短編 | ナノ

 ディー・エヌ・エイ鑑定は髪の毛一本で可能だと誤認されがちであるが、その実、現代の科学を以てしても毛根の細胞が無い事には完全な特定には至らない。探知魔法の実践中に監督生が言っていたのを思い出しフロイドはくすんだ青色を根本から引き抜いた。痛い。新鮮な感覚が頭頂部から顎下を駆け巡る。
 片目から溢れる人魚の涙と一緒にソレをグラスに流し込み、フロイドは「あ」と間の抜けた声を上げた。学生が運営するとは言え仮にもここは飲食店で、ならば異物混入は大事件である。どうせ味の違いなんて分からないヤツなんだから余った食材と一緒にミキサーにかけて粉粉にしてスムージーとして提供してやろう。ダメ押しに指先をナイフで傷付けたフロイドは、血を一、二滴垂らして満足そうに笑った。

「フロイド、何をしているのですか!」
「あれー? ジェイド今日非番じゃなかったっけぇ?」
「様子がおかしいので見に来たのですよ。全く、黙ってとんでもないことを……!」

 自分の髪と、涙と、血の結晶を指差し片割れが青い顔をしている。非常識を暴かれた事とは違う汗がフロイドの背を伝った。





「はっぴゃくひくに? 小エビちゃんもしかして俺のこと馬鹿にしてんの?」

 始まりは些細な談笑だった。談笑、の筈なのだが隣の人魚は持ち前の高身長と整いながらも不気味な顔を歪め監督生を睨み付ける。小エビちゃんことナマエもこの反応に「違いますって」と頬を引き攣らせた。

「798じゃねーの? 引っかけ問題?」
「ですから八百比丘尼です、びくに……尼さん。えーっと、こっちではシスター的な?」
「シスター? 俺、姉ちゃんも妹も多分死んでんだけど」

 言葉が悪かったとナマエは頭を掻いた。この日監督生は、一学年上であり校内関わりたくない人間ランキング上位に君臨するフロイド・リーチから「なんかおもしろい話して」と絡まれていたのである。
 当然内容が彼の琴線に触れない場合は海の藻屑に成り果てる事必至だ。すでにナマエはルームメイトたるグリムの失敗談を話し二回「ボツ」を食らっている。

「神様に仕える女の人の事をうちの国では比丘尼って言うんです」
「あーわかったぁ、あれね。だったら最初からそう言えよ」
「すみません!」
「で、その八百シスターが何?」

 今日のフロイドは機嫌が良かった。仏の顔も三度までとはこの悪党面をした人魚にも通じるようで、泣きの一回として捻り出したのが八百比丘尼の話だったのだ。
 あまり詳しくは無いんですが、と前置きをしてナマエは子供に昔話を読み聞かせるようにゆっくりと語り出す。今から千何年も前の田舎の話です。やんわりとしたゆりかごのような語り口に、フロイドは自然と聴き入っていた。

──今から千何年も前の田舎の話です。
 その漁港にはある富豪の男が住んでいまして、ある日、船を出して遊んでいると嵐に襲われてしまいました。見も知らぬ島に流された男は、ソコで、久方振りの来客だとおもてなしを受けることになりました。
 男の前には見たこともないような山菜とか、お魚とか、薬味とか、魅力的な料理がズラリと並べられました。どれもこの世のモノとは思えないぐらい美味しく舌鼓を打つ、ソノ中で一等奇妙な形をした肉がありました。
 男はソノ肉を一切れ手にすると、ソゥ、と着物の袖に隠しました。きっとコレも美味いに違いない。男には家族がおりました。是非、皆に食わしてやりたいと考えたのです。
 嵐の去った海にまた船を乗り出しました。家にはすんなり辿り着き、あの時間は夢だったに違いないとスヤスヤ眠り、すぐに肉の事は忘れてしまいました。
 腹を出して寝る男の着物を、娘はしまおうと、手を掛けました。すると妙なモノが出てきます。肉のように見えるが何ンだろう、奇妙に思いながらも一口啄むとコレがたいそう美味しいこと! いよいよ娘は一人でぜんぶ食ってしまいました。羽毛のように柔らかく、まろやかな味でありました。

「ジェイドみたいに食い意地張ってんじゃん。俺だったら親父の服から出てきた肉とか気持ち悪くて絶対食わねーし」
「昔はお肉って貴重だったんですよ。それで続きなんですけど」

──月日が経って、十五になった娘はお嫁に行きました。相手は隣の領地の富豪で、年は倍を数える程度でしょうか。若い若いと囃された娘でありましたが、ソレが、十年経っても二十年経っても一向に老いる気配が無い。
 夫の方は次第にシワが深くなり、腰が曲がり、物忘れが激しくなってついには死んでしまいました。けれど娘は嫁いだときのまンま、若い姿でおります。
 ソノ姿があんまり美しいモノですから、更に隣の領地の富豪が娘を娶らんとやって参りました。娘はそれなりに夫を愛していたンで最初は拒絶しましたけれど、結婚することになりまして、しかし夫が先に死にます。ソレから三回、四回、五回と結婚を繰り返すけれど死を見送るばかりです。
「どうしてわたしだけ若いまま、愛した人の死に目に遭わなければならないのだろう」
 気付けば娘が最初に嫁いでから、七百年が流れておりました。人がコレ程──

「待ってよ! そいつ頭悪すぎない? 普通すぐ気付くって」
「好きな人と一緒にいる時間は一瞬なんじゃないですか?」
「でも何人も乗り換えてんじゃん。アズールだったら絶対そんなことしないよ?」
「あの人そんなに一途なんですね……じゃなくて、もうすぐ終わるので続きお話しますよ」

──人がコレ程長く生きるのはどう考えたってオカシイ。時の天皇陛下も、百四十と幾許でご崩御なされた筈である。ならばわたしは一体何者なんだろうか。
 自らを不気味に思い、また、愛する人の死を間近で何度も何度も目にした娘は、この命は人を導く為にあると思い立ちました。そうして髪を切り、比丘尼として全土の寺を行脚し他人の幸福を祈り歩くようになりました。
 気が付けば八百年の月日が経ち、比丘尼はいよいよ巡る寺もなくし、最期は生まれ育った漁港の海に沈もうと考えました。八百年振りに訪れたソノ漁港に生家はとうに無く、代わりに松の木が茂るばかりであります。人の世はナンテ無常なモノだろう。一滴の涙を砂浜に遺し、比丘尼はいよいよ海に沈みました。

「もしかして自殺してもう終わり? 絞められてぇの?」
「だからもうちょっとあるんですって! フロイド先輩すみません、あとちょっとだけ我慢してください!」

──海に沈んだ比丘尼は目を覚まします。ソコは仏僧から聞いていた極楽浄土よりズット絢爛豪華で、居心地好く、やわらかな場所でありました。
 比丘尼の目覚めに気付いた少女が「よくぞお越しくださいました」と笑い掛けました。比丘尼はおっかなびっくり彼女の足元を見遣ります。なんと少女は、頭が人間で、腰の下が魚であったのです!
 比丘尼が食べた肉は自分の身体の一部なのだと、少女は微笑みながら窪んだ尾ひれを指差しました。なんと面目無い事をしたのだろう。比丘尼は海底に頭を擦り付け謝罪しました。けれど少女はその頬をやさしく包み言ったのです。
「人魚の肉を食べた者は千年の命が与えられます。貴女は私欲で私の肉を食べたけれど、生涯を人を愛し慈しむことに使って下さいました。それが私には誇らしいのです。さあ、比丘尼様、残りの命は共に幸福に過ごしましょう」

「……って感じで比丘尼は余生を幸せに過ごしました、めでたしめでたし」
「ふーん。登場人物全部バカばっか」

 小エビちゃんも、とフロイドが付け足した。人魚に人魚の話を当てたのは失敗だったのだろうか。ただフロイド・リーチも先日グレートセブンの海の魔女の話を得意気に吹かしていた筈である。
 延々語ったこととフロイドの前での緊張から喉がカラカラになったナマエは畏れ多くも彼の前で水筒に手を掛けた(当然水筒はフロイドに横取りされてしまった)。

「大体人魚の肉食っても千年も生きらんねーし」
「そこは御伽噺……って、そうなんですか?」
「錬金術の授業でもやったじゃん。人魚の涙って添加物ぐらいの価値しかねーの。一応効くからそれなりに高く売れるらしいけど」

 昔聞いた人魚の輝かしい童話がその実血に濡れて俗っぽいという事をナマエは思い出した。このナイトレイブンカレッジで代表的な人魚であるリーチ兄弟やアズール寮長は金と暴力の象徴である。もし人魚姫がいたとして、彼らと同じくバイオレンスな趣向を持っている事は想像に難く無い。
 絞められると、目を強く閉じたナマエに降ってきたのは、しかし思い掛けないセリフだった。

「まあ面白かったからいいけどぉ。今度また聞かせてよ、小エビちゃんの世界の俺らの話」
「は、い……頑張って思い出しときます……!」
「じゃあね〜」

 話の感想とは裏腹に、いやに上機嫌なフロイドが手を振りながら去って行く。その後ろ姿をナマエは呆然と見詰めていた。嵐は去ったと察したグリムやエースらが駆け寄り「今後の為に教えてくれ」とまた同じ話を繰り返す羽目になるのだが、かのフロイド・リーチから逃れられた安心感から彼女はその時深く思料する事は無かった。





「ナマエ、お前また悪の秘密基地に行くのか?」
「誘われたのに行かない方が怖いじゃん。エースも来る? 料理もドリンクもすっごく美味しいよ」
「絶対嫌だ! 何されるかわかったもんじゃねぇし!」

 先日の昔話以降、ナマエは頻繁にモストロ・ラウンジに招待されるようになっていた。とは言え奢りでは無く料金の三割は負担している。残りはフロイドからのサービスらしい。
 本来であれば裏を疑うべきなのだろうが、ナマエは好意をそのまま受け容れていた。もし自分が逆の立場、たとえば元の世界にフロイドが現れたとして、人魚の世界の常識や興味深い生態、そこに渦巻く伝承を聞けるのならば食事ぐらいいくらでもご馳走する価値がある。人間である以上最も興味を唆るのは三大欲求では無く知的好奇心が満たされる機会なのだと彼女は考えていたのだ。

「フロイド先輩、話してみたら案外悪い人じゃないかもしれないよ。良い人でも無いけど」
「それが怖いんだって! ナマエ、変なもん食わされてねぇか?」
「全然? むしろ最近体調良くて、朝もスッキリ起きられるし体力付いた気もするし!」

 あのアズールがその名を大々的に広告して運営する店の事だから、滅多な物は出していないのだろう。言った通り彼女は目に見えて煌びやかに過ごしている。
 実例を目の当たりにしているからこそエースもデュースも、ジャックですら何も言えずにいた。グリムに至っては自分もご馳走を食べたいと言い出す始末である。お金が出来たらねとグリムの耳を突っ付きながらナマエが鏡の間に消えて行く。足取りは入学以来のいつよりも軽やかだった。





「フロイド、何をしているのですか!」
「あれー? ジェイド今日非番じゃなかったっけぇ?」
「様子がおかしいので見に来たのですよ。全く、黙ってとんでもないことを……!」

 顔を青くする片割れに対応するようにフロイドの笑顔が深くなる。ポタポタと溢れる血がグレナデンシロップのようにドリンクを艶やかに染め上げた。フロイドの背中には好奇心と期待に満ちた汗が流れている。この一滴も加えたらどうなるだろう、考えるだけで口端が吊り上がった。

「例の、はっぴゃくひくに……でしたっけ」
「びくに! それだったらだたの算数じゃん」

 血の鉄っぽさを誤魔化すようにシナモンパウダーとミントを乗せ、サービスのドリンクが完成した。この後監督生にはデザートを振る舞う予定だ。コンロに掛かった鍋でカラメルソースがぐらぐらと煮立ちキッチンには甘い香りが漂っている。

「どうするおつもりですか」
「言わなくても分かってるくせにー。ジェイドも比丘尼と小エビちゃんみたいなお馬鹿ちゃんなの? それとももしかして、怒ってる?」

 シンクに投げ捨てられた肉切包丁を手にしたジェイドが「当たり前です」と静かに呟いた。
 包丁の切先はフロイドの首元に向けられている。もしここに他の生徒がいたならば、またリーチ兄弟が喧嘩を始めた。今度は殺し合いだと叫んだ物だろう。鋭く研がれた刃の側面には二人の金色の目玉が反射していた。

「どうしてそのような楽しい事を独り占めしようとしているのですか!」
「あはっ! ジェイドならそう言ってくれるって思ってたぁ」

 八百比丘尼は一塊の人魚の肉を食って千年の時を過ごす羽目になった。馬鹿な人間はそのうち七百年を無為に過ごし百年で全国を行脚し、二百年をつまらない深海で過ごしている。

「肉切るのって痛そうだしー? 毎日ちょっとずつ俺の身体の一部食わせて、小エビちゃんが死ねない身体になるのって面白くない?」
「僕達の寿命は精々数百年ですからね。一人きりで老いもせず、元の世界に戻っても死ねない身体になる監督生を考えると愉快ですねぇ」
「ジェイドわかってんじゃーん! そうだ、アズールの脚喰わせてみない? 小エビちゃん二千歳まで生きちゃうかも!」
「占星術によるとこの星はあと五十億だそうですから、アズールには頑張って頂かなくてはいけませんね」

 どうせならヒレの一本ぐらいくれてやろうと、ジェイドが耳たぶを切り裂いた。この世界には御伽噺のような輝かしい人魚はいない。
 純粋な悪意で出来たディナープレートを今日も監督生は美味しそうに頬張っている。始まりは些細な談笑だった。好奇心が自分を殺すことを、ナマエはまだ知らない。

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