眠っている間にナイトテーブルに置かれていたコップの配置が変わっていた。些細な物音にも気付くと自負していたが、どうやら此処に閉じ込めた奴は、自分のことを理解しているらしい。もしくは眠りに落ちた際、睡眠薬を投与されたのだろうか。催眠ガスや注射という可能性もある。用意周到なことだ。こんなことをして何になるのか。殺すなら殺せばいい。人質として身代金の要求も無意味なはずだ。ヴァンガードが関係しているという線もないと考えていい。


「………」


丸一日誰とも関わらず何もせずでは気が滅入る。一人には昔から慣れているが、自分から一人になる場合と、強制的に一人にさせられる場合とでは話が違う。まだ一日なのだ。なのに音がない部屋は酷く苦痛で、黙り込んでいると気が狂いそうになる。ベッドに横になって歌を口遊む。昔、まだ両親がいた頃、歌ってくれた子守唄。歌詞はうろ覚えだけど旋律を奏でることは出来る。


「(ああ、気持ち悪い)」


賑やかな街の雑音もこの場所では遠すぎて何も聞こえない。沈黙に包まれた部屋は鼓動すら耳を支配する。声が欲しい。自分のものではない声。一分が何時間とも思える世界に一人でいるのは嫌だ。音が欲しい。安らぎのない不協和音でも構わない。どんな音でもいいんだ。ふと、誰かに背後から話しかけられた気がした。振り返るとただの真っ白な壁だけがある。けれどさらに声は聞こえる。笑い声だ。子供が走り回る音も、壁を叩く音も聞こえてくる。いないはずなのに。誰もこの部屋にいるはずがないのに。


「…っ誰か…!」


衝動的に扉へと駆け寄りドアノブを回した。開かないと理解しているのに、開けようとせずにはいられなかった。嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌―――。頭の片隅で冷静な自分が現状を把握する。おかしくなったのだと。人間は沈黙に耐えられない。櫂トシキも人間だ。音の消えた空間に置かれて狂わないはずがない。


「…な、んで…っ、開けよ、嫌だ…、一人は…」


扉に縋り付くようにその場に座り込むと瞳から涙が溢れ出した。今まで押さえ込んできた全てが一瞬で崩壊していく。思えば、櫂トシキは弱い人間だった。いつ切れるのか分からぬ糸に引っ張られて無理矢理立たされていただけ。何かの拍子で切れてしまえば奈落の底に落ちてしまう存在だった。母も父もいない櫂の支えになる人間はいなかったのだ。だからこれは当然の結末。いずれは起こると決められていたこと。予定調和に誰かが細工をして捻じ曲げただけの話で、糸は必ず切れる運命だった。


「―――――!」


声にならない叫びとともに櫂の意識はそこで途絶えた。




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