──あの人、この前***したんですって。女の人の事を何ンとも思っていないんでしょうネ。
休日になると尾形くんは、厭が応にも訪れてわたしの部屋で夜を明かす。いつか、もう二度と来ないでくださいと懇願したら彼は捨て猫みたいな表情を溢した。まるで自分が極悪人にでもなった心地で堪らなくって、ソレからズット、彼を受け入れては離れた場所で眠っている。
夏の終わりは案外早く、秋を通り越してコートを取り出した。制服の上から羽織ると内側が膨れるのでわたしは冬が好きでは無い。
十月だと言うのに冬の装いをするわたしを責める人間はひとりだっていなかった。彼はいとも容易く地べたと毛布の間に身体を滑り込ませてイビキを掻いて見せるのだ。平日の、喧騒の中でひたすら自分の時間を謳歌する姿は疎ましく、出来れば自宅に帰って欲しいと思う。
「もう寝ますから、明日は六時に起こしてください」
「約束はできん」
ランプを消しても尾形くんは物怖じしないでケエタイ画面を見遣っていた。
この人はいっつも、手近な所に腰を振ってはそのまんま捨ててしまうと言う。なのに室内にいるわたしには目もくれなくって、ソレがほんの少し面白くって置いている。尾形くんはいつまで経っても紳士的だった。
「どこか行くんですか?」
「チェーン掛けんなよ」
「鍵持ってってください」
「めんどくせえ」
尾形くんの鼻先がわたしの頬に触れた。彼の吐息はいっつもミントの香りがする。
眠気が覚めてしまうのでやめてくれと、何度頼んだところで変わらなかった。彼の足先は惑う事なく玄関先に向かってそのまんま冷たい夜風が付き纏う。わたしは彼が嫌いだった。
わたしと尾形くんは同郷って言う他繋がりもない間柄だ。茨城県は案外広いので昔の彼を見たことナンテ無いのだけれど彼はそう言う、チョットした事柄で女の人を誑し込むのが得意らしい。
総務部の女の子がエスエヌエスに彼との関係を仄めかすような投稿をしていたのは知っている。ただ、ソノ時分に尾形くんがうちでバニラアイスを頬張っていたのもまた明らかであるので少しも気にするつもりも無かった。尾形くんはいつもひたすら、他人に失望している。
「今日はどこ行って来たんですか」
「お前に関係ねえだろ」
「明日は八時でいいですから」
「……なあ、ナマエ」
「何ですか」
「ダメか?」
尾形くんが、わたしのベッドに潜り込んで来た。
シャワーを浴びてすぐの尾形くんは珍しく体温が高くって、まとわりつく湿度がただただ不快で頬を払う。尾形くんの喉が、虚に鳴っている。ソンナ仔猫さながらの声を上げた所でわたしの気分は少しだって動かないのを彼は知っているはずだ。
「他で済ませて来てください」
「寒いから外出たくねえ」
「迷惑だから早く帰ってくださいって」
「だから外は寒いんだって」
もし尾形くんの事が好きならばいくらでも身体を預けてやるけれど、わたしは彼に帰って欲しい以外の何の感情も持てないのだ。こんなこと知れたら贅沢モノだと呪われるだろう。藁人形を打ち付けられたところでどうしても尾形くんに興味が持てない。
彼が、わたしの事を憎からず思っている事ならば知っている。見れば分かる。けれど言葉にされなければどうしようも無いのだ。キット彼は人生で一度も真っ当に愛されたことが無いんだろう。だから寄って集る人間よりも気持ち切り離されたような扱いが恋しくて勘違いをしているのだ。
「ナマエ」
「ですから、他を当たってくださいって」
「お前じゃないと嫌なんだ」
尾形くんの鼻先が、いつものようにわたしの頬に触れている。嫌悪感どころか不思議な程度に何も感じない。たとえばプラスチックが掠めた時と同じような、生物というより無機物に近い認識で尾形くんを拒んでいる。
わたしじゃないといけないナンテどうあっても勘違いでしか無いのだ。否定しても彼はおそらくそんなことは無いのだと弁明するだろう。ソレこそ大きな間違えで、尾形くん、あなたは誰のことも愛せないし誰からも愛されない。
「わたしは別に尾形くん以外でいいんです」
「だったらどうして俺に構うんだよ」
「わたしから構ったことなんてありません」
何もわからない、白痴か幼児のような真っ直ぐな視線が救いを求めて泳いでいる。あなたにははじめから人としてあるはずのものが欠けていて、ソレは今生で手に入らないんです。
左腕だけわたしを抱きながら、尾形くんはただただ他人を求めている。人を愛する方法をわたしや他の誰もが知っているけれど、彼のために教えてあげる道理も無くて、腕を振り解いて目を閉じた。
20191223