小説 | ナノ


▼ 09 憂鬱列車

執事さんが新しい紅茶を注ぐと、部屋中に紅茶の良い香りが広がった。先ほどとは違う風味のため、茶葉を変えたのだとわかる。
一回一回紅茶の種類を変えるとは…何に対しても贅沢を凝らしたお屋敷だ。

「では、坊ちゃん。例の案に由里様も参加させてみては?」

「ああ、そうだな。そうすれば僕も女装しなくてすむ」

「例の作戦ってなんだい?」

やっぱり伯爵の家の紅茶はおいしいね〜と言いながらアンダーテイカーは尋ねた。
それは私も聞きたいところだった。女装などという物騒な単語が聞こえたが。

「えぇ。実はもう犯人の目星がいくつかついておりまして、その内の1人が主催する裏パーティに潜入しようという案を話していたのですよ」

「その1人とは?」

「ドルイット子爵」

「…へぇ、彼がねぇ」

アンダーテイカーが少し笑ったような気がして彼の顔を注視していると、由里やるかい?と声をかけられる。

何でもやると決めた手前、ここで引き下がるわけにはいかない。しかし、私にはパーティなど煌びやかな世界とは無縁であり、ダンスや初歩的なマナーなどは全く皆無と言っていいほど経験がなかった。

「…やらせてください。だけど、私、恥ずかしながらダンスとかマナーとか、何も知らないんです。今からでも間に合いますか?」

「…なるほど」

執事さんは手帳を取り出すと、1週間、お客様はエリザベス様だけですね。と呟き、伯爵に耳打ちをした。「勝手にしろ」「ではそのように」と言うやりとりが聞こえる。
こちらに向き直り、くすりと執事さんは笑った。その表情に思わず悪寒が走る。

「では由里様、パーティは7日後ですので、この1週間みっちり泊まり込みでレッスンを受けていただきます」

「…ええええ?」

「それいいわねぇ。私も手伝うわよ〜」

マダムレッドもノリノリだった。
1週間、レッスン…思わず言葉が止まってしまう。
助けを求めるようにアンダーテイカーの方を見るが、君が何でもやるって言ったんだろう?と笑うだけだった。

「…マジかよ」

「お口が悪いですよ、まずお言葉から直させていただきましょうか」

思わず口から溢れた言葉を執事さんに拾われ、ぎくりとする。
確かに私は普段口が悪かった。丁寧な口調をしようと思えばできるが、一度気を抜くと素が出てしまうのだ。
執事さんを見上げると、さっきと同じ笑みを浮かべている。絶対楽しんでるよこの人…

イーーッと心の中で舌を出すと「おや、楽しんでいませんよ」なんて返答が返ってくる。
心読めるのかよ、絶対この執事さん執事じゃないでしょスパイとかスナイパーとかなんかそんなんでしょ。
と思うと「いいえ、あくまで執事ですから」と返ってきた。

げんなりした顔をしていると、今度はアンダーテイカーに「そんな顔してると、幸せが逃げちゃうよ」と言われる。
うるさいよ放っておいてくれよ。

「小生も由里と一緒に泊まっていいかい?」

「ええ、もちろん。容疑者を監視なしに坊ちゃんの側に置くわけにはいきませんから」

執事さんは目を細め、こちらを見つめる。先程と比べ一気に氷点下まで下がった目線を肌で感じ取り、背筋がゾクリとする。
いくら軽口を叩いていたとはいえ、あくまで私は容疑者。その立場を今一度再確認した。

「まあまあ、こんな子猫を容疑者なんて言っちゃあかわいそうじゃないか」

劉さんが場の雰囲気を和ませてくれるが、執事さんのひやりとした瞳は変わらなかった。

「全力で、受けさせていただきます」

そう改まって宣言すると、ようやくよくできました、と微笑んでくれた。目は相変わらずだったけれど。

するとその時、全く空気を無視した声が部屋に飛び込んできた。

「軽食をお持ちしました〜〜」

とワゴンのカートを押しながら入ってきたのはグレルさんだった。

なんだか危なっかしいなと横目で見ていると、案の定カーペットの端につまずき、あ、あああああああっっっという悲鳴と共にワゴンは壁に衝突。乗っていたケーキとポットが宙を舞った。

え、と思った瞬間

バシャァァアン

気づくと服はびしょ濡れ。髪の毛からは茶色の液体が滴り落ち落ちていた。突然のことに何が起きたのか訳もわからず、ぽかんと口を開ける。

「グフッ…ブフッ…グヒャッヒャッヒャッ!!」

アンダーテイカの笑い声が部屋に響きわたり、ようやくポットの中身が私の真上でぶち撒けられたことに気づく。

「由里その格好…グフッ、さいっこうだよ世界で笑いが取れるよ〜」

その言葉にアンダーテイカをぎっと睨みつける。

「あーららずぶ濡れになっちゃったね」

「ちょっと何してるのよ!グレル!あんたほんっとうに使えないわね!」

「も、ももももも申し訳ありませんっ!」

「いや、その必要はない。セバスチャン、ニーナをすぐ呼べ」


着替えが必要ないとはどういうことだ。このまま濡れ鼠の姿で笑いを取れっていうのかこの坊ちゃんは。と怨みがましい目で伯爵を見る。

「パーティにドレスは必要だろう?レッスン一つ目はドレスの着こなしだ。まぁ、お前に着れたら。の話だがな」

彼は私の表情を見透かしたようにそう言い、にやりと笑った。

こうして私の地獄の1週間が始まったのだ。





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