短編 | ナノ

 知らない方が幸せな世界があることを私は知らない。





 肉屋の角を曲がって二軒目にその家はある。古びた門をくぐって、掘っ建て小屋のような粗末なドアを開けると彼は決まって奥の部屋からゆらりと出現した。金色の目は温かみが無くて、視線を合わせてしまうと石になってしまいそうだ。彼は眩い緑の髪を後ろにかき上げる。上品さに富んだ髪質は固定を許さず一瞬で彼の眉を隠してしまう。
 わたしは彼の持つ得体の知れぬ魔力に惹かれたのかいつもこの家を訪ねている。古びた石畳を踏み鳴らしては近付く扉に胸の奥がそわそわした。

「お待ちしておりましたよ」
「ご機嫌麗しゅう」

 スカートを摘まんで恭しく会釈する様を彼は指差して嗤った。ソレにわたしがほんの少し眉を顰め、彼がすみませんと頭を撫でながら心無く謝る。そこまでがわたしたちの挨拶だった。
 いつからか定型化したやり取りも、キッカケがどこにあったのかはわからない。そもそも何故自分がここを訪れるようになったのかすら朧げなのだから、もしかしたらズット最初からわたしたちは、こう言った意味の無い出会いを楽しんでいたのかもしれない。

「今日はどうなさいましたか」

 彼は魔法使いだった。もしくは占星術師、或いは預言者、とか云う人の空想の上澄みを掬い集めたような存在が彼なのだ。彼が能動的にわたしに質問をするとき、わたしはいつも悩み(それは大きいものから小さいものまで様々だが、他人に話すことでは無いという点では同じ性質である)を抱えている。

「友達と喧嘩して」

 彼は単に察しのいいカウンセラーというわけでもない。そこが彼が魔術師たる所以なのだが、彼は何でも知っていた。世の中で起こったことと起こり得ること全ては彼の手中にあるのだ。彼に悩みを告げることは一種の儀式と言えた。
 肘掛けの豪華な椅子で脚を組み直し、糸目を片方だけ見開いて、愉しいとも淋しいともつかない口元で彼は語る。その時決まって太陽を雲が覆う。暗い部屋で背筋が凍りつくような心持ちになった。

「一つ、貴女は自分の非ではないものまで含めて謝ってその場を凌ぎます。そうすれば相手は得意になり、貴女の陰口に勤しみ、両方は友人を喪うでしょう。二つ、貴女は自分の非は認めますが友人の過ちに関しては譲りません。彼女は貴女を敵と認識して一時は絶縁状態になりますが、数年を置けば和解し親友となるでしょう。三つ、貴女はこの場で死にます」
「……だったら二つ目でお願いします」

 賢明ですね、と彼は肩に手を置く。
 彼の示す三択目はいつもわたしの死で締め括られていた。当然死にたくないわたしは二者択一を迫られるのだ。彼の大きな手は慈悲深くわたしの頭を撫でながらも、その笑顔は悔しそうに(わたしには)見えるのだ。
 総てを見透かすような瞳はもう閉じられている。あるのは胡散臭くて美しい、張り付いたような微笑だけだ。

「明日の正午に通りで出くわしますので、その際に喫茶店に誘ってください。そうすればうまく行きますよ。統計上は」

 世界を何周もしているかのように彼の予言は具体的で、毎度ピッタリ当たってしまう。詳細には確率事象というらしいが、わたしには神様と彼との違いが分からなかった。ソレ程までに彼の仕草はどこを切り抜いても無駄なく完璧なのである。
 わざとらしく指先でハットをクルクル回す彼に、わたしは御供物や貢物のつもりで持ってきた高めのチョコレートを捧げ、来た時と同じようにもう一度スカートを摘んだ。

「ではご機嫌よう」
「ああ、それなんですけど飽きちゃいまして。今度からは別の文句にしませんか?」
「……これにて退散?」
「ナマエさんって、忍者なんて似合いそうですね。すぐ捕まって拷問されるタイプの」
「えっ、今わたしの名前……」
「それでは」

 わたしの退室を待たずに彼がドアの向こうに消えていく。彼にわたしは、一度も名乗ったことが無いけれど呼ばれたことには少しも驚けない。彼は全知全能なのだ。





 何でも予言の通りになるものだから、わたしには最早悩みらしい悩みは無くなっていた。相談依存というよりは盲目的な信仰である。わたしにとっては彼は絶対的な道標だった。
 アカシックレコードにアクセスしたような、人外の如き運命の支持者にわたしは甘美な絶望を感じている。人生ナンテものは所詮想定の域を飛び出ないのだ。それと同時に、第三の選択肢を採ればどうなるのかといった危険な好奇心が精神を支配し始めるのは時間の問題だった。
 今日も今日とてわたしは彼の鎮座する椅子を目掛けて家を出る。三つ目の選択肢の甘い誘惑と、彼にまとわりつく絶望的な魔力に吸い寄せられている。

「ただいま参上!」
「オリジナリティーですか。感心ですね」
「結構恥ずかしいんですよ」

 恨めしく彼を見遣る。相変わらずの笑みはどこか満足気だった。そうして彼はニヤリと笑うと「今日はどうなさいましたか」と定型分のように言うのだった。

「人生が退屈なんです」

 悩みというよりは愚痴だった。引っかかるものがあれば手掛かりをここに得て、ソレが完璧なばかりに自分には失敗という失敗は無い。もしあるとすれば自力で解決しない甘えた心持だけである。
 ある時は進路を相談した。ある時は失くした物の場所を聞いた。ある時は親との不仲を、ある時はラブレターの返信を、三つ目の選択肢を選ばないばかりに増える疑問等々に彼は的確過ぎる解答をくれるのだ。

「人生ですか。それは大変な悩み事ですね。お茶でも飲みませんか」
「あ……はい」
「すぐに準備しますから、そのままお掛けになってお待ち下さい」

 珍しくも彼はすぐに答えを話さなかった。奥の部屋に行ってすぐに、まるでわたしが来ることをわかっていたかのように、湯気の立つカップを二人分持って彼が席に着く。お茶請けにはわたしがいつか持ってきたチョコレートが用意されていた。

「ナマエさんは何歳まで生きていたいとお考えですか?」
「知ってるんですか?」
「実験中ですね」

 彼がマグカップを口にする姿は絵画のようだ。長い指がチョコレートの包装を解いていく。丁寧だけれどゴミは投げ棄てる横暴さに二面性のようなものが垣間見えてそれすらひたすら美しい。

「確率事象のお話はしましたよね」
「前に。難しくてわかりませんでしたけど」
「世の中には無数の可能性があって、それは同時に存在しています。ただ全てはゴミと言いますか、全く意味を成さないんですが」
「ある時を境に戻っちゃうんでしたっけ」
「よく覚えておいでですね、感心です! そしてそれが来年末で」
「その時みんな死ぬんですか?」
「繰り返すだけですよ」

 宗教というか、精神疾患者というか、思考実験のような話だ。信じるのも馬鹿らしい。けれど信じざるを得ないのは今日までの的確が過ぎる回答によるものだ(ところで神はお供え物をお気に召されたようだ。見る見るプレートからチョコレートが消えていく)。

「一つ、貴女は何事も無かったかのように日常に戻ります。もう私に会うことも無ければ、人生が退屈だと思い悩むことも御座いません。自分の問題は自分で解決して、それなりに満帆な人生になるでしょう。二つ、貴女はフラストレーションを抱えながらも私と生きていくことを決めます。退屈な日常は変わらず、ただ私は精一杯貴女を愛します。三つ、貴女はこの場で死にます」
「えっと……」

 三つあるうちの一つは論外、一つは明らかな失敗、だからわたしは考えることが無くなっていた──とは今までの話で、今回はどうだろう。何が正解かわからない。どれも不正解かもしれないし、どれも正解かもしれない。ただこの場では死にたくないものだけれど。

「あの、その前にお名前を教えてください」
「私ですか? ハザマ、とでも呼んでください」
「そしたらハザマ……さん、オススメはどれですか?」
「一か三ですかね」
「じゃあ二つ目で」
「中々三つ目を選んで下さいませんね。気になっているんでしょう?」

 立ち上がった彼はわたしの後ろに回り込んで、首筋に指を這わせて耳許にそっと呟きかけた。脳内に直接響くような艶かしい声にぞわりと総毛立つ。
 実のところ、落ち込むことがあると三つ目が頭を過るのだ。けれど中々選べないのはわたしも人並みに命が惜しいのと、どんなに絶望的な状況でもここに来たら解決してしまうからである。それすらも全部見通しているみたいに、ハザマさんはいつもと同じくニヤリと笑った。

「選んで欲しいんですか?」
「別段。それで、二つ目でしたね」
「ハザマさんと会えなくなるのは、何て言うか……淋しいから。でも一緒に生きるって?」
「他のナマエさんはもっと前向きでしたよ。自分の人生は自分で考えなければとか、今まで頼り過ぎたとか、何度繰り返してもそう仰るんです。ご存知ですか? 思い通りにいかない人生の不甲斐なさってやつを」
「それが人生ですから」
「私、今とても緊張しているのですが」

 回答の所為なのか、ハザマさんは珍しく退室を促さず、帽子を目深く被ってぽつりぽつりと、生涯を反芻するように視線を上げた。

「どうあってもナマエさんは私を見ては下さいませんでした。体良く占い師としてだけ扱われて、ただ私には全てが観測えているのです! 貴女が◯◯◯◯や※※※を愛して、結局笑顔になって、それが耐えられなくて何度貴女の首を掻っ切ったことか判りません。申し訳ありません。過去の統計に囚われて、私は貴女に三番目を選んで頂いて罪悪感無く終わらせたかったんです」

 演劇じみた長台詞の締め括りにハザマさんは帽子を投げ金色の虹彩を見せた。蛇のように鋭い視線に、喉がカラカラに渇くのに出された紅茶に少しの魅力も感じない。ソレどころか飲んではいけないと言う危機感まで走っている。
 ティーカップに手を掛けた切りのわたしの考えは見透かされているのだろう、ハザマさんはわざとらしく肩を竦めながら「この手段ももう通用しませんか」と中身を床にぶち撒けた。

「毒殺、何百回かは上手く行ったのですが」
「好き……なんですよね? って、自分で言うのも恥ずかしいんですけど、あの」
「ええ! 愛していますよ!」
「……だったらどうして殺そうとするんですか」
「だからこそ今のまま死んで欲しかったのですが……私の気持ち、受け止めて頂けませんかね?」

 言うは悍ましい吐露なのに、普段の張り付いた笑顔よろしく彼の言葉は薄っぺらい。嘘の上に嘘を重ねたような虚偽っぽい言葉はしかし耳障りが良く、絵本の読み聞かせのように何度も何度も囁かれているような気がした。
 その間にもハザマさんはわたしの知らないわたしの話をしている。何度もわたしを見てきたかのように繰り出される具体的な回想に寒気がした。どの行動も、わたしが取りそうなモノばかりで真実味しか見当たらない。
 この人は魔法使いなのだ。もしくは占星術師、或いは預言者、とか云う人の空想の上澄みを掬い集めたような存在が彼なのだ。散々生活のヒントを得ていて、頼っていた癖に少しでも恐ろしい事を聞かされると逃げ出したくなる自分が嫌になる。

「この後貴女は運命の男性に会う予定です。過去の統計上、×××とか言う男でしょうか。細身で笑顔を絶やさない人間で……それなら私でも構わないと思うのですが残念です」
「あの、ハザマ、さん……」
「聞かれてもいない事を話すのはこれが初めてでしたっけ。まあ、どうせ貴女は私を選ばないのでどうでもいいのですが」

 諦めたようにハザマさんは割れたカップの破片を拾い上げた。お帰りはあちらです、と、白く細く長い指先が玄関を示す。ご機嫌ようともこれにて退散とも言える気がしない、そもそもわたしの回答は彼に伝えているのだ。
 一度吐いた言葉は喉に戻らない事ならば白痴でも知っている。なのに椅子に座りっ切りのわたしを見た彼は信じられない怪物でも見るような訝しげな顔で凝視した。

「あの、恥ずかしいので帰って頂きたいのですが」
「ハザマさんって、今まで一回でもわたしに好きって言ったことありましたか?」
「それは……」

 彼の細い瞳孔が開くのを見てわたしは愉快になっていた。ソレは、この世の全てを掌握する神に打ち勝ったからであり、何度と無く現れたと言う過去の自分を出し抜いた為でもある。全知全能の神が唯一知り得ないのは無知なのだ。知らない世界を垣間見たハザマさんの表情は時間が止まったように固まり、ただ口を半分開くばかりである。

「聞かれなかったので、ありませんが」
「だからダメなんですよ。わたしはハザマさんと違って、神様なんかじゃないから」

 あの角を曲がり何度もこの家を訪れたのは、最初の内は単に思い悩んでいた所為だろう。目的は次第に彼そのものに謁見する事にすり替わり、言い訳をするようにわたしは無意識下で悩みの種を増やしていた。
 カップの破片に指先を切った彼は、真っ赤な血で絨毯を濡らしている。余程痛痛しいのに少しの表情も歪めず、ただわたしに固定される視線がまた美しくて仕様が無い。

「一つ、ハザマさんはわたしの事を忘れて敷かれたレールに乗って、また世界を繰り返します。わたしのことだから多分またハザマさんの前に現れて、友達と喧嘩したとか新しい服を買うべきかとか何ンでも無い相談をしに来ると思います。二つ、今日の話はお互い忘れて今までの関係性に戻ります。どっちにしてもわたしはハザマさんにどうでも良い相談をしに伺いますが、言う通りそのうち素敵な人を捕まえてここには来なくなるでしょう。三つ、わたしはこの場で死にます」

 仕返しのように真似た口調にハザマさんは眉を歪めながら、しかし何も答えない。コレを飲んだら死ぬんですよね、と、わたしはダメ押しにティーポットを手に取った。瞬間ハザマさんの白い手がわたしの腕を握る。彼に触れられたのは初めてなのに、絞め付けられる感触がやけに懐かしい(ひょっとしたら前の自分も、こうして首を絞められたのではなかろうか)。
 調子を取り戻したのかハザマさんはぎこちなく「いつもの微笑」をして見せた。帽子を深く被り直し、咳払いをし、溜息紛いの深呼吸が薄暗い部屋に響く。

「まったく……不器用なんですね。貴女、今まで私の忠言の何を聞いていたのですか」
「都合の良いところだけですけど」
「ならば尚更ですよ。その選択肢、私にとって喜ばしい道が示されておりませんが」

 先刻まで「三つ目を選んで欲しい」と演説していた姿はどこにも見当たらず、在るのは震える指先だけだ。わたしは、出来心でその左手を掴んだ。真冬の鉄棒のように冷たい小指が絡み付く。
 彼の予言はいつだって本物だった。この世界はある一点を起点にある時を以って巻き戻される。ならばここで何を選んでも変わる筈が無い。
 だから彼は、ハザマさんはこうして微動だにしないのだろう。飽きる程経験した人生の中でイレギュラーが発生し硬直しているのだろう。けれどわたしにとって今は今である。今の、わたしは目の前の無能な神に取り入られたくて仕方が無い。

「人生って、決まったことばっかり起こるわけじゃ無いと思うんです」
「一石を投じた程度で調子に乗らないでいただけますか」
「嫌です。だってわたし、今までずっとハザマさんの視野の中で泳がされてたんですから」

 彼の視線が左右と上下を回り始めた。何かに畏怖するように、わたしのてのひらの中で指先が震えている。これ以上の言葉を今の彼から引き出す事は出来ない。
 悟ったわたしはパッと手を離して、普段の彼がするように椅子に深く腰掛け片目を開けた。ハザマさんもまた通例のわたしよろしく背筋を伸ばしてソレを見下ろしている。ついに逆転した立場は面白くて、なるほどそう言う理由で彼はいつも笑っていたのだと理解する。

「──四つ、わたしは貴方と生きます」
「でしたらそれで、お願いします」
「アハハ、わたし達結局同じ答えじゃないですか。あー、もう、……わけわかんない」

 脱力するわたしと対照的に、ハザマさんは何かから救われたような、真っ直ぐな目でわたしを見詰めていた。その笑顔に普段の嘲りは少しも混じっていない。生まれたての、嬰児のように澄んだ瞳にわたしは一人また冷や汗を流していた。
 きっとこの人は何かに雁字搦めだったンだろう。敷かれたレールを何度も走り、戻り、走る彼の徒労は今しか人生が無いわたしには分からない。
 知らない方が幸せな世界があることを彼はまだ知らない。今年の年末に、世界が終わった後ハザマさんは一体どんな気持でもう一度目を繰り返すのだろうか。

「そしたら、また明日」
「これはまた新しい口上ですね。……ええ、また明日、今度は私がナマエさんの家までお迎えに上がります」

 ソレでも目の前の彼が幸せならば、何度でも繰り返そう。しっとりとした笑顔に会釈をしてわたしはまた扉を閉める。帰路の中、意味深くすれ違う男性の事なら無視をした。


20210528

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