短編 | ナノ

 尾形さんは傍目にも余るぐらい不器用な人だった。他人より真面目なクセにソレを悟られまいと横柄な態度を取って見せ、しかし後輩への配慮(例えば外回り後に缶コーヒーを投げ渡すとか、喫煙所では自分の一本を差し出すとか)を怠らない。傍若無人に振舞う割にはアノ顧客には手書きの納品書が好まれる、ソノ担当者は孫がいるから無邪気に振舞うと何でも印鑑を捺すと涼しげな顔で教えてくれるのだ。
 第七営業部の平社員はソンナ尾形さんを一目置いて「ああ言う大人の男になりたい」と沸き立っていた(本人に直接言うととびきりの嫌味で反論して来る。なので陰で褒めるに至っていた)。
 ソンナ尾形さんから二人っきりで誘われたのは唐突な起因である。急な案件に居残っていたわたしに「飲みに行くぞ」と誘いの言葉が掛かったのだ。

「お前、最近働き過ぎだろ。いくら残業代が出るっつったって若いうちは金より時間を大切にしろ」
「尾形さんもサビ残してるじゃないですか」
「俺はお前らとは違うからな」

 ウヰスキーは舐めるものだとよく耳にするし普段の彼ならば上品に少しずつ嗜むのだ。にも関わらず、わたし達以外の客がいない閑散としたバーで、彼はグビリと喉を鳴らし黄金色を飲み干した。
 ただでさえ青白い肌色は高濃度のアルコールに見る見る染まり、耳まで赤くした状態のクセに普段の威厳を保たんと彼は「最近どうだ」と繰り返した。

「まア何とか。尾形さんは……あの、お身体とか大丈夫なんですか」
「俺か」

 四杯目の氷割りのウヰスキーを前に尾形さんはようやくグラスを手放した。「俺は」その先のセリフは恐らく用意していなかったのだろう。一旦目を閉じ、フラフラの首を天に掲げた彼はソノ特徴的な眉を潜めた。

「数字も上げられん俺に価値なんざねぇだろ」
「価値?」
「生まれも育ちも悪い人間は結果で挽回するしかねえ」

 彼が若くして家族を失っていることは薄らと聞いている。上の老人は第七営業部に視察に訪れるや「みなしごハッチも必死に働くな」とまた若者にはよくよく理解できない嫌味を飛ばしていた。
 深酒に自我が曖昧になった尾形さんはまんまと「みなしごの可哀想な人間」ソノモノになってしまっているようで、整髪剤が素手にまとわり付くのを意にも留めず、あたかも母親から愛される時のようにシットリと自分の頭を撫で上げ一等深い溜め息を吐いた。
 その場凌ぎに体調を聞いたつもりだったのに、どうしてこんな辛気臭い話を聞かされているのだろう。彼は両親と腹違いの弟のことをポツリポツリと回想し始めた。改めて、しかも本人から生生しく聞かせられる尾形百之助の過去は胸を打つものがある。

「結局、俺なんざ生まれてこなけりゃよかったんだろ」
「あ……あの、尾形さんのおかげで部署がうまく回ってるんですから、そんなこと言わないでくださいよ」
「気休めとはご苦労なもんだな。俺に取り入っても給料は上がんねえぞ」

 泥酔したと思しき彼はタバコの先を灰皿でなくグラスに押し付けた。カウンター越しの店員さんがその様に頭を抱えている。
 そろそろ帰りましょうと丸まった背中を叩いても彼はジッと動かないまま項垂れていた。眠ったように固まっているものの意識はあるらしい。彼が一体酒で記憶を失くす性質なのかは知らないが、哀愁漂う「みなしご」を見ていると考えるより先に手が動いていた。

「……何のつもりだ」

 尾形さんがソウしていたように彼の頭を撫でてしまった。
 わたしの想定では、尾形さんは酔い潰れているので頭を少し触ったところで何ンら反応を示さない筈だった。

「えっと……同情?」
「あぁ?」
「わたしにはよく分かんないですけど、可哀想だなーと思って」

 言ってしまった。
 酒で判断力が鈍っているのだ、だから思った事がそのまま口から洩れてしまう。尾形さんの文字通り可哀想なものだから、保護者のような他人事のような態度で慰めてやろうと思ってしまったのだ。極力温かく、それなりに優しく撫ぜてやったつもりなのだがわたしの触り方はお気に召さなかったらしく、乱れた髪を手櫛で整えている。ただ殊の外気分は害していなかったようで、彼はすぐさま空笑いをした。

「え、怒ってないんですか」
「そこまで包み隠さず言われたらかえって面白え」
「うわーよかった……尾形さん顔怖いんですよ」

 悪かったなと笑いながら、かと思えばクルリと笑顔が反転し、思い出したように「俺なんて」と眉を顰める。
 情緒が不安定になっているんだろう。確かに尾形さんの生い立ちや上からの扱いは哀れと言う他が無い。けれど黙っていたら尾形百之助は仕事が出来て金が有り顔も悪くない恵まれた人間だ。だからこうして突っ伏す姿は、何も持っていない人間からは嫌味にすら思えてしまう。
 わたしもまた情緒が不安定になっている。尾形さんはこびり着いた灰も気にせず、体積の殆どを融けた氷が締めるグラスに口を付けていた。いつまで経っても店を出るつもりの無い態度に、軽口もそこそこにしてタクシーに突っ込んで、さっさと帰って寝たいと思えてきた。

「この前ホームセンターでアボカド切るためだけの商品見つけたんですよ」
「急に何だよ」
「アボカド切る機会ってそうそう無いじゃないですか。そんなのでも売り物になるんですから、あんまり思い詰めないでくださいよ」

 適当に切り上げたいと言うわたしの意図は正しく伝わらなかったようだ。ポカンと、あどけない表情を瞬間見せた尾形さんは途端に真剣な目付きでわたしを射抜く。

「だったらお前が俺のことを愛してくれるのか?」

 可能な限り自惚れるならば、尾形さんは今日このセリフをわたしに言う為に飲みに誘ったんだろう。さっきまでアレだけ呂律が回っていなかった舌は淀み無く、今までの泥酔振りや同情を誘うエピソードの全てが計算され尽くしているように感じる。この流れで拒絶してはまるでわたしは悪者だ。

「え、あっ……それは」

 なけなしの良心を振り切って断ろうとするわたしの腕を冷たい指先が強引に掴んだ。尾形さんは傍目にも余るぐらい不器用な人だった筈なのだ。感情表現が下手な人間の筈だったのだ。

「なあ」
「……しますよ、愛してやります! だからもう自分のこと『俺なんて』とか言わないでください!」
「言ったな?」

 言質が取れたと言わんばかりに、尾形さんはグラスに残った水を飲み干して「行くぞ」とすんなり立ち上がった。足取りは少しもフラついていない。やっぱりハメられたんだ。いつものように会計はすでに済ませてあるらしい、その上店先には予約車の表示を携えたタクシーまで停まっている。
 タクシーは当然のように尾形さんの自宅に向かっていた。彼は、駄目押しに「お前が言ったんだからな」と囁いた。わたしも同期も人を見る目が無いのかもしれない。こう言う大人の男に引っ掛かる自分が面白くて笑ったのに、尾形さんは満足そうにわたしの髪を撫でた。

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