短編 | ナノ

 連絡が来たのは唐突だった。
 どうしても直接会って話したいことがあるのだと、数年ぶりにナマエからの着信が鳴った。次の瞬間俺は髪を切る算段を取ったりカートに入ったままの服の注文をしたり、無駄遣いをしないようクレジットカードを衣装ケースの奥深くに封印した。俺もいよいよ良い歳なので、割り勘なんて幼稚な真似はしたくなかったのだ。残業が続いたせいで深く落ちていた隈を消す為に期日までは極力早めに仕事を済ますべくスケジュール帳を開いている。

「なんだよ、勿体ぶってねえで電話で言えよ」
「直接話したいんだって」
「……仕方ねえが、俺とお前じゃ休みが合わんだろ」
「わたし、今仕事してないからいつでも尾形くんに合わせられるよ」

 のらりくらりと、お互い予定を合わせる努力はしなかった。間が何ヶ月空いても時間が見付かれば「あたかも昨日も会っていたように」喋舌ることが出来るし気を遣う必要も無かったのだ。
 そんな彼女が初めて俺に合わせると言うのだから、冒頭通り、身なりやら何ンやら整えるのも当然である。北海道に訪れるのだと、切られた日程は二週間後だった。たったの十四日が異様に長く感じられ、しかし前夜になると一瞬の出来事のようにも思える。たかだか旧友に会うだけならば何の気も持たずに入眠出来ただろうに、案の定俺は布団の上でひたすら学生時代を回顧していた。

 ナマエとは大学の時分に付き合う寸前まで漕ぎ着けた仲である。ただ、もう一歩のところで花沢家の不幸に巻き込まれ時期を逃してしまったのだ。しばらく鹿児島に通い詰め、戻ってきた時に彼女には別の男がいた。「尾形くんとは、タイミングが合わないよね」はにかむのも当然で、俺と彼女は毎度良い所まで行っては離れを繰り返していた。

「わたしって多分、尾形と結婚すると思うんだ」
「ははあ、その割にはすぐ男作るよな」
「ひとりだったら不安になるんだよ。でも尾形ってどこにも行かないし……っていうかそっちだって彼女いない期間ほとんどないじゃん」

 何も身体を重ねたことがある訳では無い。せいぜい二人で夜通し飲んで、別別に寝て、翌朝講義に遅刻をして、空いた時間を塗り潰すように浪費していただけに過ぎない。
 文字通りタイミング悪く、そのまま就職で北海道に飛ばされた俺を彼女は当然追うまでも無く遥か遠くの地元に帰って行った。休みが合えばそっちに行くからと話していたが、やはりタイミングは合わず、そのまま数年が経過していたのである。
 分かり易いことに俺は、当然のように彼女に気があった。あいつも俺と同じはずで、ならば明日の「話」とやらはそういうことに違いない。などと安直に考えることが出来るのならばどれだけ容易く眠られただろうか。おそらく明日の俺は人生の深淵を覗いている。

「尾形! 久しぶり」
「ナマエお前太っただろ」
「それが女性に対する口の聞き方?」

 ナマエの腕には学生時代に野良猫から引っ掻かれた傷が見るも深々と遺っていた。変わんねえな。そっちこそ。待ち合わせ場所に指定された空港内の喫茶店に、彼女のカラカラに乾いた笑い声が響いている。
 あの時していたように、穴を埋めるような無用な会話が二杯目のコーヒーを空けるまで続いていた。俺の煙草は残すところ三本となり、彼女は二回用足しに立っている。そろそろ店員の目が鋭くなってきたのでパフェーを注文した。底にかさ増しされているコーンフレークにスプーンを突き刺しながら、ナマエはようやく俺の顔を見た。

「尾形が昔のまんまで安心した」
「なんだよ、改まって」
「でも、できればガラッと変わってて欲しかったなーとか」
「変わっただろ。これ」

 髪を切るのが面倒で大学時代はずっと坊主頭にしていたが、社会に合わせてツーブロックに整えている。初めての北海道の冬に対応出来ず運転中にスリップして大怪我をしたから顎にデカい傷痕がある。愛想笑いを覚えたので店員に対して和かに注文できるようにもなった。
 そう言ったところ総てを引っ括めて、ナマエは俺を昔のままだと笑った。含ませるような物言いをするこいつこそ昔と同じままである。

「で、話って何だ」
「あー、うん……あのね、わたしって占い師とか予言者とか向いてないなーって」
「そりゃそうだろ。大学の時だって毎回天気予報の裏かいて洗濯物水浸しにしてたじゃねえか。お遊びで競馬行った時もバイト代全額擦っちまってたし、それから……」

 地の底に落ちる覚悟が出来ていない為に要らない回想を繰り返す俺に、彼女は水を全部飲み干して気まずそうに笑った。
 小一時間前には雑音で溢れかえっていた店内も昼時を逃すと客足が疎らになっており、一挙手一投足がいやに大きく響くのだ。自分の心音でさえもいやに大きく聞こえた。これが彼女に聞こえていたらなどとありもしない想像が頭を一層重くする。ナマエにはやはり俺の内心など漏れ聞こえている筈も無く途端に戯けた調子に戻った。

「わたし前に尾形と結婚するかもって言ったじゃん? あれね、ぜんっぜん当たらなかった!」
「……んな気色悪いこと聞いた覚えもねえ」
「そっか、よかった。来月結婚するんだ。式には呼ぶからちゃんと三万円用意しててよ?」

 覚悟があっても無くても現実は当然のように押し寄せる。相手は地元の歯科で働くお医者様なのだと。次の水曜から一緒に住み始める為にこの週末が単身ここに来る最後の機会だったそうだ。

「やっとタイミングが合ったのがこんな時でなんだかなーって考えてたけど、そう思ってたのがわたしだけでよかった」
「ああ、そうかもな」
「そしたら軽く観光して帰るから。ごめんね、忙しかったでしょ? でも元気そうでよかった」

 元気そうに見えるように調整した身体がギシリと音を立てていた。彼女は矢継ぎ早に会計を済ませて店を去って行く。「また時間が合ったら今度は旦那と会いに来るから」見た事も無い様な笑顔でナマエは言った。そんなタイミングならば二度と来なくて構わない。

 人生の底にいる。折を見て招待状も届くのだろう。その時は「タイミングが合わなかった」と精一杯の嫌味を吐いて出席を塗り潰して返送してやろうと思った。

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