▼ 23 やさしい嘘
ぱちり、と目を開けると白い天井が目に飛び込んできた。シエルの屋敷の寝室に寝かされているようだ。
上半身を起こすと肩に激痛が走り、慌てて態勢を元に戻す。
そう言えば刺されたんだっけ…
「由里っ!」
アンダーテイカーが大きな音を立てて部屋に飛び込んでくる。次いでセバスチャンとシエルも入ってきた。
「大丈夫ですか由里さん」
「由里無事かっ?」
皆があまりにも血相を変えて心配するのでこっちが驚いてしまう。
みんな落ち着いて落ち着いてと言って、今にも飛びかかってきそうな3人を諌めた。
「そ、そんなちょっと刺されたくらいだから大丈夫だよ」
「君は3日も意識がなかったんだ」
3日…そんなに眠りこけていたのか。肩を見るとぐるぐると包帯が巻かれ、まだ血が滲んでいる。
恐る恐る顔をあげ、もう一度皆を見る。真剣な顔をしてこちらを見つめるので、かなり心配をかけたのだとわかった。素直に頭を下げて謝る。
「…心配かけて、ごめんなさい」
「全く…命が助かったから良かったものの…」
セバスチャンは大きく溜め息をついて頭を横に振った。するとシエルは立ち上がり私の手を取って枕元に座った。
「由里は僕の大切な家族、マダムレッドを救ってくれた。本当に感謝する」
「良かった…無事だったのね。…それでマダムは?」
「…警察に引き渡した。彼女は表の人間だ。然るべき場所で裁かれる」
ひとまずマダムが無事だった事に胸を撫で下ろす。それからシエルは語ってくれた。
マダムレッドは昔、事故で夫とお腹の子供を亡くし、事故の後遺症により二度と子供を得る事が出来なくなった。そんな彼女の元へ次々と堕胎手術のために娼婦が訪れる。何でもないように子供を殺す娼婦が許せなくなったのだろう。彼女は切り裂きジャックへと変貌した。
どれほど辛かっただろう、痛かっただろう。あの華のような笑顔の裏には底知れぬ闇が潜んでいたのだ。
マダムの事を思うと胸がきりきりと傷んだ。
「まぁ、これでお前の容疑は晴れたと言う事だ」
容疑が晴れた。それは素直に嬉しいがまだ腑に落ちない事はたくさんあった。
そこでずっと気になっていた事を口にする。
グレルのことだ。彼も一緒にパーティに参加していたはず。それなのにあの夜切り裂きジャックは現れた。
それにセバスチャンの"人間には不可能"という言葉。現場で見た人間離れした戦闘。…悪魔、死神という言葉。
「…グレルは一体なんだったの?」
そう訪ねると皆一斉に黙りこみ、気まずい沈黙が流れる。
「それは…知らない方が良いかも知れませんが」
セバスチャンの言葉に一瞬口を噤んでしまう。しかし、私は全て受け入れると覚悟を決めていた。
「あの夜、私に知る覚悟があるかどうか聞いたよね。今ははっきり"ある"と言える。だから教えて」
真剣な目でセバスチャンに訴えると、彼は諦めたようにわかりました。と重い口を開いた。
「彼は人間ではなかったのです。人と神の中立的存在。死んだ人間の魂を回収する死神でした。あなたが刺されたのはデスサイズと呼ばれる死神の鎌。そのため治りが遅いのでしょう」
死神…どこかで聞いたことのある言葉だった。バードンさんがそんな事を言っていたっけ。そう考えていると、セバスチャンは続ける。
「そして…気づいていると思いますが、私も人間ではありません。悪魔と呼ばれる存在です。そこにいらっしゃるシエル様と契約して執事をさせていただいております」
あの戦いを見て薄々は気づいていたが、セバスチャンも人間ではなかった事に少し驚く。
しかし、私も生き返って異世界へ飛ばされた身として、決してあり得ない話ではない。素直に話してくれた事に感謝した。
「そっか、うん。ありがとう」
そう答えると、皆驚いた顔をした。
「…それだけかい?」
「それだけって?」
「いや、もっと驚いたり、疑ったり…」
「うーん、あれを見たら信じざるを得ないというかなんというか」
そう言うと皆一斉に大きくため息をつく。
「おまえは能天気なやつだな」
いやいやそれほどでも、と笑って答えると、褒めてないぞと一蹴される。
シエルのもう少し休めという言葉に甘えて、もう一眠りさせてもらう事にした。
大きな欠伸をして背伸びをすると、アンダーテイカーだけ部屋に残っている事に気付く。
どうしたの?と問いかけると彼は私の元に近づき、頭の上に手を乗せた。
「お願いだから、もう無茶しないでおくれ。…自分の命は大切におしよ」
よく寝るんだよ、と言い残すと彼は静かに扉を閉め、部屋を後にした。
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