▼ 15 溜息と慟哭と
今日はファントムハイブ邸へ招かれていた。
シエルの仕事を手伝った際の非礼を詫びたいと、晩餐に招待されたのだ。
屋敷へ到着すると、セバスチャンが玄関で出迎えてくれた。
「由里さんお加減はいかがですか?」
「うん、もう大丈夫」
「それは良かった。坊ちゃんが書斎でお待ちです」
久しぶりに屋敷へ足を踏み入れたため、少しだけ緊張する。1週間とちょっと、この屋敷で暮らした生活を思い出し、思わず口元が緩んだ。
ふと廊下の端に目をやると、花瓶に飾られている花がカトレアから紫陽花に変わっていた。
それを見て、こちらの世界に来てから流れるように時間が過ぎてしまっていた事に気がつく。光陰矢の如しとはまさにこの事だ。
書斎の扉を軽く叩き、ノブをゆっくりと回して部屋へ入る。
「シエル、お招きありがとう」
「前回は本当にすまなかった」
「私の方こそ取り乱しちゃって…」
シエルは静かにティーカップを手に取り、ゆっくり一口飲むと話を始めた。
「…僕の家族も、火事で亡くなったんだ」
それはシエルが12歳になる誕生日の日だった。何者かがファントムハイブ邸へ侵入し、シエルの両親を亡き者にした後、屋敷に火を放った。
その後、シエルは黒魔術の生贄として誘拐され、その時にセバスチャンと出会って契約を結んだそうだ。
想像を絶する話に言葉が出ない。まだ13歳という小さな伯爵がその背に負っている物。そして架せられた枷の大きさは計り知れなかった。
「だから僕も火を見るとあの日を思い出すんだ」
「シエル…」
「話はそれだけだ。セバスチャンに茶菓子を用意させているからゆっくりしていくといい」
そう言うとシエルは私に背を向けて本を読み始める。
いつもは自信たっぷりといった様子の背中が、今日はなんだか小さく感じられた。
彼の後ろに立つとゆっくりと腕を回す。
「っ…!…由里?」
全てを奪われてもそれに屈する事なく、自分の誇りのために常に前へ進むシエルは恐ろしいほど強く、そして何だか憐れだった。
同情しているわけではない。ただ、抱きしめたくなったのだ。私と同じ痛みを知っている、まだ13歳の少年を。
シエルは珍しく抵抗せず、私の手の中で黙って身を預けていた。
「心配するな」
その言葉に小さく頷くと、彼の頭に自分の額をこつんとあてた。
応接室に戻ろうと階段を降りていると、セバスチャンに引き止められた。
「由里さん、どうか坊ちゃんをよろしくお願い致します」
彼にはシエルが私に何を話したのかなんてお見通しなのだろう。しかし、私は彼の言葉に素直に頷くことはできなかった。
「…私がシエルにできることなんて」
セバスチャンはくすりと微笑みと私の頬へ手を添える。
「そういう事ではないのですよ」
「…え?」
「貴方はそのままでいいのです」
そう言うとセバスチャンは一礼し立ち去ろうとしたが、ふとしたように足を止め、私に再び声をかけた。
「そういえば、葬儀屋さんから連絡がありましたけれど」
そこで私は初めて、何も言わずに店を出て来た事に気付いた。
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