▼ 12 曖昧な耽溺
あれから1週間間ほどたち、全回復した私はもうバリバリ仕事を始めていた。
昼間にいくつかの用事を済ませ、帰り道を歩き出した時には既に日が沈みかけていた。
昨日夜遅くに帰って来たアンダーテイカーは、そのまま自室に引きこもったまま、今日は出てこなかった。声をかけても、うんともすんとも言わない。
よほどショックなことでもあったのだろうか…
まさか失恋!??
いや、アンダーテイカーが人間に恋している姿なんて想像できない。
むしろ死体とよろしくやっている方が自然だ。彼は葬儀屋という仕事が本当に天職なようで、気に入った亡骸があると恍惚といった表情を浮かべ、見入ってしまう時があるのだ。
もちろん彼の仕事ぶりには尊敬するが、その光景を目の当たりにした時は、何か見てはいけないものを見てしまった気がして、ドアを一瞬で閉めた。
まあ、もし、万が一人間に失恋していたら慰めてあげよう。と考えていたらあっという間に店の前にたどり着いた。
腕いっぱいに白百合の花を抱え、扉を開ける。すると、そこにはまだ夕方だというのに出来上がっているアンダーテイカーの姿があった。
「…え?ちょ、何でこんな時間から飲んでんの!?」
カウンターにウイスキーの瓶を数本転がし、ぐでんと伸びているアンダーテイカーを慌てて抱きおこす。
たまにはいいじゃないか〜と言う彼からはムッとしたアルコール臭が立ち上り、思わず扉をあけた。
…これは失恋の線が濃厚かもしれない。
やれやれ、もし話してくれたら聞いてあげようかとキッチンで水を汲み、彼の前へ置く。
様子を伺うと、意外な事に彼の顔色は普通だった。真っ赤なわけでも、急性アルコール中毒手前の真っ青な顔でもない。
「あれ…?酔ってないの?」
そう聞くと彼は子供のようにうん。と頷いた。
意外とお酒は強いようだ。いや、転がっている酒瓶の量を考えると恐ろしい…強いどころか底なしだ。
「酔えないんだよ」
とぽつりと呟いたアンダーテイカーは、由里も付き合ってよ〜と言ってキッチンへ消えた。
酒臭い事に変わりはないが、彼はふらつきもせず、いつもの足取りだった。
その間に空き瓶を回収する。
アンバサダーロイヤルの25年物にジョニーウォーカーのゴールドラベル…とっておきのウイスキーも全部開けたようだ。
私はどちらかと言うと、ウイスキーは苦手だからなんでも良いんだけど…
由里はウイスキー飲まないもんねぇと彼が持って来てくれたのは、先日シエルが送ってくれたワインだった。
実は私はワインに目がない。あてのチーズも持って来てくれたようで、私は目を輝かせる。
しばらく飲み進め、他愛のない話をした。彼もワインへシフトしたようで、私が一本あける間に2本空になっていた。既にワイングラスは用無しとなっており、ラッパ飲みをしている。
「何かあったの?」
彼は天井を向いたまま答えない。そのままお互い無言で時が過ぎる。しばらくして彼は口を開いた。
「由里」
「なーにー?」
彼はいつも腰に下げているメモリアルジュエリーを手の中で遊ばせていた。どこか愛おしそうな表情で手の中の物を見つめる彼は、私の知らない顔をしていた。
「君はさ〜死ぬ事についてどう思う?」
突拍子もない質問に戸惑う。
実は振られたんだ。とか好きな人がいるんだとか。そんな言葉を予想していたが、出てきたのは全く違う話だった。
そうだなぁ。としばらく考え、そういえば自分がいつか死ぬ事について、真面目に考えたことがないと気づく。
しかし、葬儀屋という仕事を手伝い始め、身近に死を感じたこと。そして両親のことを思い出し、わかったことはあった。
「自分が死ぬ事は、よくわからない。けど…置いていかれる人は…辛いよね」
そう。私たちは常に見送る側なのだ。愛する者、親しい者の死を見送り、残された人々が絶望し、抜け殻になる様を何度も見て、自分も体験してきた。
その言葉にアンダーテイカーは、はっとしたようにこちらを見る。
一瞬、ほんの一瞬だったが、彼は辛そうな表情で微笑んだ。
「人間は迫り来る死に抗えない。絶対に死ぬんだ皆…」
ワインを煽るように飲み干す。嚥下するたびに彼の白い喉仏が大きく上下に動いた。
「それなのに…人はなんて滑稽な生き物なんだろうねぇ」
それだけ言うと、彼は体力が尽きましたというように眠りに落ちた。
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