小説 | ナノ


▼ 08 動き出した針


「おや、由里綺麗にしてもらったじゃないか」

「ふーんこの子が例の子猫ちゃんか」

「へぇ、また変わったタイプの子ねぇ」

アンダーテイカーにおいで、と手招きされ隣の椅子に腰をかける。

「さっそくだが、話を聞かせてもらおう。その前に彼らの紹介をしておく」

赤いドレスに、赤い髪の綺麗な女性がマダムレッド、目が細くチャイナ服を纏った男性は劉さん。後ろで髪をひとまとめにし、眼鏡をかけた男性がマダムレッドの執事、グレルさんと教わった。

「新庄由里です。よろしくお願いします」

ぺこり、とお辞儀をして座り直すと、紅茶を勧められた。一口頂くとその香り、味に驚いてしまった。これは…

「ダージリンのファーストフラッシュ…」

思わずそう呟くと、伯爵は驚いたような顔をした。ティーカップを置くと片方の口角を上げて笑う。

「それをファーストフラッシュと気づいたのは客人でお前が初めてだ。それはフォートナム・メイソンの物だ。紅茶に造詣が深いのか?」

「ええ、多分。紅茶は好んで飲んでいました」

私の曖昧な返事に、伯爵は眉を寄せる。

「多分、とは?」

「あの日、何者かに襲われて倒れていた以前の記憶がないんです。だから何も有益になるような事は、お話しできません」

ごめんなさい、と頭を下げると、顔を上げろと言われ伯爵に向き直る。

「記憶がない、か。じゃあお前自分が何者かもわかっていないのか?」

「…その通りですね」

「劉、由里に見覚えはあるか?」

「東洋人の子が出入りする場所はよく行くけど。うーん、残念ながらこの子猫に見覚えはないねー」

「私もないわー。刺された時の事は何か覚えてる?」

「…いいえ、何も」

マダムレッドは私のそばまで来ると、可哀想に、とつぶやき、私の頭を撫でて抱きしめてくれた。
思いがけない行動に驚き、久しぶりに受けるその行動に少し体が強張る。
幼い頃に両親を亡くしたせいか、人に甘える事にあまり慣れていないのだ。
しかし、少しだけ緊張の糸がほぐれるような気がした。
誰かに抱きしめられるというのは、こんなにも心安らぐ行為なのだろうか。

…それにしても胸が大きいなマダムレッド

「…そうか、わかった。ここまで来てくれたことには感謝する。もう帰っていいぞ」

長いため息とともに言葉が吐き出される。
私から思ったより情報が得られなかったせいだろう。落胆の色が声音から読み取れた。
しかし、ここではいそうですかと帰るわけにはいかない。私はこの事件の犯人を解明しなければならないのだから。

私はぐっと手を握ると立ち上がり、伯爵の前まで歩み寄った。

「伯爵…あの、一つ良いでしょうか?」

「なんだ?」

「できれば、この事件に関してお手伝いさせていただけませんか?」

「断る。お前は記憶がないのだろう?僕の手伝いをする前に、自分の心配をしたらどうだ」

もう話は終わった。と言うように、彼の目線は手元の資料に落としたまま、こちらを見ようとはしない。
最もなお言葉だ。しかし、私は彼のために動くのではない。自分のために動くのだ。

「いいえ、伯爵。これは自分の無実を証明するための行動です」

そう言うと彼は、ほう。とつぶやき、ちらっとこちらを見上げた。

「今、自分にこの事件の容疑者として疑いがかかっている事は、十分に理解しています。唯一の生き残りに記憶がない。となると、疑いの目を向けない方が難しいですから」

「…続けろ」

「ですから、私は自分の無実を証明したいのです。そのために…貴方を利用させていただきたい」

どうかお願いします、と頭を下げると伯爵は目を瞑り、頬杖をついてしばらく無言を貫いた。

「彼女は自分が疑われている事も先刻承知のようですし、お話を聞いている限り頭も良い方のようです。もしかすると、殺し損ねた彼女をもう一度犯人が狙いにくるかもしれません。…悪い話ではないと思いますが。」

「伯爵、小生からもお願いするよ」

若干過大評価な気もするが、執事さんとアンダーテイカーはそう助言してくれた。

「…利用したい、か。…わかった。精々僕の駒となって働くがいい」

そう言うと彼はよろしく、手を差し出した。

駒。そう、これから私は彼の駒となり、自らのために働くのだ。さながらチェス盤の上のポーンのように。
だけど、私は私なりに彼を利用させてもらう。
私は彼の目を真正面から見つめ、しっかりとその手を握り返した。




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