短編 | ナノ

※あんまり倫理観とか無い


 喉を焼くような薄荷に、不純物があんまり多く混じっているものだから、舌ごと吐き出すように咳き込んだ。息を継ぐや真冬の冷たい空気が肺を洗い、イッソウ咽せるわたしを尾形さんが横目に嗤った。

「だからやめとけって言っただろ」
「ちょっと、憧れてた……んです」
「これ、飲んどけ」

 缶コーヒーの苦味がまたわたしを憧れから遠ざける。煙草の似合う大人の女性になれる日は恐らく来ないらしい。
 ようやく落ち着いたわたしを、尾形さんはもう一瞥して笑い、吸いたての煙草を引ったくる。彼は仕事の括りにオンボロの軽トラックの助手席にわたしを乗せてくれた。目的地は大概県境の山や川である。

「寒……」
「上着ならあるが」

 火種の灯りで尾形さんが荷台を差した。あの深緑のシート下を思うと気が重くなる。確かに今日は寒いし、最近洗車したばかりとは言え誰の物だか解らン上着を羽織る気には到底なれない。

「嫌ですよ、変な臭い付きそうですし」
「まだ大丈夫だろ」

 いい加減慣れろと言わんばかりに尾形さんが溜め息混じりの紫煙を吐き出す。よっぽど慎重に呼吸をしているようで、息はソウ白まなかった。

「それより尾形さん、夜景凄いですよ! すこし揺れてます」
「あんなもんいつでも見れんだろ。なあ、上見てみろよ」
「うわ……凄」

 街明かりの真反対を見上げたわたしは息を呑んだ。新月の空には星がうるさいばかりに輝いている。こう満天の星空ではどれが北極星でどれが火星かも分からない。

「あっ、尾形さん。流れ星!」

 瞬間、曲線が夜空を駆けた。何ンでも無い日にすら流れ星を拝めるのだから、流星群の時ならばどれ程願いを叶えられるのだろうか。物珍しい光景だと言うのに、しかし尾形さんは火種の処理に忙しいらしい。
 結局煙草の先を車体に押し付けた彼は、寝起きに顔を洗う様な慣れた手付きで荷台の金具を払い、積荷を乱雑に引っ張った。そうだ、星空に現を抜かしている場合では無い。仕事はまだ終っていないのだ。半分ぐらい引っ張るとドサリと音を立てて上等なコートが地面に広がった。
 確かにコレを着ていたらあったかいンだろう。ただでさえ今日は寒いから異臭は少しもしない。どこか得意げな尾形さんは、土嚢でも背負うようにソレを担いでわたしに「足元」と合図した。

「暗いですねー」
「山だからな」

 言われるまんまわたしは尾形さんの足元をスマートフォンの画面で照らしている。心許無い灯りにさえ夜蛾が集って白とか黒とかに輝いた(星とは違って気色悪い光だと思う)。
 尾形さんはある程度進むと「もういいか」と面倒臭そうに呟いて錆びたガードレールに積荷を立て掛ける。こんなとこでいいんですか、さっさと帰りてえ、繋がらない会話を以てわたしは積荷を蹴飛ばした。
 いくら星が明るいからって崖の下まで照らせるわけでは無い。積荷が音も無く闇に吸い込まれて行ってすこしだけ安心した。尾形さんの仕事が甘い日は、この段階で断末魔とか聞こえて来るのだ。

「終わったー! ……けど、家まで何時間かかるんでしょうか。ここって何県ですか?」
「茨城。落ちたのは栃木か福島だろうな」
「テキトー過ぎません?」
「県さえ違えば構わねえんだよ」

 こんな雑な仕事で県警を煙に巻いたつもりの尾形さんが、どうして今まで捕まっていないか分からない。けれど逮捕どころか事情すら聞きに来ないんだから確かに上手く行っているンだろう。
 荷物はキット、流れ星と違って放射線も描かずに汚く落ちて行ったのだ。様子を確認するでも無く、尾形さんは早速煙草に火を点けた。ターボライターの灯りに目が眩む。

「帰るぞ。荷台乗るか?」
「嫌ですよ……」
「んだよ、この前後ろ乗りてえって言ってただろ」
「寒いし、さっきまで死体積んでた場所ですよ? 取り憑かれそうで嫌です」
「落としといてよく言えるな」

 こんなことならばコートを拝借しておけば良かった。本当はもっと星空を眺めていたい、だから荷台は特等席だけれど、あまりに寒いのでわたしも助手席に座った。

「アレって天の川ですよね? 尾形さん見てますか?」
「車ごと転落して死にたくねえなら黙ってろ」
「……はい」

 フロントガラス越しにも夜空は美しく、道路脇はやはり闇に濡れていた。あんな暗くて、何も無い場所に落ちて死ぬぐらいならわたしも尾形さんに殺された方がマシだ(結局行く果ては崖の下なんだけど)。
 積荷を無くして軽くなった車体は滑るように山道を下っていく。夜景だった街明かりに寄るにつれ、アレだけ目映く広がっていた星空が簡素に縮んでいった。オリオン座が近付いて来る。

「何か願い事でもあんのかよ」

 もう空を眺めても何も楽しいことが無い為に、スマートフォンを手繰るわたしに尾形さんが(相変わらず前だけを見ながら)問い掛ける。急にお願い事なんて尋ねられて聞き返すと「流れ星」と彼が短く返事した。

「……煙草の似合う大人の女になりたい?」
「ははっ、お前には無理だろ」
「じゃあまた尾形さんと星を見に行きたい、とか。今度は仕事とかじゃなくてちゃんと普通に」

 他には無いのかと彼が呟く。これは意地の悪い問答だ、横顔が若干不機嫌そうに見える。大体この人はわかりにくいのだ。ただでさえ死人の上に成り立つ複雑な関係だと言うのに、思考の分かりにくい表情がソレを更に怪奇にさせている。

「えっと……あっ、それと逮捕されませんように!」
「そうか。願掛けには丁度良いかもしれねえな」

 どうやら正解だったらしく、右手はハンドルを握り、視線は正面に置いたまま、彼は煙草くさい左手でわたしの頭を乱暴に撫でた。
 いよいよ街灯が星に勝ってしまったけれど、見えないだけで星は流れているンだろう。大人の女性になれなくても良いし星空なんて二度と見えなくて良い。ただ罰当たりなこのお願いだけは叶えて欲しいと思った。

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