小説 | ナノ


▼ 04 あーあ、世界が笑ってら

震える身体をかたく抱きしめ目を瞑り、自分の過去を必死に思い出そうとする。私は誰だ、どこから来た。何をしていた。なんのためにここへ来た。

頭を痛いくらいに抑え、膝に顔を埋める。分かっていること、名前、生年月日、年齢、それから2017年時点でロンドンに着いてからの記憶だけだった。

それ以前のことは何も思い出せない。考えようとすると激しい頭痛に加え、思考に何か靄がかかったような感じがするのだ。

とりあえず落ち着こう、落ち着くんだ私。
部屋をぐるぐると何周かして窓の外を見たり、深呼吸をしたりするが結果は同じだった。何も思い出せない。

記憶には何種類かある。その中でも特定の日時や場所に関連した、自分が体験してきた個人的記憶がごっそり抜け落ちているらしかった。所謂エピソード記憶というやつだ。
計算方法や歴史、言語など知識として蓄えた記憶はちゃんと残っている。

「……まじヘビーだなこれ」


衝撃的な展開に衝撃がさらに重なり、思わず口から笑いが漏れる。天井を見上げると、ふとバードンさんの言っていたことを思い出した。

『代償が必要ですよ』

という言葉。これが代償ということなのだろうか。私の記憶が対価として差し出されたのだろうか。

ベッドに倒れこみ、腕を伸ばして自分の手の甲を見つめる。全体的に作りが小さく、爪の短い見知った自分の手だった。この手で21年間、私はどんな人生を送ってきたのだろうか。何を掴んで、どのような事を記してきたのだろうか。

握り拳をつくり、そのまま額に当てて目を閉じる。わからない。私にはわからない事だらけだ。

とりあえず、この世界で生き延びていくしかない。
私はあの場所で人生のやり直しを望んだ。
きっと、全てをやり直したくなるくらいの出き事があったのだろう。
それならば、せっかく与えられたこの場所で必死に生き延びるのが筋だ。
ここで、できる事をしよう。

そう決心し目を開いた。

「やってやろうじゃんか」


身体を起こしたと同時に、扉が開く。

「身体は大丈夫かい?」

そう言ってアンダーテイカーは骨壺を差し出した。

「これは?」

「小生特製のクッキーだよ〜、お腹空いてると思ってねぇ」

カポッと蓋をあけると、壺いっぱいに骨型のクッキーが入っていた。
骨壺に、骨型…センス悪すぎでしょ…
ええ、美味しいのこれ、と思い、訝しげにアンダーテイカーの顔を見上げると毒は入ってないよと言われた。そういう問題でもないのだが。

鼻を近づけると、バターの良い匂いが漂ってきてお腹が鳴った。気づかなかったが、どうやらお腹が空いていたようだ。
ぽり、と一口かじると意外に美味しい。さっきの紅茶といいクッキーといい、料理は上手なようだ。

「ありがとうございます、色々してもらって」

「いいんだよ」

彼は椅子をズルズルと引っ張り、ベッドのすぐ側に座る。私の手から一つひょいとクッキーを奪うと、ぽりぽりかじりながら話し始めた。


「さっきの話の続きだけど…君は一体どうしてあんなところに倒れていたのか、それにどうして傷跡がないのか、教えてくれるかい?」

そう問われて返事に詰まる。どうしよう。人生のやり直しができると言われ、気づくと記憶喪失で、しかも約130年前にタイムスリップしていましたなんて言っても信じてもらえるはずがない。

おそらく傷がなかったのは現世で刺されたものを、バードンさんがどうにかしてくれたのだろう。
それなら服と状況もなんとかしてくれよ説明にめちゃくちゃ困るじゃんかこのやろう、と心の中で悪態をつく。

とりあえずタイムスリップしてきた事は伏せて、記憶がない事を主に説明しようと思った。

「実は、記憶がないんです。だからなんで倒れてたのか…わからなくて」

嘘はついてない、大体は合っている。
ちら、とアンダーテイカーの方を見ると、探るような表情を浮かべていた。今は前髪に隠れているからわからないが、きっとあの目を今もしているのだろう。

しばらく彼は沈黙し、なんとなく張り詰めた空気が流れる。

「なるほどねぇ、記憶がない。かぁ」

彼はううん、と唸り首をひねった。

「嘘は言ってなさそうだねぇ」

少しぎくりとするが、信じてもらえたことに安堵して息をついた。

「今さ、イギリスでは切り裂きジャック事件っていう連続殺人事件が起きているんだよ。娼婦が連日、君が倒れていた場所近くで殺されている」

「切り裂きジャック…」

切り裂きジャック事件。聞いたことがあった。世界史で習ったのだろうか。たしか残酷な手口で女性が何人も殺されたが結局犯人はわからず、迷宮入りとなった世界的な事件なはずだ。


「だから君もその事件に関連があると思ったんだけどねぇ。…記憶がないとなると、余程恐ろしい目にあったのか、倒れた時の打ち所が悪かったのか…」


少しまずいことになってしまったかもしれない。よりによって殺人事件の関係者になっているたなんて。
それにアンダーテイカーは、私が血塗れだったのに無傷であった事を知っている。という事は犯人として疑われてもおかしくはないのだ。関係は全くない。が、それを証明できる術がなかった。

困った…非常に困ったことになった。


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