短編 | ナノ

 まるで何か悪事でも詫びるように、いや詫びる様そのものの腰の低さとか態度で、おはようと部下に声を配る。今日の尾形さんはいつもより堅い顔色で誰よりも早く出社していた。ソレが昨日までの尾形百之助とあまりに似付かない物だから事務所の裏手では同僚が一様に不気味がっている(普段の彼は口数が少なく粗雑な人なのだ)。
 生まれた日ぐらい盛大に祝えば良いのにと呆けるのは恐らくこの職場でわたし一人切りだろう。ソノ証拠に、お祝い好きのパートさんも一緒になって「異動か降格処分でも決まったのか」ナンテ陰口を叩いていた。

「あの、尾形さん」

 尾形さんの誕生日を知った動機はただの事務処理だった。氏名と現住所に生年月日を記入する中で、尾形さんの誕生日が偶然「明後日」だったから憶えていた。この横暴な彼の物腰が柔らかくなっている理由が生まれに係る事ならばすぐに想像がついてしまったのだ。

「どうかしたか?」
「……いえ、何でもないかも」

 普段の態度からは想像も出来ないような丁寧な応対にわたしもスッカリ呆気に取られていた。今日は、呼び止める都度に彼の顔色が白く濁る。慌てて平時を取り繕ったわたしに彼はどこか不満そうな表情を残した。





 午後になっても彼はやはり謙虚を装っていた。かと言って課内に昼食を奢ってくれるわけでも無いので、社員食堂の隅に座る彼を遠巻きに眺めながら(尾形さんは一人だけでご飯を食べる時も逐一合掌する。いただきます、ごちそうさまって呟いているのが遠目からでもなんとなくわかるのだ)肉うどんを頬張って、噛まずに飲み込み仕事に戻って行った。
 その頃には周りの人間も尾形さんの変わり様より今日の天気とか湿度に興味が移っていたので、結局、終礼まで彼を観察していたのもわたし一人切りだろう。ソノ証拠にわたしは一向に帰宅する気配の無い彼を気遣い営業所に残っていた。当然わたし自身にやり残した仕事はひとつも無い(この営業所では日付が変わってようやっと帰宅出来る事なんてザラなので、尾形さんはマウスをぽちぽち動かすわたしを気にも留めなかった)。
 二十時、二十一時、二十三時と時刻を跨ぐ都度に一人また一人と事務所をポツポツ去って行く。けれど尾形さんは一向に帰る素振りを見せなかった。時折溜息を吐きながら手持無沙汰に社用携帯を触る彼は、自身もまるで「何の仕事も無いけれどただ居残っているだけ」のように見えてくる。そうなると、さすがにこんなに空虚な状況で誕生日が終るのが可哀そうで、気が付くとわたしは「喉乾きませんか」と彼に声を掛けていた。

「そうか?」
「暖房で乾燥してますし」
「……そうだな」

 尾形さんの目が一瞬輝いたような気がする。彼は「下にでも行くか」と上着を羽織り財布携帯鍵煙草をポケットに突っ込んだ。下とはこのビルの一階を陣取るコンビニエンスのことである。
 慌ててお財布だけ手に取って追い掛けたわたしを彼は律儀にも非常階段の前で待っていた。喫煙すべくエレベータで無くこちらを選んだのだろう、重い鉄で造られた扉を乱雑に抉じ開けた尾形さんは、ゆっくり階段を下りながらライターを擦っている。

「寒いんですけど」

 くすんだにおいが否が応にも鼻奥に響く。無事着火した尾形さんが、煙と一緒に吐き捨てるように「少しは我慢しろ」と言った。尾形さんは火元に近いからあったかいかもしれないけれどわたしは生身なのだ(煙草程度の熱源で体感温度が変わるかは知らないが)。
 肌着にシャツだけの身体で少しでも暖を取るべくスマートフォーンのライトをつけると、画面に「二十三時四十分」と表示されていた。あとほんの少しで尾形さんの誕生日が終ってしまう。

「あの、えーっと……」

 ソウ思ったらすぐさま伝えなければならないと使命感に駆られたのだ。「尾形さん」今日のどの場面の彼よりも畏まったわたしの声色に、本人は何かを心底期待していたみたいに向き直る。

「お誕生日おめでとうございます」
「あ? ……ああ」

 尾形さんは不器用な人なのだ。そして殊の外勘が良い。こうしてわたしが日付ギリギリに呼び止める事もまるで知っていたみたいに「興味ありません」と言わんばかりの顔と声色でわたしに返答した。
 ただ彼は、恐らく生来詰めの甘い人間なのだ。語尾は確かに上がり調子で、ほんとはうれしいんだろ、と感じざるを得ない。

「もうちょっと喜んでくださいよ。せっかくのハッピーバースデーなんですから」
「……どうして生まれてきたことに感謝しなきゃなんねえんだよ」

 あと一つ踊り場をやり過ごしたらコンビニなのに、尾形さんは大袈裟に煙を吸い込んでやはり大袈裟に吐き出した。もうじき根元まで燃え尽きてしまう灰はあたかも焦燥感を演出している。
 あの尾形百之助がまさかここまで弱味を曝け出すとは思っていなかった。昔人伝に聞いたことがあるけれど彼の両親は複雑な理由で他界しているらしい。
 ただソレと今日の尾形さんの態度とが素直に結び付くかと言えばまた別の話である。「どうして今日だけ良い上司になってたんですか」聞いたわたしに尾形さんは紫煙混りの大きな溜息を吐いて、ソレから辛く笑った。

「ガキの頃、一度だけ母親から物買ってもらったことがあってよ」

 尾形さんが回想する。小学校低学年の冬だった、商売が上手くいかない中で母親が、少ない収入から絞り出すように、当時流行っていたキャラクター物のオモチャを都合してくれた。
 その誕生日の前日に尾形さんは家事だか何だかの手伝いをしていたらしい。「アホみてえな話だろ」と彼が自分を嘲っている。
 要約するに、彼は、心のどこかで肯定感を求めているのだ。品行方正にしていたら自分が認められて勲章が与えられるとか、とうの母親が死んで十年もソレ以上も経つのにある種の信仰のように敬虔に生きているのだ。だから尾形さんは一月二十二日に唐突に部下を思い遣って上司を尊重し依頼されてもいない残務に取り組む。ソノ、浅墓な心意気を非難する前に尾形さんは自ら「ははぁ」と嘲った。

「アホらしいだろ」
「え、まあ……」

 可哀相だって思った。わたしは兄弟はいないけれど、両親は揃っていて当たり前みたいに誕生日にはプレゼントがあった。ケーキだって食べるし、おじいちゃんおばあちゃんからも現金を振り込んで貰っている。
 けれど尾形さんには何も無いのだ。彼は追討ちを掛けるように、若し満足に祝ってもらえなかったら恐いから誕生日前後で付き合っていた女と毎回別れるのだと言った。

「なんか、虚しいですね」
「……あぁ?」
「うわ、すみません!」

 すべての話を聞いた上で、彼の人生の虚しさにわたしは溜息を吐いていた。ソレが口から出ていたので尾形さんは眉を顰める。あ、やっちまった。尾形さん少し怒ってる。
 ただ私から見たら尾形さんは余りに滑稽なのだ。自分の生誕を祝福されないから、ソレを裏付けるために一年間必死になって嫌われるような挙動をしているに過ぎない。そのくせ非人間的にはなれずにいて誕生日当日になると掌を返して善人ぶっている。
 ソレを指摘してもしなくても彼には何ンら変わりが無いのだろうと思った。だからわたしは社会人宜しく頭を下げて「尾形さん」と彼を改めてコンビニに誘った。

「考え過ぎなんですよ」
「お前に俺の何がわかるんだよ」
「わかんないですけど、あ……動画サイトとか見てて広告気になりません?」
「は? まあ、気にはなるが」

 って言うからわたしはレジに電子マネーのカードを叩き付けた。二万円分ぐらい、とりあえずチャージしたその券を次は尾形さんに叩き付ける。
 怒涛の展開だったのか尾形さんは目を白黒させて、オイ、とわたしの名前を呼んでいた。今日で一番自然な態度がこの慌てる様なのだ、ソレが、どうしようもいじらしくてわたしは奥歯を食い縛った。

「お誕生日プレゼントです。広告消してください」
「……はあ?」

 押し付けたカードを尾形さんは確かに受け取りながらも不服そうに眉を歪める。

「誕生日とか、二十歳越えたらこんぐらいテキトーなもんなんです。尾形さんは特別視しすぎです」 

 押し付けそのもののように言うと、尾形さんは、依然唖然とした顔色で「逆らえない」と言わんばかりにカード裏のバーコードを硬貨で削った。

「カメラで読み込んだらすぐ使えるので」
「金、返すから」
「来年も一年分買ってやりますからあんまり深く考えないでください」
「……ああ」

 その時ヤット尾形さんが自然に笑ったのだ。
 正直なところ、この人の内面とか背景ナンテ少しも理解出来ていない。でも多分わたし、一生尾形さんにギフト券を渡すんだろう。
 そう考えたら、月々のご飯代とかいろいろ節約しないとなアと思って面白かった。尾形さんは広告の無い動画サイトにさぞ感心したようで、わたしの前をがさつに歩いて「ありがとう」と吐き捨てた。



20201123

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