時半……ヒトって九十分周期で寝たら良いんだよな」

 わたしの出した「正答」は単純だった。もう一冊書けばいい。今ならハザマさんのどこが好きなのか毛穴の一本まで書いてしまえる気がする。
 夜中のコンビニに、エナジードリンクと大学ノートを求めたわたしは最早無敵の気分だった。結局書いている途中で寝てしまって、翌日の仕事にわたしは盛大に遅刻した。


( かくして運命の日が訪れた )



 三十分前に出勤していたわたしは、本日、始業より五時間も前に統制機構を訪れている。徹夜だ。もし寝てしまえばまた遅刻してしまいそうだったのだ。ハザマさんは、いつも執務室にいるけれどただの一人も通さない。
 他人の侵入を唯一許すのが朝礼前の時間なのだ(ソレを利用してわたしは彼の執務室に出入りしていた。ハザマさんは几帳面そうな外見と裏腹に、結構身の回りにゴミを散らす人なのだ)。だからってこんな夜明け前に清掃に訪れたらストーカーと叫ばれても文句は言えないだろう。

「失礼します」

 念の為コンコンとドアーを叩いて入室するのは配属から現在までに根付いた習慣である。ノックに返答は無い。さすがに早朝だし、そもそもハザマさんもいないでしょ。わたし相当ヤバい奴かもしれない。
 思っていたのに扉の向こうに絶望的な姿があった。ハザマさんは湯上がりのように髪を濡らし、しかして通例のスーツ姿でデスクに向かっている。こんな時間から仕事ってこの人いつ寝てるんだろう、わたし以上にヤバい奴かもしれない。

「ナマエさんですか。お早いですね」
「あ、お、おはようございまーす……」

 こっそりノートを置いて退散する予定が潰れてしまった。対面でコレを渡したらこの人ってどうするんだろう。本当に書いて来たのかと嘲笑われるなら結構、一番キツいのは引かれることだ。変に舞い上がってないで、ハザマさんの性格を考えていたらよかった。この人最近仕事をサボってた人に穴を掘って埋めるだけの作業を命じているとか聞くし。
 忘れ物を取りに来た、とか出しかけた言い訳を飲み込んだ。ハザマさんの執務室に何かを置き忘れるなんてあり得ない。うわー何話したら良いんだろう。

「それで、こんな時間から何のご用件でしょうか。まさか仕事が合わなくて辞めようとお考えとか」
「そうじゃなくて……あの、書いてきましたので!」

 あの日の決意を思い出してわたしは彼にノートを押し付けた。すぐに反応を見たくは無い。
 ハザマさんは何やらわたしを呼び止めようとしていたけれどそれも振り切ってやった。今あんまり顔を見たくない。いいや嘘だ、やっぱり顔見ておきたい。イケメンだし。
 どんな時間に見てもハザマさんはやっぱりかっこよかった。ご尊顔を拝見するだけで十分だって思っていたらよかった。どうせダメだし、今日からはただの候補生に戻ろう。諜報部じゃなくて別の部隊に希望を出そう。第零師団って所が不人気らしいからわたしみたいな一般衛士でも入れてもらえるかもしれない。
 となればこれはハザマさんとの最後の会話だ。何か気の利いたセリフを言おうと思ったけれど、気が動転しているわたしはとんでもないことを口走っていた。

「帽子被るのは髪乾かしてからにした方が良いと思います、蒸れてハゲるから! 失礼します!」

 うわー、わたしやっぱりヤバい奴だ。帰って寝よう。今なら出勤まで六時間も眠れる。


( 結局興奮と緊張のあまり眠れなかった )



 身体が重い。怠い。キツい。九十分眠れば回復するなんて嘘だ。気まずいから行きたくない。このまま世捨て人になってしまいたい。
 起床のベルが寮内にけたたましく鳴り響く。学生時代や商社で働いていた時はお腹が痛いとか交通機関が遅延したとか嘘を言ってズル休みすることもあったけれど、もし統制機構でソレをやったら処刑されかねない(と、わたしは勝手に思っている。入隊したもののやっぱりわたしのような小市民にとって統制機構は末恐ろしい悪の権化だった)。ただでさえ昨日は寝坊しているんだから、さっさと起きて準備しないと。
 下っ端には量産型の制服しか与えられていない。ソレでも黒を基調とした上品な軍服は可愛くて、入隊から暫くした今でも鏡の前でにやけてしまう。ちなみにこの制服のまま地元に帰ったら石を投げられた。

「おはようございます……」

 それに今日って月初ミーティングの日じゃないか。進行役は当然ハザマさんである。つい六時間前に地獄のノートを叩き付けて帽子がどうとか捨て台詞を吐いて逃走したばかりなので本当にほんとうに気が重い。今なら鉄砲玉にでも何にでもなれる気がした。このまま消えてしまいたい。
 しかしミーティングの場にハザマさんは現れなかった。急用が出来て、本部に今はいないらしい。あの様子ならば暫く戻って来ないだろうと先輩が言った。

「ナマエさん顔色悪いですよ? 昨日も遅刻してましたし、もしかして具合悪いんですか?」
「ナナヤ少尉……いえ、少し寝不足なだけで、全然……」
「だからそのナナヤ少尉ってのやめてくださいってー! ナマエさんの方があたしより人生の先輩なんですから!」

 統制機構では「年下上司」の比率が一般企業のソレとは比較にならない。義務教育を終えてすぐに衛士に志願した人とか士官学校卒のエリートさんとか、親のコネに術式適正の高さ、様々な理由でわたしよりずっと若い子が現場で指揮を執っていることがままあるのだ。
 マコト=ナナヤ少尉もその内の一人で、一介の候補生たるわたしからすれば地位はその、例えるならば新卒と本部長である。給与は額面で三十万円ぐらい違うのだ。けれど彼女はわたしのことを「人生経験豊富なお姉さん」と思ってくれているようでこうしてフランクに接してくれていた。と言うか諜報部の大概の人はわたしと対等に接してくれるのだ。働き易い職場である。この部署とお別れをしなければならない自分の失態がただただ惜しまれる。

「マコトって呼んでくださいよー! 敬語とかも無しで!」
「処刑されてしまいます……」
「さすがにそれはありませんってー! あたし、年上の人から敬語使われるのなーんか怖いって言うか、ニガテなんですよねー……誰かさんのせいで」

 周囲の年下上司が一様に頷いた。確かにわたしも、部長から敬語で諭される都度小馬鹿にされているような気がして胃を痛めた経験がある。と、ここでもやっぱりわたしは彼の事を思い出していた。

「ハザマ大尉と話してるみたいで嫌なんですよー! あの人何歳か知りませんけど、誰に対してもあんな調子じゃないですかー。なーんかバカにされてるみたいで嫌って言うか」
「すみません、今ハザマさんの事あんまり考えたく無いです……」
「ナマエさん? えっ、もしかしてナマエさんて……!」

 ナナヤ少尉の目がキラリと光る。年相応の無邪気な好奇心に胸が押し潰されそうだ。これはどう考えても根掘り葉掘り聞かれるヤツである。
 だったら仕方無いとわたしは腹を決めた。どうせ終わった恋なんだし、異動願も出すことだし、いっそ全部ぶちまけてしまおう。ハザマさん不在の諜報部は普段の何十倍もゆるい空気が流れていて、気付けばわたしの周りには人が集まっていた。

「ハザマさんに告白しました! だってあの人めちゃくちゃかっこいいし優しそうじゃないですか! 分不相応とか分かってるけど名前で呼んでくれるしもしかしたらーって! ……わたしバカですよね。笑って下さい」
「あちゃー……」

 瞬間部内が通夜のように暗くなる。ひそひそと囁かれる声を統括するに、わたしは「やらかして」しまったのだ。ハザマさんと付き合っていた人が不幸になるとか、都市伝説だと思っていたが本当らしい。
 さすがは諜報部と言うか、具体的な配属と人名を伴って「左遷」「自殺」「不審死」と不穏な単語がチラ付いている。えー、ハザマさんやっぱりヤバい奴じゃないか。でもそこが好きだ。一周まわってわたしはハザマさんから殺されたいとすら思っている。わたしもわたしで大概ヤバい奴だ。

「で、でも! あたしは案外良い線行くんじゃないかなーって思います! だってナマエさん元々民間で働いてたんじゃないですか! ハザマさんが外部の人にあんなに話し掛けてるのは初めて見ましたし……?」
「フォローありがとうございます……。わたしが死んだら地元の親に『立派な戦死だった』って伝えて下さい……」

 死因はただの恋だったと知られては「恋愛感情は人をも殺すのだ」と末代まで語り継がれて教訓にされるに違いない。ソレだけは避けたい。恥ずかしいし。
 遺書を書くならフォーマットがあると先輩が肩を叩いてくれた。あー、わたし死ぬのか。せめて親に孫の顔を見せてやりたかった。そうでなくとも花嫁姿とか、いいやここまで来たら生きているだけでよかったかもしれない。
 さすがのわたしも、この場で例の「大学ノート」いついては口に出来ずにいた。そんな話が出回っては「諜報部のハザマ大尉は自意識過剰で偉そうな嫌な人間だ」と噂が回ってしまう。わたしが死んでもハザマさんの名誉だけは守りたかったのである。


( ハザマさんが帰ってきたらしい )



 諜報部の責任者たるハザマ大尉殿がいないことには異動申請も辞退願もままならない。どの道もう一度会う道は決まっていたのである。退官願、異動願、遺書の三種の神器を毎日懐に忍ばせていたわたしは、彼の出勤に合わせて意気揚々と執務室に飛び込んでいた。死を覚悟した人間はエンドルフィンだかコレステロールだかが分泌されているので平時に較べて何百倍もタフなのだ。
 執務室で、彼は例の「ゆで卵しか入っていないお弁当箱」を開けるのに忙しかったらしい。わたしの入室を気にも留めず鼻歌をうたいながら殻を剥く指先はやっぱり美しかった。最期に上機嫌なハザマさんを一瞬でも見ることができてよかった。

「……おや、ナマエさんですか。……どうなさいましたか」

 しかしわたしを見るなり表情が一変する。歯切れの悪い彼の口調に先日の羞恥心が込み上げてきた。いついかなる場合でも不敵な笑みを絶やさない彼が今に限っては苦虫を噛み潰したような、ガラスを引っ掻く音を聞いた瞬間のような、神妙な表情を繕っているのだ。ソノ原因が件の激重感情ノートにあることならば半端馬鹿のわたしでも理解できる。
 あー、やってしまった。不在の間に退官願と異動願と遺書をデスクに置いておけばよかった。わたしの人生いつも後悔の連続だ。一番の後悔はこんな救いの無い時代に生まれてきたことだ。神よ、わたしを殺してくれ。
 願うも虚しくハザマさんが大きな、溜息じみた、呼吸を部屋に響かせる。空気の振動は決して大きいものでは無い筈なのにだだっ広い執務室の端で俯くわたしの鼓膜を震わせた。よっぽど呆れているに違いない、彼は帽子を片手に取るやソレを本棚に投げ付け、衝撃でファイルが二、三床にボトリと落ちた。

「あの……ノート、読んでいただけたでしょう、か?」

 ここまで来たらヤケクソである。生まれてきた事以上の後悔は無く、わたしは恥も置いて本題を繰り出した。この後窓を蹴破って飛び降りて死んでしまおう。死因はただの恋だとは遺書に記していないから両親や友人一同その他は一生統制機構ひいてはわたしを無惨にもフッたハザマさんを恨まないはずだ。彼の名誉を傷付けない手順まで完璧とはわたしもまだまだ捨てたモノでは無いらしい。
 助走を付けんと後ずさるわたしの鼓膜にまたも大きな溜息が響いた。ハザマさんは珍しくも頭を抱えて、目を見開いて、眉を顰めている。どんな顔をしていても素敵だと再度認識した。

「ええ、勿論。中々笑わせて頂きましたよ。特にあの『以上の理由を以て私ナマエ=ミョウジはハザマさんと対等に渡り合える人物であるものだと自称します』でしたっけ? 興味深い事この上ありませんでした」
「『以上より、私ナマエ=ミョウジはハザマさんと対等に渡り合える人物たるものだと自称致します』ですけど」
「ナマエさんは見掛けによらず細かいんですね。新たな発見をありがとうございます」

 全部読んでくれたんだ。とか瞬間嬉しくなったけれどすぐに現実に向き直る。古来より読書感想文は最初一ページと最後の文脈、文庫版のオマケに連ねられた解説とカバー裏の梗概、帯にある講評だけ読んで片付けるモノだと相場が決まっている。つまりこの人は本文のほとんどを読んでいない。
 希望を一感じると百で潰して期待の芽を摘むことがストレス無く生きるコツなのだ。現実に向き直った、いいや開き直ったわたしは逞しく、「二十ページには何書いてましたっけ」と試すようなセリフすら吐いている。何やってんだ、わたし、どこまで礼儀と恥を知らないんだ。

「『他の人間であれば地位を目的に近寄る所であるが、中層出身の筆者にとって、統制機構に入隊出来た事が奇跡でありステータスである。従って婚姻相手は士官候補生であってもこの身分に余り有る程で、わざわざ諜報部大尉たるハザマさんを選ぶ理由は無い。ソレでもハザマさんを選択する事こそが筆者の愛の表れなのである』……でしたよね」
「すみません、自分で書いたけど全然覚えてません……」

 確かにそんな事を書いた記憶もあるが、ここまで一言一句正確に述べられては最早寒気すら襲ってくる。何だこの人、ヤッパリ変だ。ソコが好きなんだ。
 覚えていないというわたしの発言にハザマさんはようやく笑みを溢して下すった。空気がほぐれていく。許されたわけでも無いのに、釣られて笑ったわたしに次に向けられたのはいやに真剣な金色の眼差しだ。

「実は上からの呼び出しと言うのは嘘だったのですよ。こちら、受け取って下さい」
「大学ノート? ……え?」

 筆圧でベコベコに撓み、二倍にも膨れたノートがどこからともなく現れた黒と緑の鎖によってわたしの目の前に差し出される。表紙には「ナマエ=ミョウジについて」と角張った几帳面な文字が踊っており、風に舞った数ページはギッシリ黒く染まっていた。まさか、そんな筈が無い。何度目か判らない希望の中でわたしは何度も頬を叩く。
 申し訳ありませんでしたと、次の瞬間ハザマさんは深深と頭を下げた。何が起きているのか、頭の回転が遅いわたしにはまだ理解出来ていない。ソレを見越したようにハザマさんは「最後の行だけ読んで頂けたら結構です」とぶっきらぼうに放った。
 最後の行、と言うことはラストページだ。と思っていたのに、横書きノートの向かって右面にはボールペンの筆跡が走っている。ゴリゴリと、版画のように削られたその文章にわたしはついに死を自覚した。

「以上の理由により私はナマエ=ミョウジさんと添い遂げる事を誓います……え? え、な、な、何書いてるんですか!」
「そのままの意味ですが。ああ、勿論下層での問題解決後ですがね。婚姻届ならば私の分は事前に埋めて来ております」

 とか言ってハザマさんは紙一枚を突き出した。自身の欄のほとんどが空欄だ。なんと氏名まで白く、かろうじてわかるのは誕生日だけである。
 出来損ないの用紙を手にしたわたしは文字通り目を白黒させて、目眩に苛まれ、頬を抓っている。非現実が一挙に押し寄せると人間の頭は簡単に壊れてしまうらしい。ついには呼吸や拍動と言った無意識下の運動まで停止させんと蹲るわたしの方に強烈な痛みが走った。ぬるりと、生暖かい液体が真っ黒な制服に広がる感触が気色悪い。恐る恐る覗いた右肩には制服と同じく黒黒した蛇の頭が齧り付いていた。

「今晩のディナーは予約してあります。ホテルと私の自宅、どちらがよろしいですか?」
「え、え、え……あ、あの」
「こう言ったことはその場の流れに任せるに限りますか。夜が楽しみです。ああ、そうでした! 明日はお互い非番に変更しておりますのでお気になさらず」
「あの、えっと、痛い……んです、けど」
「この回数になってまさか女性に本気で恋をするとは思ってもおりませんでした。ナマエさん、短い期間にならないよう善処しますので、何卒よろしくお願い致します」
「……む」

 無理と言おうと開閉した唇が瞬く間に奪われる。いつ移動したのか、ハザマさんはわたしの前方を阻みその細腕でガッチリと身体を固定していた。
 この人がオカシイと、何人から叩き込まれただろうか。恋は盲目とはよく言ったモノで、ソノ全てをわたしは聞き流したり都合良く解釈したりしていたのだ。つまり現状はわたしの落ち度である。

「なん、で……ですか?」
「大学ノート二冊に渡るまで私について書き連ねて頂けるとは思っておりませんでしたので。それも欠点まで! 素直で裏表の無い女性が好みなんですよ、私」
「……アハハ、こちらこそよろしく……お願いしまーす」

 間近に見るハザマさんはヤッパリ恰好良かった。
 このイケメンがどうして付き合う女付き合う女に捨てられていたのか片鱗が見えた気がする。彼は何と言うか、高圧的で、高慢で、高負荷なのだ。つい数分前迄は「世界で一番彼を愛している」と自惚れていたわたしでさえ、ハザマさんから向けられる愛情に答えられる気がしない。多分誰か男性と、業務上でも会話を交わすだけで彼はわたしと相手を貫くだろう。そうで無くともこの自分勝手自由気ままな人の事だ、付き合い始めてもわたしが期待以下の存在だと評価したら立ちどきに胸を劈かれるに違い無い。
 こんな人の事好きにならなければもう少し寿命が長かった。とか思いながらもわたしは、反面高鳴り歓喜する心を鎮められずにいた。死因はただの恋だ。真っ黒と緑と時々赤く彩られた未来を想像して、掻き消して、わたしはヘラヘラ笑う他無かった。



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