小説 | ナノ


▼ 06 お薬出しておきますね

あっという間に人の波に紛れ込んでしまった、リアン・ストーカーの後ろ姿を追いかける。幸いなことに華やかな装いの中で、白衣姿はよく目立っていた。しかし、晩餐直後のダンスフロアには人が大勢押しかけ、中々彼に近づくことはできない。

「あっ…!」

視界が大きく揺らぎ、そのまま前のめりに転倒する。膝を思いっきり大理石の床に打ち付け、足がじんじんと痛んだ。誰かの足に引っかかってしまったようだ。いきなりすっ転んだ私を心配して集まった人々を、大丈夫ですから、と諌める。再び立ち上がろうと足に力を入れると、今度は足首に刺すような痛みが走った。
…やってしまった、どうやら軽くひねったらしい。片足を引きずりながらなんとか壁際まで移動し、ドレスの裾をめくって足首を見ると真っ赤に腫れ上がっていた。小さくため息をついたところで、私の前に大きな影が現れた。

「君、大丈夫かい?足をひねったのだろう?」

顔をあげると、そこには先ほどまで後を追っていたリアン・ストーカーの姿があった。

「ええ、急いでいたら転んでしまって」

「…おや?…君どこかで会ったかな」

忘れていた。私は一度この男に店で会っている。あの時は深夜で、装いも今とは全く違うが、身元が割れているかもしれない事実を考慮せず、軽率に動いた自分を少し後悔した。動揺を悟られないように、慌てて言葉を返す。

「い、いいえ、今日が完全に全くの初対面ですわ」

リアンは自身の顎に手を当て、私の顔をじっくりと観察すると…そうかと言って納得した様子だった。良かった、なんとか誤魔化せたようだ。

「ついて来るといい、手当てしてあげよう」

これでも私は医者なのだよ、とリアンは大きく口を開けて笑った。これは千載一遇のチャンスだ。医務室に何か事件の手がかりがあるかもしれない。ぜひ、とお願いすると、彼に肩を借りて医務室まで連れて行ってもらった。

リアンが扉を開けると、消毒液のにおいがつんと鼻についた。部屋は全て白で統一されており、清潔感漂う雰囲気だ。敷居付きの簡易ベッド、点滴、体重計、戸棚には様々な薬品、ガーゼ…特に怪しい物は見当たらない。
椅子に座らせてもらい、軽く足首を冷やした後、包帯で軽く固定してもらった。

「うん、今は腫れているけど折れてはいない。軽い捻挫だから明日には痛みも引いているよ」

「ありがとうございます」

彼はにっこりと笑い、気をつけなよ、と再び大きな口を開けて笑う。腕まくりした白衣から見える逞しい腕、笑うとのぞく真っ白な歯。快活すぎるくらいの彼は、とても変な事を仕出かす人物には見えなかった。

リアンが氷嚢を水道へ置きに立ち上がった瞬間、彼の後ろにあった物がはっきりと姿を現す。鉄の箱に様々なボタンや、フィラメントの入ったガラス管が複数取り付けられており、その上にはパラボラアンテナの様なものが乗っかっていた。私の身長ほどある大きな機械は、この病室にはかなり不釣り合いな風貌をしている。
これ何ですか?とストレートに聞くと、リアンは、ある実験に使う機械だよと素直に答えてくれた。

「健康は実に素晴らしい。私は健康に対して貪欲なんだ」

「そうですね、私も生涯健康でいたいです」

医者として最もな意見だった。彼は、そうだろう?と目を輝かせて私を振り向くと、熱弁を振るい始める。

「健康な肉体、精神。この17年間、私は毎日究極の健康を追い求めてきた。…しかし我々には決して克服できない不健康がある」

何だと思う?との問いかけに対し、私はしばらく頭を逡巡させる。人間が避けられない不健康…それは私が、私たちが毎日見届けていたものだろう。

「"死"ですか?」

その通りだ、と彼はウインクをして人差し指を立てると再び話を続ける。

「私はついに成し遂げたのだよ、人間の完全救済を…3日後とある集会でお披露目するんだ」

その言葉にぴくりと耳が反応する。3日後、集会。おそらくセバスチャンの言っていた例の集まりだろう。リアンは恍惚といった表情で手を広げて天を仰いでいた。

「…その集会に私も参加しても?」

思い切ってそう口にすると、彼はぐいっと顔を近づけ、私をまじまじと観察する。しばらく舐める様な目つきで見られていたが、まぁいいだろうと呟き、ポケットから何かを取り出した。

「それをつけて、3日後の夜20時に一等旅客用喫煙室においで」

リアンが私の手の中に置いたのは、鳥が羽を広げている小さなバッジだった。あの夜の手紙に描かれてあった紋章と全く一緒のデザインだ。

「それから…今から話すことが一番重要だ」

リアンは笑顔を引っ込ませ、至極真面目な表情になる。私はごくりと唾を飲み込むと、彼の言葉に耳を傾けた。



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