▼ 03 お姫さまごっこ
"間も無く出航いたします、お乗りになるお客様はお急ぎください"
喧騒の合間から、乗船を促すアナウンスが引っ切り無しに聞こえてくる。
港には豪華客船を一目見ようと、貴族から庶民までたくさんの人々が訪れていた。きっと家族や知人が乗船するのだろう。見送りのテープを携えている人もいる。皆目を輝かせ、出港の時を今か今かと待ち構えていた。
空は雲ひとつなく晴れ渡り、気持ちの良い海風が髪を波打たせている。
絶対貴方をもう一度見つけてみせる。
順風満帆、前途洋洋。私たちの航海はここから始まった。
「行くぞ」
思わず海に見とれていた私の手をシエルが引っ張った。気づくと船は汽笛を鳴らし、今にも出港しようとしている。
3週間分の荷物が詰まった鞄を持ち上げると、急いで階段を駆け上った。
充てがわれた部屋は一等の客室だった。貴族の出ではなく一介の庶民である私は、三等客室でいいと何度もシエルに訴えたが、僕に恥をかかせるつもりかと一蹴されてしまい、有り難くその配慮に甘んじる事にした。
一歩足を踏み入れて入って思わず絶句する。
天井には光り輝くシャンデリア、天蓋付きのベッド、壁には絵画が数枚かけられている。至る所に明らかに高価なオブジェや壺が飾られており、とにかく贅の限りを尽くしていた。流石お貴族様だ。
「…この部屋で暮らせっていうの」
普段の蜘蛛の巣が張った薄暗い部屋とは雲泥の差があり、開いた口がふさがらない。こんな煌びやかな部屋で寝付けるかどうか不安だった。
一等客船の晩餐にはドレスコードが決まっている。カンパニア号は少し趣向を凝らしているようで、日によってドレスコードのカラーまで決められていた。どうやら今日は青のようだ。セバスチャンに用意してもらったナイトドレスに手を伸ばす。
そういえば以前ドルイット子爵のパーティに潜入した際も、青のドレスを着ていた事をふと思い出した。
まだ晩餐の時間には時間が早かったため、甲板で風にでも当たろうと部屋を出た所でセバスチャンに呼び止められた。
「今回の"仕事"についてお話があります」
そう耳打ちされ、廊下では何だろうと自分の部屋へ招き入れる。紅茶でも淹れようと立ち上がると、それは私の仕事ですので、とやんわりと制された。
「以前お話しした暁学会の集会ですが、3日後の夜会の時に行われるそうです」
「私は何をすれば?」
「その夜会に潜入し、主催者であるこの人物を調査をお願いします」
そう言ってセバスチャンは懐から一枚の写真を取り出した。そこには見覚えのある男性が写り込んでいた。
「これは…」
「リアン・ストーカー、暁学会の首謀者でありカルンスタイン病院の院長をされている方です」
間違いない。数ヶ月前の深夜、アンダーテイカーを訪ねて手紙を渡しに来た人物だった。これでアンダーテイカーは動き回る死体の件に一枚噛んでいる事が確定してしまった。
「彼も一等客船の乗客です。会合までの三日間、さり気なく彼を観察していてください」
「わかったわ」
「それから…」
セバスチャンはゆっくりと私の元に近づくと目を細める。
「一人前のレディが無防備に部屋へ男を引き入れるなど…関心しませんよ」
にやりと口元を歪ませながら私の顔の輪郭を一撫ですると、彼は一礼して部屋を出て行った。からかわれた事に気づき、思わず赤くなった顔を冷たい手で抑える。
これだから二枚目は苦手なのだ。
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