小説 | ナノ


▼ 01 さよならメルヘンツアー

どこでもよかったのだ。逃げ出せればどこでも。それがまさかこんな事になるなんて。


大学3回生の冬、由里はロンドンへ旅行に来ていた。時間をやり繰りしながらバイトをできる限り詰め込み、今回の旅の資金にあてた。

ただ単純に就職活動前の気晴らし、もとい現実逃避がしたかったという理由もあるが、渡航先をロンドンに選んだのはもう1つ理由があった。

幼い頃、私はイギリス、ロンドン近くの郊外に住んでいたのだ。
父母に両手を繋いでもらい、ウエストミンスター橋を渡りながら有名な時計塔、ビッグベンを眺めた事ををかすかに覚えている。

明日は、両親の十三回忌だ。

どうしても、幸せな思い出の残るこのロンドンで、父と母を偲びたかった。あの頃は家族全員で食事をして、些細なことで笑い合って、まさに理想の幸せな家庭だったのだ。

記憶をたどるように、テムズ川のほとりを歩いていく。今回は1人で。

陽が落ちかけ、街の向こうが紫に染まり始めている。対岸に見える時計塔の文字盤が薄闇の中、ぼうっと光っているのが見えた。

急に寒さを感じ、マフラーに顔を埋める。
イギリスの冬は寒い。早めにホテルへ帰ろうと、コートのポケットへ手を入れ、くるりと足先を変えた時、背中に大きな衝撃を感じた。

視界が揺れ、足がもつれて思わず地面に手をつく。何が起こったのかわからず、背中に手をやると、手のひらはべったりと真っ赤に染まった。その赤が自分の血だと理解するのにしばらく時間がかかり、それと同時に引きちぎられたような堪え難い痛みが全身を駆け巡った。

周りの女性が悲鳴をあげ、男性がこちらに駆け寄ってくる。

「おい、日本人が刺されたぞ!!救急車をよべ!!!」

そんな英語が聞こえた。
あぁ。私は刺されたのか。どうりでこんなに痛いはずだ。鈍る頭でそんな事を考える。

「大丈夫?大丈夫かい??あぁ、どうしよう血が止まらない。大丈夫かい?」


プラチナブロンドの美しい顔立ちの人に肩を抱かれ、必死で呼びかけられる。止血を試みてくれているらしいその人に、お礼を言おうとするが、口から出てくるのはうめき声だけだった。

ひどく寒い。体温がぐっと下がり、身体の自由が奪われていくのがわかった。
あれ、私このまま死ぬのか。やだなぁ。まだ何もしていないのに。
痛みでだんだんと思考が薄れてゆき、ついに意識を失った。






実際、天国とか地獄とか、あの世とか言う別世界の存在など全く信じていなかった。死とは即ち全ての終わり。映画はフィルムが途切れれば終幕。そこから先の物語が紡がれることは決してない。それと同じだ。

しかし、私の知らない世界はたくさんあるらしく、どうやら"その先"は存在するらしい。それが天国や地獄かと問われると返答に困るところだけど。


一体何が言いたいのかというと、私は生き返ったのだ。時代も土地も全く違う場所で。


世界は広く寛大で、かつ無慈悲だ。





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