短編 | ナノ

「ナマエ、今から会えるよな?」

 最近尾形くんの調子がオカシイ。仕事は急に辞めてしまったと宇佐美さんが話していた。わたしの知らないところで尾形くんが少しずつ壊れてしまっている。
 突然ケエタイ電話とモバイルバッテリーを渡されたかと思えば「今日から二十四時間掛けたままにしてろ」と命令された。そんな、仕事もあるのに現実的ではない。言ったところで無用に終わり水深2メートルで30分耐えられるという最新機種は今も充電を擦り減らしている。

「今からは無理だよ。明日も仕事なんだから」
「どうせ録音した生活音垂れ流しながら隠れて男に会ってんだろ」
「そんなんじゃないって……最近オカシイよ?」
「ナマエのことが心配なだけなんだ」

 キッカケはわたしの帰省だった。
 同窓会で、酔って眠ってしまったわたしの指紋を使って同級生が勝手に尾形くんにメッセージを送った。二次会で同級生と三人で撮った写真を加工して「元カレと寄りを戻すことになりました」とか、冗談のつもりだったんだろうけれどあまりに悪質だ。
 けれどわたしも軽い気持ちで考えていた。尾形くんはいつも冷めた調子だし、起きてすぐ事情を説明すると大した反応が無く、ただ「それならいい」と呟くばかりだったのだ。

「ナマエ、今コンビニなんだが欲しい物あるか?」
「だからほんとに来なくていいって……」

 酔い潰れるまで飲むのはやめろとか嫌味を言ったり、俺も女と自撮りしてやるとからかって見せたり、最初の内は今までの尾形くんだった。ただそれが一ヶ月、二ヶ月と日を追って実は本当に元カレと会ったのではとか俺に不満は無いかとか彼らしからぬ言葉を並べ始めたのだ。
 次第に尾形くんの不安と束縛が強くなり、タイムカードを提出するように求められ遊びに行けば写真を送れと要求された。極め付けのこの端末からは尾形くんが店員さんに「203番」と煙草を頼む声が漏れている。

「鍵」
「人の話聞いてる?」
「ナマエ、開けてくれ」
「尾形くんどうしたの? もう寝るから」
「寒いんだ。さっさと開けろ」
「……いい加減にしてよ」

 ドアを開けると尾形くんがいた。
 仕事を辞めても相変わらず髭も髪もきちんと整えている。招き入れてしまうわたしもわたしだ。尾形くんは捨てられ慣れていて、その生き様が不憫なのだ。
 よかったと、彼がわたしを抱き締めた。冷たい指先がわたしの首筋を這っている。「シャワー浴びていいから」顔を見て安心したのか首だけ縦に振ってお風呂場に消えて行く。


***


 眠っている間に彼がわたしのケエタイを隈無く確認することならば知っている。
 痕跡は徹底的に消えているけれど、どうあったって、今の尾形くんがそんな初歩的な浮気チェックを怠る筈が無いのだ。何か得体の知れないモノに生活音を聞かせるのは不気味なのにわたしも離れられないでいた。時折見せる愛らしい姿とか、男らしい恰好とか、それから何をしでかすか分からない恐ろしさが別れる選択肢を奪っている。尾形くんは変わってしまったけれど前のまんまの部分もある。二人で起きている時は今までみたいに冷めているけれど憎めない大好きな姿に移るのだ。
 早いところ連絡先も職場も住居も変えなかったのは完全にわたしの誤算だった。尾形くんはどんどん人から離れていく。


***


「え、尾形くん、ソレ何?」
「見りゃ分かるだろ。最近気付いたんだ。お前がミョウジとか名乗ってるから安心できねえって」
「意味分かんないって、まだ早いよ」
「ナマエは俺じゃ駄目なのか?」

 深夜の訪問の都度チャイムの連打で目覚めるのが億劫で鍵を渡してしまったのが間違えだった。尾形くんはわたしの家に居着いて、勝手に本を読んだり掃除をしたりして過ごしている。先日お父さんが亡くなった折に手に入った遺産が彼の資金源だった。大きな宝石輝く指輪の下に婚姻届が敷かれている。
 こんなに色気の無いプロポーズを受けたのも世の中でわたしぐらいだろう。尾形くんの目線は気味が悪い程真っ直ぐで、何ンら疑い無くわたしだけを匿っていた。

「尾形くんが嫌いとかじゃないけど、わたしまだ働き始めてちょっとしか経ってないし。もう少し後でもよくない?」
「……そうか」

 尾形くんの瞳から光が完全に無くなったのはこの瞬間だ。暗転、何かがわたしの上に覆いかぶさっている。頭を強くぶつけたせいで視界が戻って来ない。痛みと一緒にじわじわと、端から端にやって来た光景に言葉も一緒に失くしてしまった。
 鼻の先に尾形くんの髭が当たっている。間近で見る肌は蝋のように滑らかで、物質的だと思った。わたしの知っている彼はいないんだ。

「ナマエの為に用意したんだ。俺のどこが不満か教えてくれ。どうして俺のことは他人行儀に苗字で呼ぶんだよ。アイツのことは名前なのに、なあ、ナマエ、金ならあるから、ナマエ」
「お金じゃ……ない」

 そうかと尾形くんが薄く笑っている。後頭部の次は掴まれた指先にに重い感触が響いた。薬指が、逆方向を描いている。

「い、痛、……え? 痛い、なんで?」
「簡単な話だったんだ。指と足と耳も潰せば俺無しじゃ生きられなくなるよな?」
「嫌……」

 激痛に叫びそうになる喉を尾形くんの掌が塞いだ。いつから彼はこんな形になったんだろう、視界の端に映る手首には深い深い傷跡が洗濯板のように連なっている。
 赤く滲んだ傍線に、どうしてここまで苦しめてしまったのかと胸が苦しくなった。尾形くんは無味っぽく口先だけ吊り上げて見せている。こんな様にしたくて彼の申し出を受け入れて、今日まで一緒に過ごしてきたわけじゃない。

「尾形、くん……大丈夫だから」
「ナマエだけはどこにも行って欲しくないんだ。愛してる、一緒に」

 縋り付くような彼の声が聞こえない。白む世界でさいごに見たのはわたしの大好きな尾形くんの泣き顔だった。



20191210

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