短編 | ナノ

「今日は動くの禁止な」
「それは無理ですよ」
「さっそく破ってんじゃねえ」

 良い匂いがしたので寝室のドアーを開けたら尾形さんがサイズの合わないエプロンを纏ってお玉を握っていた。猫舌のクセに鍋から直接味見をして、案の定火傷したようで慌てて氷を漁っている( なんだ、コレ )。

「大丈夫ですか? わたしがしますから、尾形さん座っててください」
「だから動くなって言ってんだろ」

 舌先を冷やしたまま喋舌るので、ただでさえ聞き取りにくい尾形さんの声が耳にもどかしく届く。涙目の彼が無理矢理わたしをソファに運んだ。「待てぐらいできるだろ」一丁前に叱って見せるけれど寸足らずなエプロン姿には威厳に乏しい。
 言われたまんま動かないで眺める後ろ姿は慌ただしく、とてもあの尾形百之助とは思い難い光景だ。濡れた指先でスマートフォンを見遣りながら、彼は危なっかしい手付きでネギを刻んでいる。あア、薬味なら冷凍室に準備しているのに!

「尾形さん、あの」
「黙って録画でも見てろ」
「えー」
「口動かすのも禁止だ」
「だったら尾形さんのこと好きーって言えませんよ」
「……口だけは例外にしといてやる」

 自分で言った毒のように甘い台詞にゾッとした。
 何を作ろうとしているか知らないけれど尾形さんは、どう考えたって無駄な動作が多い。シンクにボウルやお皿やスプーンが散らばっていて、こんな姿、いつもこれでもかってぐらい嫌味を言われている谷垣くんや杉元くんが見たらどれだけ笑うことだろう。

「尾形さん、手伝いますよ」
「何度も同じことを言わせるな」
「……ごめんなさい」
「もう出来る。そのまま待っとけ」
「あっ、ランチョンマットは右の引き出しですから」

 一仕事終えたと言わんばかりに尾形さんはエプロンを脱ぎ捨てて、わたしを椅子まで運び上げた。自分で歩けると言っても「今日は何もするな」しか返って来ない。一体何があったんだろう、不気味なぐらい尾形さんが優しい。
 テーブルに並んだのは酢豚とお味噌汁と目玉焼きだった。一体どういう献立なんだろう。文句では無く純粋にこの人がわからない。

「ありがとうございます。いただきます」
「不味かったら残していいからな」
「尾形さんだってわたしが作ったのいつも全部食べてくれるじゃないですか」
「ナマエの作るメシはいつでも美味い」

 嬉しいけれど恥ずかしい。それから尾形さんの作ったご飯は自信を喪う程美味しかった。なんだこの人は、嬉しいんだけど複雑だ。
 わたしが食べる姿を横目にそれから彼は洗濯とかお風呂掃除とか、思い付く限りの家事をこなしてくれている。少し手出しをしたならば怒られることは目に見えているので黙っていた。小一時間もするとパタパタ慌ただしい尾形さんにも慣れて来て、テレビをみたりスマホをいじったりそこそこ快適に過ごしている。

「終わった。他に何かやることねえか?」
「ありがとうございます。ありませんからゆっくりしててください」
「ナマエ」

 ソファの前に座った彼が腕を広げた。こんなこといつもの尾形さんならしない。恐る恐る背中を向けて中に入るとゆっくり抱き締めて頭を撫でてくれた。こんなこといつもの尾形さんなら絶対にしない。
 今日が例えば付き合って何日目の記念日とか、恋人を敬う日とか名前が付いているならまだ納得できた( この人がそんな曖昧なものに振り回されるような人間では無いことは置いておく )。けれどどう調べたって太平洋戦争開戦記念日ぐらいしか出て来ないのだ。そんなもの記念日にするなと思う。
 わたしを差し置いて尾形さんは満足そうに、チョコでも食べるかと提案して来る。要らないと言ったところでねじ込まれるようにポケットから少し溶けた包紙が出てきた。

「ほんとに今日はどうしたんですか? 浮気の罪滅ぼし?」
「おいおい、俺がたまに動くとすぐそれか。別に理由なんてねえよ」
「嘘ですよね。何ですか」

 この人は嘘を吐く時「普段よりも普段らしい」演技をする。何気無く言っているつもりでどこか不自然で、向き直ってジッと見つめると彼は所在無く視線を逸らした。
 やっぱり何かあったんだ。「尾形さん」詰問さながら名前を呼んだ。いよいよ観念したらしく彼の重い口が開く。

「……昨日先に寝てただろ」
「え? はい、遅くなるって聞いたから」
「寝顔見てたら可愛いって思ったんだ」
「はい?」
「これで満足か」
「え、それで?」
「それだけだが」

 泳ぐ黒目に自分の頭を撫でる手付きが証明するに、今度の彼は間違えなく本当のことを言っている。納得するとあの尾形さんが面と向かって「可愛い」なんて言い切ったのが恥ずかしくて変な笑いが込み上げてきた。
 次第に大笑いに変わっていくわたしを尾形さんは一段不機嫌そうに抱き締める。

「悪いか」
「うれしいですけど、恥ずかしい」
「今日は何でもやってやるからじっとしてろ」
「明日は?」
「調子に乗るな」

 料理は面倒だったらしく、夜は出前か外食だと尾形さんが言った。やり方はへたくそだけど、愛されてるなーと思うと嬉しくてキスをする。はにかみながら尾形さんが「起きてる方が可愛いな」とまたわたしを殺すようなことを言った。


20191209

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