短編 | ナノ

 花言葉を逐次覚えているような人間になりたくない。小心者極まりないわたしのことなので、ソンナのに意識を向けていたら出掛けた先の路肩に咲いている花とか、店先に飾られた植物とかに一喜一憂して落ち着く間も無くなってしまう。諸外国より遣って来た宝石言葉、魚言葉、行儀や作法も重要である。どれも深読みを呼びかねないので常識の範囲を超えて知らないように努めてきた。結果出来上がったのが最低限文化的な人間である。

「佐一くん、今日はどちらに行かれるんですか」
「寅次と梅ちゃんと約束してるんだ。ナマエちゃんも来る?」
「わたしは、遠慮しておきます……」

 わたしはこの街の商人の娘だった。商人と言っても、何も生活必需品を売るわけで無く、一生にイッペン使うか使わないか分かン無い布団を売り歩いて居る者で在る。従って、わたしは、年中のホトンドを得体の知れない関東の各所で過ごしていた。
 ソレでも一応は、ミョウジの家はコッチの方にあるもンだから、年に三ヶ月はコチラで父共々過ごしている。幼い頃は佐一くんと一緒に遊んだ所為で、彼だけはわたしを見ると、「あアナマエちゃん」と気に掛けて下するのだ。

「梅ちゃんが言ってたよ。たまには歳の近い女の子と綾取りをしたいって」
「わたしは、手先が器用ではないので……寅次さんの方が適任ではありませんでしょうか」

 わたしの人生の殆どは目上の、わたしらの商品を購入するを検討する長寿との対立だったので、わたしは、次第に他人と話す折には遜るようになっていた。したがってわたしは、佐一くんについても丁重にお断りを申し上げたのに、のに佐一くんはソノ傷ひとつ無い端正な顔を歪ましてわたしに「そんなことないよ」と話しかけるのである。
 わたしは、この地元の有名な三人組に畏怖とか憧憬とか怨念とかを感じていた。わたしは貧しい家の人間である。一方の三方は、言うまでも無く、割合裕福で干し柿を口に出来る程度の身分だったのだ。わたし、甘いモノはツツジの蜜以外に口にした事が無い。ただ、佐一くんは時折「ナマエちゃんも一緒に干し柿を喰わないか」と提案するのである。ソレが、わたしにとっては天恵のようでありながらも同時に自らの身分を実感する閻魔の言葉のようにも思えたので在る。

「わたし、いよいよお父サンの行商に付き合いますので……」
「だから挨拶に来たんだ」

 丁度、男児たれば兵役の年齢に当る歳だった。佐一くんはワザワザわたしのボロ屋の前に訪れて兵役っぽい帽子を目深に被り意味深げに言葉を残しに来たのである。ソレが、あまりに心許無く、またお父サンが居なかったモンだから気付けば家に彼を招き入れていた。
 当然お客サンに差し出せる様な上等な飲料だとか、茶菓子だとかは無いモンだから白湯だけ沸かして彼に渡す。彼は、瞬間苦い顔をして見せたもののいつもの通りの柔和な表情を以てわたしを見据えて下すった。

「軍隊に入る」
「露西亜との戦争でしょうか」

 わたしの身分は、父が商人だと云うのにこの部落でも最下層の、世帯であった為に佐一くんには尊敬語で話さざるを得ない。その様は佐一くんに執っては慣れた様子で、彼は、「そうだ」と一声ソノ端正な顔色のまンま視線を下げた。
 であれば彼は大日本帝国の英雄になる人物で在る。だからわたしは、頭を地べたになすり付けて「ありがとうございます」と唱える他無いのだ。しかして佐一くんはわたしに「顔を上げて」と相も変わらない優しげな声を掛けて笑った。ソレが、夢にも期待する彼の姿だったので当然わたしはときめいた。面を上げた時の佐一クンはいつにも増して男前な表情をしており、あア、わたしの様な身分の者にも幸いはあるのだと実感したモノで在る。

「佐一くんのお父様とお母様はいかが仰っておいででしょうか」
「……結核で死んだよ」
「あーア、何と無様でしょうか……」
「もしかしてナマエちゃん、知らなかったの? ……知らないと俺なんか家に上げてるわけないか」

 当然わたしは佐一クンのご家族が郎等結核に死んだことは知っていた。ソノ上で、彼を家に上げたのである。若し佐一くんが父母由来の結核菌を持っていたとして、ソレに依って死ぬ事が出来るのならばコレ以上の幸いは無いとわたしは思っている。初めて自我を持って以来佐一くんに光を感じており、もし家が地主でもあったならば彼を婿に迎える事に何ら躊躇を覚えなかったのだ。
 実際はウチは(以下略)なので叶わないのであるが、彼は、端正なソノ顔をズット鋭くさせてわたしに語りかける。旅順に行く。ソレが自死を意味している事ならばコノ学の無い自分にも重々分かる事だったのでわたしは気が付けば涙をボロボロと流しており、佐一くんは気まずそうに持って来た干し柿を齧っていた。

「だったら、同級生へのお別れでしょうか」
「絶対に戻って来るから。その時は、ミョウジさん……お父さんに花を都合してもらって迎えて欲しいんだ。ちゃんと金は払うからさ」
「承知致しました。佐一くん……杉元様のご帰還を、わたし、スズランでお迎えします」
「よかった。ナマエちゃんは昔から気が利くからね」

 かくして佐一くんはこの村から最も容易く姿を消したのであった。最後に会ったのが自分だとは、よもや思っていない。どうせ梅子サンに別れを告げて去ったンだろうと、思ったら、スズランを調達する気も起きずに日々を過ごしていた。
 旅順の戦が終わったと新聞に聞いたのはソレから幾百日も後の話である。ソノ日、梅子さんは嫁入りの白無垢に身を包み何の由来だか分かんない涙を垂らしながら村を歩いていた。ソレを、わたしは、結核の療養たる村外れの診療所から疎ましく眺めていた。





「ナマエちゃん、死んだらだめだよ」
「あア… …、お戻りになられたンですね」

 数十分程度で体力の果てたわたしは療養所に横になっている。ソコに、真っ赤な一輪のバラをアジアンタイムで囲った佐一くんが立っていた。
 若しコレがわたしの冥土の妄想で無ければ、彼は、確かにわたしに愛を囁きに来たのである。だからわたしは結核に苦しい咳をガマンしながら彼を迎え入れた。相変わらず整った、美しいが過ぎる顔を以てただ屈んでいる。ソノ姿があんまり天使に似ていたが為に、コレまで信じろと強要されていた仏陀の姿がボヤけてしまっていた。

「ナマエちゃん、よく頑張ったね。……俺の父さんもナマエちゃんを見習ったら良かったのに」
「死に損なっただけです。佐一……くんに、お会いしたかったので」

 梅子さんの嫁入りとか、佐一くんの沈んだ顔色とか、わたしには気に掛けるべき事象が幾らでもあった。ソレでも疎ましい生への執着が一抹の期待に縋り付いている。佐一くんは、すぐに、この村の結核療養所を出て行った。わたしはすぐ様「バラ一輪の花言葉」を回想する。愛、美。素晴らしい妄想を以てわたしは死ぬべきなのだ。
 少なからず、佐一くんの差し出さなかったもう片手の無数のバラさえ見なければわたしは上手い事極楽浄土に死ぬ事が出来た。あーア、どうしてわたしはいつもコウなンだろうか。最初から、佐一くんが梅子さんを想っていたことならば知っていた。

「看護婦さん、若し、また佐一くんが現れたら云ってください。わたし、分不相応なクセに佐一くんを愛してましたって」

 結核にヤられなくとも結果も過程も変わらない。ソウ関わりの無かったわたしにわざわざ愛を感じる程佐一くんは律儀では無く、一般的なので在る。
 さいごに鏡に映ったわたしは当然のように嫉妬に濡れていた。どうか、全員が不幸せになりますように。でもソノ願望が叶ったとしてわたしの怨霊は悦ぶンだろうか。

「……こんなコトならば、遭わなければよかった」

 じきにわたしは結核で、アンタのご家族を奪った病にて死ぬでしょう。ソレを上書いて余り在るぐらいの事象が起こるんでしたらわたしは本望です。どうか、佐一くん、アンタの想った女性とだけは上手く行きませんように。
 世にイッパイの呪詛を湛えてわたしは目を閉じる。餞も花束も最期を汚す物の他無いのだ。

 ただひたすら、わたしって佐一くんだけを思った一生だった。ソレが悔しくって、ようやくわたしは、百物語に聞く怨霊の虚しさが解り意識を飛ばした。


20201108

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