短編 | ナノ

「あの、嬉しいんですけど……コレ何ですか」

 仰々しくも「25日は残業するな」とか声掛けられたので完全に浮かれていた。定時で上がったまんま尾形さんの社用車に案内されて、プレゼントだと小さな紙袋を渡される。
 包装の中にはリングが二つ入っていた。ソレが、指輪めいた箱に入っているから期待してしまったのだ。指にはめるには直径が小さく、ネックレスと言うにはチェーンが無い。

「似合うと思ったんだが」
「すみません、用途がわかりません」
「考えるまでもねえだろ」

 ソレを手に取った尾形さんが、わたしの髪を耳に掛けた。キスでもされるのかと目を閉じたわたしを尾形さんの呆れ声が現実に付き戻す。かじかんだ指先よりも鋭く冷たいステンレスが耳を伝って、彼は満足そうに頷いた。

「やっぱ軟骨だな」
「え、ピアスですか?」
「不満か?」
「あ……ありがとうございます。でもわたし、開けてないんですけど……」

 身体に穴を開けるだなんて恐ろしくて生まれてこの方やってみようと思い立ったことすら無い。耳朶ですら経験が無いのだと答えるわたしに尾形さんはニヤニヤ笑いながら、紙袋の底に入った別の品物を取り出して見せた。出来損ないの鉛筆削りのような商品には「使い棄てピアサー」と書いてある。
 まさかこの場でこじ開けようと考えているのか。パッケージ裏の説明書きを読む為に車内灯まで点けている。待ってください、押さえ付けた腕がそのまま攫われて、尾形さんとの距離が無くなった。

「これは大切に飾っておきますから……あっ、そうです! ワイヤーラック固定するのとかにちょうど良さそうですし、一旦落ち着きません?」
「そうか……お前がどこにいても着けられる物を考えたんだが、失敗だったな」

 哀愁漂わせて彼がわたしの首筋に額を落とす。冬の夕刻は陽が早く、黄熱灯に反射するスーツの糸埃がイルミネーションのように輝いて見えた。忙しくて二人で会う時間が無いからせめて肌見離さない物を、出来れば寝ても醒めても、四六時中自分を感じてくれるような贈答品を必死に考えたのだと彼は言う。
 消え入りそうな声色があまりに心許無いのに肩を掴んだ指が震える程力強く握られていた。こんな日に尾形さんの気持ちを踏みにじってしまったのが申し訳無くて、ピアッサーで身体を貫かれる恐怖よりも愛しさに、ボヤける頭が先走る。

「あの、開けて、ください!」
「……言ったな?」
「え」

 今にも泣きそうな表情でもしているかと思いきや、したり顔で笑っていた。騙された。前言撤回を試みても車がどこかに進んでいる。知らない路地を掻い潜り、怪しげな道順が恐怖心を煽っていった。
 ハイビームを利かせて法定速度のギリギリを行く横顔は楽しそうに歪んでいる。尾形さん、呼び掛けると彼はミラー越しにわたしを捉えて口の端を吊り上げた。

「ナマエに一生残る傷跡付けてやれるんだ。最高のプレゼントだろ?」

 ウインカーを下ろした指先がそのままわたしの耳をギリギリと摘んで見せる。ずっとお前を傷モノにしたかったんだと、尾形さんが幸せそうに微笑んだ。


***



 ベッドに押し倒されることならば慣れたものだけど、ソファに座らせられるタイミングなんて今まで無かった。尾形さんはわたしの前に跪いていとも愉快そうに髪を撫でている。
 ホテルのローテーブルには先程チラ付かされたピアッサーとは別に、素肌用に滅菌されたペンだとか、消毒薬だとか、ティッシュやコットンが並べられている。几帳面なこの人のことなので万が一にも化膿しないように最大限の準備をしてきたんだろう。

「ほんとにやるんですか……」
「当たり前だろ」

 入室するなり録画ボタンを押して、カメラマンさながら尾形さんは物品とわたしの顔を撮影している。ピアスを開けるのなんて初めてだって、言えば言うほど彼の機嫌が良くなっていった。

「あの、誰かのピアスって開けたことあるんですか?」
「無い」
「だったらやっぱりやめましょうって! 皮膚科とかで開けた方が安心安全らしいです!」

 車の中でひとしきり調べた情報によると、やはりセルフが( もっと言うなら火あぶりにした安全ピンが )安上がりではあるもののトラブルの要素が多くシッカリ医師に施術してもらう方が確実らしい。医院によってはキシロカインゼリーとかいう麻酔を塗布してくれる場所もあるようで、少なからず、思い立ってこんな場所で素人に開けさせるのはあまりに非常識だ。
 感染症や施術後のリスクを話したところでこうなった尾形さんの耳には入らない。ティッシュの上に曝した二つのリングに荒っぽく消毒液を吹き掛けて、緑のペンがわたしの耳に点を描いている。

「ナマエ、怖いか?」

 スマホを片手に今度は本当にキスをされた。いつもの何倍もやわらかい舌に思考が解け掛ける。一度言ったら聞かない人なので、今更突き飛ばしたところで髪を引きずってでも居直らせるんだろう。だからされるがままに、していたのに、「ごめんな」とわざとらしく尾形さんがわたしの頭を撫でた。
 どこか他人事のように退いた態度がおぞましい。どう考えたって尾形さんのワガママで傷モノにされるのに、まるで、これではわたしが無理を言っているようではないか。

「痛くないですか?」
「多分な」

 耳にピアッサーが宛てがわれる。
 こわいと、震えるわたしに尾形さんがもうひとつキスをした。バチン、鼓膜の近くで唐突に大きな音がして、次の瞬間には痛みがジワリと広がっていく。

「痛、うそ、痛いです!」
「外すからじっとしてろ。……あー」

 予告も無しに穴を開けられた。耳朶よりもズット高い位置が痛むはずなのにソコから全体が、ひいては頭まで痛み出す。
 引き抜かれたピアッサーと彼の指には血が滲んでいた。外耳を伝って温い液体が重力を添っている。血が出ていると、尾形さんは残念そうに呟きながら用意していたコットンに消毒液を浸して優しく右耳を包み込んだ。

「貫通してねえな。失敗だ」

 ソレだけで充分この世の終わりのような心地なのに、尾形さんはあくまで冷静に状況を述べている。勢いが足りなかった、案外固い、ぼそぼそ話す口調が日常通りでゾッとする。
 床に投げ捨てられたコットンにも結構な血がこびり付いていた。ジクジクと痛む右耳を押さえながら、わたしは、ごめんなさいと謝る他が無い。涙が右目をツゥーと伝っている。尾形さんは洗面台に立って「これで押さえとけ」とタオルを持って来た。

「泣くなよ。悪かったって」
「もう、いやです、こわいし痛いです……」
「次は上手くやるから安心しろ」
「そんなのしなくても、ちゃんと尾形さんのこと……好きです、から」

 一度の失敗で終わりだと思い込んでいたのに彼は当然のようにテーブルに並ぶもう一つを手に取っている。怖い。仕事中と何ンら変わらない表情が冷静に次の方法を検討せんと説明書を音読していた。

「ピアスと皮膚が直角になっていることを確認し、更に強く最後までしっかりと握り締めます……ああ、外す時はゆっくりか。さっきはすぐ離したから失敗したみてえだ。ほら、じっとしてろ」
「嫌……」

 次は左な。今までに見たことが無いぐらい優しく微笑む彼が、マーカーも付けずに耳元の髪をかき上げた。ギリギリと、バネが軋む音がする。ゆっくり動かすのは貫いた先の動作なのに、尾形さんはわざとらしく針先を当てたり離したりしていた。角度がどうとか勢いがこうとか、言い訳をしている筈の声色が怪しげに震えるから背中を流れる汗が止まらない。
 暫く目を閉じて、開いた先でゆるやかに針が耳を貫いた。確かめるように耳の軟骨を貫いて、痛みが直接的に全身を駆け巡り、叫んでも彼は満足そうに笑うばかりだ。

「ああああ! 痛、い……いだい゛! はやく取って、ください!」
「いーち、にー、さーん……十秒ぐらいはこのままにしてねえと、失敗したらやり直しだぞ」

 わざとらしいゆっくりとしたカウントと一緒にぐりぐりとピアッサーを引っ張り、穴がめちゃくちゃな方向に広げられる。そんな用法どこにも書かれていない。

「九、十……おー、今度はきちんと開いてんな。なあ、見てみろよ」

 スマートフォンの画面いっぱいに涙で歪んだ自分の顔が写っている。耳には確かに無骨な金属片が覗いていた。右耳を塞ぐ白いタオルも血や冷や汗でぐじゅぐじゅに濡れているのに、ソレよりも大量に赤色がだらだら流れていて眩暈がする。
 ごめんなと、何度目かわからない表面だけの謝罪が頭をスリ抜けていく。やっと終わった安心感にまた涙が漏れてきた。

「もう、帰りましょう」
「まだ付け替えてねえだろ?」
「……え」

 ティッシュの上で消毒液漬けにされたプレゼントを指差して、尾形さんがわたしをベッドに放り投げた。テーブルに置いた一式をまとめて枕元に並べ、逃げようとするわたしの上に馬乗りになる。

「え、あの、ファーストピアスってしばらく外しちゃいけないって……」
「開けたばっかなら定着もクソもねえだろ」
「いっ……痛、やめてくださいッ!」

 血のせいで指が滑るらしく傷口をぐりぐりと抉られた。痛い。彼は楽しそうに指先に着いた血を舐めている。ずるり、乱雑にねじ込まれたリングの先が耳をもう一度貫いた。

「似合ってんぜ? 俺の見立ても悪くねえな」
「やっと、かえれる……」
「何寝言抜かしてんだ。もう一個あるだろ」

 予備ですら無い、使い下した血まみれのピアッサーを浅くカチカチ鳴らしながら尾形さんが笑っている。大体クリスマスはしあわせなイベントであるはずなのに、嬉しそうに笑うのは尾形さんただ一人だ。
 不完全な傷口にトドメを刺す算段なのは火を見るよりも明らかだ。

「あっ、あの、消毒とかした方がいいと思うので……!」
「めんどくせえ。ツバ付けときゃ治るだろ」
「ひっ……!」

 がぶりと右耳に噛み付かれ、不十分な止血に固まりかけた血糊を溶かすように舌が這う。スマートフォンをヘッドボードに置いた彼の手は自然とスカートを捲し上げた。
 生傷だけれどねっとり舐めるので、痛みと別の声が漏れてしまう。タイツを掻い潜った指先が触れる。尾形さんが耳元で、低い声を鳴らした。

「なあナマエ、何でこんなに濡らしてんだよ」
「え、そんな……こと!」
「痛みと怖さで小便でも漏らしてくれたら可愛かったんだが、お前みたいな変態にはご褒美にしかなってねえようだな」

 変態はどっちだ。そもそも前から彼はオカシかったのだ。お腹が痛いと訴えれば心配そうな言葉を投げるのに何かに期待していて、落ち込む姿を何よりも渇望している。
 きっと生まれ持ってのサディストなんだろう。わたしの喜ぶことは一通りしてくれるけれど、そんな状況よりも苦しんでいる様相を見た時の方がキレイに笑うのだ。

「尾形、さんっ! ほんとに、痛いからぁ……」
「もっと痛くして欲しいってか? ナマエは本当に可愛いな」

 力任せに気持ち良いところを擦られて腰が跳ねる。どんな反応をしてもこの人を喜ばせるばかりで、泣く気力も薄れてきた。
 ふと、腕時計を見遣った彼が冷め切った目付きに戻ってしまった。この部屋に入ってもう三時間も四時間も経っている気がする。90分の休憩で取ったのだからそんな筈は無く、あと30分だと尾形さんが吐き捨てた。

「ナマエが痛いとかやめろとか騒ぐせいで時間がねえんだ。もう入れるが文句ねえよな?」
「嫌、え、あの……! 明日も仕事だから、もう帰りたいです! おねがいですから、尾形さん!」
「うるせえ口だな。これでも咥えとけ」

 先程まで右耳に宛てがっていたタオルを突っ込まれ、鉄の味と錆臭さが一気に広がった。息が苦しい。ベルトを外す音がして、本当にこのままセックスをするつもりなのだと頭が真っ白になる。
 尾形さんはさっきからわたしの血を愛しそうに舐めているがどんな心情でいるんだろう。こんなに生臭くては普通は萎えるはずなのに、今日の彼は普段と比較にならないぐらい興奮していて瞳孔が奇しく開いている。

「ん゛〜〜〜ッ!」
「お前、いつもより感度良いんじゃねえの? そんなに俺からのプレゼントが嬉しかったか?」
「ぅぐ、……っあ゛、あ゛ああ」

 針とは違って一気に突き立てられ、痛覚よりも快感が身体を支配していった。尾形さんは意地悪く「イイ所」を執拗に責め立てる。
 ぐちゃぐちゃと今度は耳では無く音が響いた。何回イッても構われず、呼吸もうまく出来ないせいで意識が少しずつ遠退いていく。このまま気を失えば良いんだ。

「───ッ!?」

 身を任せるように目を閉じたわたしに襲って来たのは唐突な刺痛だった。バチン、三度目の痛みが右耳を貫いた。

「痛いと締まるんだな。やっとコツが掴めてきた。……いつまで自分の血啜ってやがる」
「っは、あ……ッ! いだい゛ッ!」

 涎と涙で更に濡れたタオルを取り上げた尾形さんが「声があった方が面白い」と笑って見せた。奥を突いてゆっくり腰を動かしながら、彼がまたわたしの耳に穴を開ける。
 四回、五回と余計な傷を付けられて、どこが痛むのかわからなくなってしまった。熱湯でもかけられたように、耳を中心に激痛が襲い掛かる。尾形さんのスーツの袖口にはわたしの血が薄く広がっていた。

「これだけやれば一生塞がんねえだろうなあ?」
「あ゛っ、いだ……い゛っ! い、や゛ああッ!」
「あ? せっかくナマエの為に用意してやったのにどういうつもりだ?」

 血と涙でぜんぶがぐしゃぐしゃに濡れている。尾形さんが激しく奥を突き立てた。何度目かわからない絶頂でかんがえる知能もなくなってしまった。

「イぐ、イッた、から! ぃぎっ……お、がた、さん゛ッ!」
「ナマエ、痛かったよな? 悪かった……愛してるから、加減がわかんねえんだ」
「わたしも、愛して……ぁあ゛あッ!」
「やべえ、出る……ッ!」

 意識がやっと溶けていく。涙で滲んだ視界の中で、悪かったとか、少しも思っていないように尾形さんが目を細めていた。


***



 目が覚めたのは26日の早朝だった。右耳にもいつの間にかピアスが付けられている。枕元があまりに赤くて血の気が引いた。

「起きたか」

 ソファに座ってローテーブルに脚を投げ出した尾形さんが、スマートフォンを翳しながらわたしを誘う。小さな画面の中には割れんばかりの音量で痛みに悶えるわたしがいた。
 ゴミ箱に消毒液と軟膏が沈んでいる。最初から無闇矢鱈に穴を開けるつもりでいたんだと、気付いても今は鈍痛以外に何も感じなかった。

「他の物も準備してたんだ」
「へそピアスとかですか」
「アレは趣味じゃねえ」

 バッグの底から彼が行儀の良い小箱を取り出して、わたしの前に、今度は恐縮そうに跪いた。目線が合わない。シャワーを浴びたばかりなのか水に濡れて艶めく髪と、睨み付けるような上目遣いがわたしを捕らえている。

「キズ物にした責任は取ってやる」
「……やり方がもう少し一般的だったらお受けしたんですけど」
「断るならその耳引き千切ってでも言う事聞かせてやる」

 今度は本当にクリスマスらしいダイヤモンドが輝いた。涙がまた自分の頬を伝っている。うなずくわたしに尾形さんが、やっと素直に笑いかけた。


20191225

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