短編 | ナノ

 河原に女の子がいる。女の子は石を積んでは崩し積んでは崩していた。飽きたのか川に向かって崩した石を、角度を付けて投げ始めた。礫は何度か水面を跳ねて底に沈む。河原に女の子がいる。

「へったくそだなぁ」

 極力小さく吐き捨てたはずなのに、女の子は敏感に僕の方を振り向いた。いつまで経っても雨上がりみたいな霧の中で女の子はどんどん僕に近付いてくる。土手に上る階段を踏みしめてシルエットが少しずつはっきりとしてきた。
 怒ってるかもと思ったのはあと数歩で僕に辿り着く頃合いだ。ここまで距離を詰められては今更逃げるわけにもいかず言い訳を考える。携帯でスポーツニュースを見ていた、駄目だ。ここは圏外である。自分のミスを思い出して自虐していた、駄目だ。もう警察署は機能していない。素直に君に言いました、これだ。取り繕っても仕方ないし正直に話して謝ろう。

「あのさ、悪気は無かったんだ。ただちょっと気になっちゃっただけっていうか……ごめんね? 聞こえちゃってた?」
「お手本見せてください」

 あー、そう来ちゃうんだ。めんどくさいなあ、でも暇だったし丁度良いのかもしれない。女の子が僕を導いた。器用なもので、彼女はすんなりと後ろ歩きに階段を逆戻りしている。上った時と同じ調子で後ろ歩きに、ビデオを巻き戻したみたいだと言っても最近の子にはわかんないんだろうな。
 近くで見ると女の子はけっこう大人びている。甥っ子くんより少し上だろうか、しかし社会人には到底見えない彼女が僕を見上げた。「お兄さん誰ですか」って、それはこっちのセリフだ。

「僕? 僕は足立透。これでも一応刑事やってたの」
「ふーん、ネクタイ曲がってますよ」
「誰に見せるわけでもないしいいでしょ。君は?」
「ナマエです。足立? さん、そこ滑りやすいので気を付けてくださいね」

 ほら、そこ。霧に濡れた緑が青々しくいちばん下の段を覆っている。雑草って結構生命力あるもんだよな。ちょっとやそっとのことじゃ根絶やしになんないの。そういえば堂島さん家の畑で草むしりとかさせられたっけ。
 それにしてもここって肌寒いよなー。彼女、ナマエちゃんは随分と薄着でいるけれど風邪とかひかないんだろうか。こういう時デキる男っていうのはさりげなく自分の上着を女性の肩にかけてあげるんだろうけれど生憎ついさっき会ったような知らない子を気遣う余裕はない。あれ、こんなんだから僕ってモテなかったのかな。

「足立さん、早くやってみてくださいよ」
「え? ほんとにやらなきゃだめ?」

 めんどくせぇし馴れ馴れしいなこの子は。仕方がないから河原の石をひとつ拾って軽く助走をつけて水面に投げてやった。ぼちゃん、思っていたのとは違って石は一度も跳ねずに沈んでいく。

「アハハ、何やってるんですか」

 河川敷に体育座りをした彼女は僕の真後ろで小馬鹿にするように笑った。おかしいな、昔はできたはずなんだけど。悔しかったのでもう一度石を投げる。やっぱり一度も跳ねない。

「案外難しいもんだね……ナマエちゃんすごいじゃん」
「やる前から諦めてるからじゃないですか。それにわたし一回も成功したことないし」

 とか言っているが遠目にも四、五回ぐらいは水を切っていた気がする。彼女の言う「成功」が何なのかわからないけれど、せっかく暇なんだからすごいと言わせたかった。
 こういうのってそもそもの石選びが大切なんだっけ。できるだけ平べったくて円盤状のやつ。どうせ失敗しそうだから何個か拾ってポケットに突っ込んだ。だいぶ不衛生だけど後から手を洗えば問題ないだろう。
 物理も体育もあまり得意じゃなかったけれどこれでも手先は器用なんだ。こういうのは回転が重要である。箸を持つように石を握って手首を返す。あっ、二回跳ねた。僕ってもしかしたら天才なのかも。

「ねえねえ見た? コツ掴んできたかも!」
「アハハ……なにやってるんですか」

 いい歳こいてこんなことに張り合っている僕がおもしろいのかナマエちゃんが笑っている。そういう君だってさっきまで同じことしてたじゃない。
 飽き性っぽい彼女は僕を傍目にまた石を積み上げ始めた。この子はあれだ、体育の授業中に指でグラウンドに絵とか描いちゃうタイプだろう。

「よっし! 今8回ぐらい行けたよ! もう少しであっちまで届いちゃうかも」
「石だけ届いても意味ないですって」
「なんだよ、結構簡単じゃん。ナマエちゃんもやってみなって」
「足立さんこそちゃんとやってくださいよ」

 ナマエちゃんの積み上げる石は四段ぐらいでがらりと崩れてしまう。相当手持無沙汰なんだろうな、それでも彼女は何回も石を積み上げていた。視線は水切りに夢中になってきた僕を追っている。
 ストックしていた石が無くなって新しい弾を探す僕を、やっぱりナマエちゃんは愉快そうに見上げていた。霧と同じどんよりした瞳に僕がぼやけて映っている。今更になって恥ずかしくなってきた。

「ナマエちゃんはさ、帰んなくていいの? 一人暮らしならともかく、女の子がこんなとこで時間潰しちゃってさ。家の人心配しちゃうよ?」
「心配してるでしょうねー」
「訳アリ、か。僕でよかったら話とか聞くけど」
「足立さんもこんなところで親不孝ですよ」

 そんな無駄なことしてたってしょうがないじゃん。僕だってこれでも刑事やってたんだし、家出少女の疑いがある人間をまんまと放置するのは後ろめたい。
 張り付いたように笑う彼女はまだ石を積み上げている。四段、五段、六を数える前に石はがらがら崩れていく。

「親不孝って、今更だよ。こんな片田舎に飛ばされちゃってさー、母親とかもう僕のことなんて気にしてないだろうし」
「でもルールって守らないと。仕事と同じです。足立さん、遊んでないで仕事しましょうよ」
「仕事? ここで石投げるのが?」
「さっきから何言ってるんですか」

 もしかしてこの子はここで石を積み上げることを仕事に見立てているんだろうか。最初っから思ってたけどやっぱり変な子だ。歩くときは後ろの方向だし冬なのに薄着だし、笑ったままで表情とかないし。
 霧のせいでおかしくなったうちの一人なのかもしれない。だったら置いてってもいいや。顔だけ見たらそこそこタイプだったけどキチガイに用は無い。

「足立さん、どこいくんですか」
「どこって家だけど。飽きちゃったし。ナマエちゃんもあんまり遅くならないうちに帰りなよ」
「帰るって何言ってるんですか。さっきから足立さん、おかしいですよ。早く仕事しないと」
「……君こそ頭おかしいんじゃないの?」

 ここにきてようやく、最初から彼女とは話がまるで通じていないことに気が付いた。なんだろう、来てはいけない場所に来てしまった気がする。ナマエちゃんはまだ石を積んでいる。

「一重積んでは父の為、二重積んでは母の為ですよ」
「あのさ、もういいでしょ。僕忙しいんだから」
「仕事っていうか、こういうのなんて言うんでしょうね」

 言葉を探しながらも石を積むナマエちゃんは相変わらず笑っている。義務、任務、委員、役職、類義語を呟きながら彼女は石を積む。
 鮫川って釣りができるだけの普通の川だったはずだよね。霧の奥に人が何人か乗った船が見える。八十稲羽で川下りとか遊覧とかできるわけない。山の方は知らないけど、もしできるんならもうちょっと観光とかに力入れてるはずだし。
 そのうち彼女は良い言葉を思いついたようで、ひと際明るい顔をして言った。

「刑罰ですね!」
「え、あのさ……。違ったら申し訳ないんだけど、もしかしてナマエちゃんって病気の人?」
「病気じゃなくて事故になるんでしょうか。霧から出られないのって災害? 足立さんも外に親がいるんですよね。親より先に死ぬんだから、いっしょに石積まないと」

 確かに二度と外には出られないんだから天災かもしれない。それからもうじきこの街ごとぜんぶ死んじゃうんだろう。一級河川鮫川と書かれていたはずの看板を見上げた。案の定っていうか、三途に書き換わっている。ナマエちゃんって元から水切りしてたんじゃなくて石積みしてたんだ。
 気付かなければよかったのに藪を突いてしまった。いっそう濃くなる霧の向こうから大きな影が迫って来る。

「あーあ、鬼さんしばらくこっち見張ってなかったのに。足立さんが騒がしくするせいですよ」

 お手本見せてくれるんですよね、と笑いながらナマエちゃんが僕に足元の石を拾い上げて差し出した。鬼だと彼女は言うがアレはおそらくシャドウだろう。ってことは僕だけ襲われずこの子は殺される。

「親不孝者同士がんばりましょう。あっち、渡れないんだから」

 見過ごすのは何罪になるんだろうか。いよいよこの街の人間は減っていき、堂島さんもいなくなっちゃったし話が通じる人もほとんどいない。なんだろう、思ってたより楽しくないな。

「拳銃自殺して地獄に直行するとかってアリかな」
「アハハ、だめですね」

 やけに明るい声色が作業の開始を意味付けた。
 河原に女の子といる。僕とナマエちゃんは積んでは崩れ積んでは崩される石を重ねなければいけない。飽きたけど逃げてはならないのは確かに仕事と同じだと思った。河原に女の子といる。

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