短編 | ナノ

( 生傷が絶えない )


 特に謂れの無い怪我を負っては足手纏いに傷心している。この所は街に降りる都度少ないお金をヨードチンキに溶かしているのが申し訳無くなって、いっそのこと立ち上がることも出来ない程度の事態が起こらないかと期待するばかりだ。

「この調子なら今日も野宿になるな。ミョウジさん大丈夫?」
「もう慣れたから平気です」
「じゃなくて、寝てる間にまた野生動物に足でも掻かれないか心配なんだよ」

 杉元くんが心配してくれている事ならば理解しているはずなのに、責め立てられているような気になるのだ。身体が健康でなければ簡単に精神も病んでしまう。同情の篭ったあたたかい視線ですら重荷になって、形見も狭く、あまり得意では無いこの人の隣にばかり着いている。
 片脚を引き摺るわたしに変らない視線を送るのは尾形さんだけだった。とは言え優しいのではなく最初から興味を持たれていないだけだ。「性奴付きの旅とは贅沢なものだ」と言われてっ切りわたしは彼とまともに喋舌った事が無い。そのくせ尾形さんは、街並みで薬屋に急ぐわたしをきちんと追ってくれるのだ。

「何かあったら起こすんだよ」
「ありがとう……今日は大丈夫ですから」

 害獣を除けるために火を焚いて、狭い中で男女の距離を取って横になる。不思議な事にどんなに不安になっても夜は誰よりも早く寝付けてしまうのだ。重い目蓋の向こうでは杉元くんがアシリパちゃんをかかえて白石さんがお腹を出している。それから尾形さんは銃を抱いていた。
 入り口からは一等遠くにいる筈なのに、いつもわたしばかりがバチを被るのだ。結局目が覚めたときわたしは新しい怪我をこさえていた。優しいはずの皆の態度が腫れ物に触るソレにしか感じられず、いよいよ死んでしまいたくなった。不甲斐無いと、感じながらも結局帰る場所の無いわたしは三歩後ろを歩いている。


( ずっと他人に迷惑を掛けている )



 宵いの怪我に加えてわたしは頭痛とか、吐き気とか、眩暈に苛まれるようになっていた。元々中流階級で野営だとか死にたての動物の肉だとかには縁が無かった。それでも最近はお腹を壊すことも無くなって慣れたものだと自負していたのに、どうにも具合が優れない。

「すみません、今日は、ここで休んでいても……」
「仕方ないが一人にしておくのは不安だな。尾形、ナマエのために残ってやれ」

 鶴の一声とはよく言ったもので、アシリパちゃんに促されるまんま尾形さんが無言で銃を置いた。面倒臭そうに溜息を吐いて、さっさと行けと左手を払う。血腥い旅をしているというのに三人はいとも楽しげに荷物を詰めている。わたしは異物だ。それから彼も、いない方が良い人間だと結論付けるような背中がどんどん小さくなっていく。
 要らない事を考えているつもりなのは分かっていた。何の味方か皆目見当も付かない尾形さんは、感情の覚束無い顔を冷たく凍らせている。あの、なんて声を掛けると彼は膝を鳴らして立ち上がった。

「飲め」
「あ……ありがとう、ございます」

 どこかに行ってしまうのだと思っていたが、意外にも彼は紳士のように飲み物を差し出した。尾形さんがあまりに静かにわたしを見詰めるので、一息で、飲み干してお椀を地べたに置いて見せると彼は薄く笑った。
 急激な眠気に見舞われたのはそれから数時間か、数分か、無言の空間では時候の流れが幾倍にも感じられる。目蓋を落とす寸前まで尾形さんは張り付いたような無表情を貫いていた。心無しか体温が上がっている気がする。


( 夢見が悪い )



 身体は一向に動かないのに、触覚だけが研ぎ澄まされている。目を開けている心地ならばあるのだ。しかし風景は真っ暗で、この世界にはわたししかいない。最近同じ夢を何度も見る。暗がりでわたしは耳の付いた生き物に蹂躙され、嘲笑われ、慈しまれている。。この後醒めたら身体にまた切り傷や青痣が出来ていて、都度皆々様の冷ややかな視線を浴びるのだ。
 官能的でしかない刺激が足首から順に、胴体に迫ってくる。唇に触れるザラついた温度や、首筋を撫ぜるぬるい風圧にはひとつも心当たりが無い。髪を目の荒い櫛が滑っている。鼓膜に何か長い波長が張り付いて、お腹の奥がじわりと滲んだ。
 この色の夢を終わらせるのは決まって鋭い痛みである。あんまり痛いので、感覚と聴覚ごと喪ってしまうのだ。


( 解答ならば見えていた )



 団体行動の出来ない尾形さんと身体が思わしくないわたしが一緒くたにされるまでにそう時間は掛からなかった。最初の頃はこんなことも無かったのにと、たまに白石さんが漏らしては杉元くんに諌められている。
 想定以上の長旅になってしまったと感じているのはわたしただひとりだ。置いて行ってくださいと身を引けたらどれ程気楽なものだろう。日に日に距離が出来ていく三人と反比例するように、尾形さんはわたしに意味のある言葉を投げるようになっていた。

「薬飲むか」
「ありがとうございます」
「水」
「助かります」
「なあ」
「どうかされましたか?」
「寝ろ」

 尾形さんはじんわりわたしに近付いて、目元を硬い掌で覆う。がさがさに乾燥した厚い皮と冷水のように味気ない温度はとうに身体に刷り込まれているのだ。言われた通りに寝付かなかったらわたしは一体どうされてしまうのだろう。顔を洗って来ますと、話してその場を後にした。耳と目の良い尾形さんから逃れるぐらいに遠くに歩いて飲み込んだものを総て吐き出す。
 嘔吐以上の苦味が喉を焼いている。意識が少しずつ遠退いて、戻った時には意識は朦朧としていた。尾形さんは薄い表情を最大限緩めて、わたしの髪を荒く撫でた。


( 愛は概ね知らないところで行われるらしい )



 初めて現実を認識した上で舌が身体を這っている。ナマエと、この声から呼ばれるのはいつも意識の外からだった。目蓋は軽いのに、どう開いても視界は黒く覆われている。
 鼻と耳を押し付けるような乱雑な触りには覚えがあった。毎日取り替えている質の悪い包帯だ。グルグルと、幾重にも巻き付けられる所為で繊維の隙間は埋ってしまい光を通す余地が無い。

「ナマエ、愛してる……」

 露助のように歯の浮く、直情的な台詞が降って来る。柔らかな感触は次第に憎悪に塗れた言葉に汚染されて、直接的に肌を傷付けた。普段のわたしは痛みに声を漏らしているのだろうか。分からないから唇を噛んだ。
 尾形さんの指先はわたしの首を絞める、酸素を求めて喘ぐ舌先は並びの整った歯列に諌められた。痛みが快楽に変換される程に昔からわたしはこうされているのだろう。生傷が出来始めたのは、尾形さんと合流してすぐ後のことだった。 彼が見張り番をする夜に限ってわたしは怪我を負っていた。

「お前が悪いんだ」

 自己完結するような口調が鼓膜を劈いて、穴が空く程耳を噛まれる。生きるか死ぬかの寸前で、頸動脈を締め上げる彼の指先が緩んだ。目隠しの先に光は無いのに尾形さんの顔が見える気がする。彼はきっと、普段と違って目を細めて笑っているのだ。


( どうか目隠しをしたまま )



「尾形! どうしてナマエをしっかり見ていないんだ!」
「俺だって忙しいんだ。こんな女に四六時中構ってられるか」

 三人が戻った後で、いつも以上に傷塗れのわたしの肌に薬草を塗り付けながらアシリパちゃんが怒鳴り声をぶつけている。三人は良い人だから、わたしの様相を結果だけ受け止めた。
 尾形さんの艶やかな声を聞くだけで、わたしの身体は、卑しい余韻に苛まれるのだ。けれど彼はわたしが起きていた事を知ってしまえば二度と触れようとしなくなるに違いない。
 どうか目隠しをしたままで、彼すらも誰も気付かないまま、懐胎してしまいたいと思うのははしたないことだろうか。明日も皆はわたしと彼を置いて行くんだろう。次に傷が残る場所を探している。舌先に、自分の鉄が滲む味がした。


20200124
題名はcode:1963_様より

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