小説 | ナノ


▼ 02 順々、逡巡、心中

薄暗い部屋で傷んだ天井をぼんやりと眺める。木目を辿って、また戻って。無意味なことの繰り返しだ。
所々に傷や雨漏りのあとがあり、この建物は相当年季が入っていることを示していた。

イギリスの歴史の中でも指折りの豪雨に見舞われた際、この家も数十カ所にわたって酷い雨漏りの被害に遭った。
アンダーテイカーと一緒にボウルやらコップやら、とにかく水を溜めれそうな物持って走り回ったことを覚えている。
店が足の踏み場も無くなった光景が目に浮かんだところで、我に帰る。

こんな些細な事でも彼を思い出してしまうだなんて、私はそろそろ末期かもしれない。

数センチほど開けた窓からは、湿ったぬるい風が入ってきていた。
目だけを横に向けると、時計はまだ早朝である事を指し示している。
重たい身体をゆっくりとおこすとスリッパを履き、のろのろと真っ黒な衣装へと着替え始めた。

アンダーテイカーが居なくなってからも私は葬儀屋の営業を続けていた。

絶対的に死を避けられない人間の宿命を思えば当たり前かもしれないが、店主がいなくなっても仕事はちらほら舞い込んで来る。
ただ、検視や損傷の激しい遺体の縫合は全て彼に任せっきりだったため、今更教えてもらっておけばよかったなと後悔していた。

キッチンに入ると戸棚にわんさか積まれてあるウイスキーに手を伸ばす。
今となっては昼間からの飲酒が常習で、あれだけ飲めなかったウイスキーにまで手を出す始末だった。

「酔えないんだよ」

そう言ったアンダーテイカーの声が頭の中で再生された。いつだったか一緒に深酒をした際、彼の口からぽつりと放たれた言葉だった。
何を言ってるんだこの人は、とあの時は呆れて軽く受け流していたが、今はその言葉の意味が身に染みてよくわかる。

彼もこんな絶望的な気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。それに気付かず隣で過ごしていた私はあまりにも能天気だ。

カウンターでちびちびと飲みながら帳簿をつけていると、見覚えのある背丈の真っ黒なシルエットが店の扉に映り込んだ。

まさか…と思い、所狭しと置いてある棺桶に躓きながら駆け寄ったのと扉が開かれたのは同時だった。

「…すみません」

私の目の光が一瞬にして失われたのがわかったのだろう。彼は様々な意味の込められた一言を発した。

入ってきたのはセバスチャンだった。
彼は床に置かれてある酒瓶に気づくと大きな溜め息を吐く。

「昼間からお酒を飲むのはあまり感心しませんよ」

「…わかってる」

アンダーテイカーが去った後、抜け殻のような状態になった私の面倒を見てくれたのは、シエルとセバスチャンだった。

あまりのショックから拒食状態になった私を屋敷へ引き取り、文字通りおはようからおやすみまで甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
なんとか日常生活が普通に送れるところまで回復すると、葬儀屋を一人で再開したいという私を快く送り出し、様々な援助してくれた彼等には感謝してもしきれない。
一人暮らしをするようになってからも、こうして時々様子を見に来てくれるのだ。


今日は別件で話がありまして、とセバスチャンは一枚の封筒を私に差し出す。
きちんと封蝋がされてある上質な紙を丁寧に破ると、中には一枚のチケットが入っていた。

「…カンパニア号乗船券?」

そこまで口にして、これが巷で噂となっている豪華客船のチケットである事に気付いた。庶民の私には縁のない話だと聞き流していたが、何でも3週間大西洋を横断し、ニューヨークへ向かう船らしい。船内にはダーツやカジノ、映画館を始めとした娯楽が山ほどあり、毎晩フルコース料理やダンスパーティが楽しめる贅沢の限りを尽くした船旅だそうだ。


「どうしてこれを?」

「気晴らしにいかがかなと」

にっこり笑うセバスチャンの顔をじっと見つめる。こんなうまい話をタダで持ってくるはずがない。また女王の番犬の仕事だろうと問いつめると、彼は降参ですというように両手を上げた。

「前に動き回る死体について調査していたでしょう?」

「ええ…でもあれはレオナルドの仕業じゃあ」

そこまで言った私の口をセバスチャンは遮り説明を始めた。

「実は悪魔の仕業ではなく、人間の仕業だったのです」

レオナルドの死後、事件は一件落着だと高を括っていたが暫くして再度、死体が起き上がり始めたらしい。
調査していく内にたどり着いたのが暁学会という人体実験や死者蘇生の研究をする秘密結社だったそうだ。

「暁学会の会合は次回、カンパニア号で行われます」

その調査を手伝っていただきたい。とセバスチャンは続けた。

「…どうして私が?」

「…以前の調査の際、私たちは死体の起き上がりが悪魔の所為であると思い込んでいた」

彼は一旦口を切り、おかしいと思いませんか?と私に問いかける。

「この件で悪魔が絡んでいると知っていたのは死神と私達だけでした」

そこまで言われてやっと気がつく。暁学会は悪魔の事件を隠れ蓑にして裏で動いていたのだ。その為には事件の存在を知らなくてはならない。つまり、内通者がいたのだ。

「その後すぐに姿を消したのは…」

アンダーテイカー、彼しかいないだろう。

「この事件は葬儀屋さんに繋がると確信しています。彼を見つける為にも協力してくださいませんか?」

拳をぎゅっと握りしめる。最初から彼は裏切っていたのだと知っても、もう涙なんて出てこなかった。

「…行くわ」

その答えにセバスチャンはにっこりと笑うと、私の手を取った。



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