櫂トシキについて心配していることと言えば、ちゃんと飯食っているのかなあとか、ちゃんと眠っているのかなあとか、日常生活では当たり前のことだけで、それを森川や井崎に話したら「櫂の保護者かよ」って呆れられた。周囲からは世話焼きだと言われるし、実際そうなのだろうとは思うけど、櫂は特に世話が焼けるのだ。仕方がない。一日だけでも一緒に行動してみろよと言いたくなる。


「おや。櫂トシキはまだ帰っていませんよ」
「…そうかよ。じゃあ先に夕飯作るか」
「君も暇ですね」


のんびりとモニターを眺めているお前に言われたくはない、と心の中で悪態をつく。すると「僕のとっても大切なお人形の様子を見ているんですよ」と返された。人の心を覗くのはやめろ、と文句を呟くと「お互い様でしょう」と苦笑いで返されて、苛立ちが更に募る。大事な親友を“お人形”呼ばわりされて腹が立たないわけがない。しかし言葉通り、今は人形に近い状態だ。ぐっと喉まで出かけた反論の言葉を飲み込んで、俺は支度を始めた。
こうして立凪タクトの家に居候し始めたのは何時からか。ヴォイドの代理人だという少年は、雰囲気が以前とはがらりと変わり、世界中のファイター達がリバースされていく様を傍観している。


「…えっと、調味料は…」
「あ、味は薄くしてください」
「言われなくてもそうするっての」
「そうですか。気が利きますね、君は」


冷蔵庫から食材を取り出して黙々と夕飯を作ることももう慣れた。味付けに関して少年には散々文句を言われたが、最近は加減が分かってきた。「ちょうど良い味です」と嬉しくない褒め言葉を貰ったのは、今でも覚えている。料理にうるさかったアイツの他に、あれやこれやと口を出す者はいなかったから。
生まれ変わったと話す櫂は、全てに興味を示さなくなった。出された食事もただ黙って口に運ぶのみ。味覚が機能しているのかすら疑問に思う。ヴァンガードファイト以外には何もしないのだ。ソファに腰を下ろしてデッキを眺めて、時折、デッキの調整をして。会話はできるものの、終始上の空だ。
早く元に戻ってほしい、と切実に願う。けれど俺に力はない。櫂トシキを取り戻す力はないのだ。だからこそ櫂はファイトを挑まないのだろうし、立凪タクトも傍にいる自分に何一つ言ってこない。


「トシキは帰りが遅くなるそうですよ」
「んー、じゃあ先に飯食えよ」
「そうします」


立凪タクトはリンクジョーカーを通じて櫂と繋がっているそうだ。声に出さずとも言葉を交わし、目で見なくとも行動を把握して。櫂の全てを理解していると言った。俺が知らない、櫂が見せない、櫂の心の一部を、少年が土足で踏み入って荒らしたのかと思うと、腸が煮えくり返りそうだった。しかし同時に、子供じみた独占欲を持っていたことに動揺もした。
当たり前のように櫂の隣にいたから。離れていても櫂は傍にいるから。心さえ繋がっているのなら、どんなに遠くへ行っても大丈夫だと、かつての俺は思っていた。櫂トシキが離れてしまうことがどういうことなのか、今更ながらに痛感しても、所詮は後の祭りだけれど。


「…己の無力さが憎いですか」


料理を口に運びながら少年はそう尋ねてきた。
―――ああ、憎いさ。櫂を堕としたお前と同じくらいにな。
親友と豪語しておきながら闇に沈んだ櫂を助け出せないのだ。今ほど力と強さを望んだことはない。自分に力があれば。自分が強ければ。きっと櫂を光の射す場所へ導くことができるのに。


「欲望に従っていいんですよ、三和タイシ。強くなりたいと望み、力を欲すればいい。自分自身を新たに再生させること…それは堕ちたわけではない。生まれ変わっただけ。櫂トシキの傍で彼を支えたいと願うなら、僕が力を貸してあげましょう」


じわじわと言葉が毒のように体を蝕んでいく。手を取ればいいのだと、心の中で闇が囁いた。力と強さがあれば櫂を元に戻せる。力と強さがあれば櫂はファイターとしても求めてくれる。親友としてだけではない、櫂トシキの全てを満たせる存在になれるのかもしれない。さあ、と促されて、目眩がした。


「……俺は、」


脳裏に浮かぶのは仏頂面をした櫂の横顔。


「力も強さもいらねぇよ」
「……!」


赤黒い光を放っていた瞳は、驚愕に染まった。何かを言おうとして開きかけた口は、しかし、言葉を紡ぐことなく閉じられる。
確かに、俺は欲している。力も強さも。けれどそれは当たり前のことで、持ち得ないものを望むのは、心の闇ではない。みんながみんな思っているはずだ。だから欲はあれど渇望はしない。良くも悪くも三和タイシは普通の高校生だと自覚している。周りのヴァンガード大好きっ子と違って思い入れがないのだ。ヴァンガードファイトの勝敗で櫂が戻ってくるのなら強者になりたいと思うが、心の中でなりたいかと自分自身に問いかけると答えは既に出てしまっていて。


「俺は、ただ帰りを待つだけでいい」
「………」
「あの馬鹿野郎が間違った道を歩むなら、正しい道を見つけた時に、お帰りって言える居場所を作る。真っ暗な闇の底に沈んでも、光を見つけて這い上がるって、櫂トシキはそういう奴だって、俺は信じているからな」


終始無言を貫いていた少年は、溜め息とともに「君は馬鹿ですね」と呟いた。それに対して、肯定するように俺は満面の笑みを浮かべる。
―――そりゃそうだろう、何せ馬鹿野郎の親友なんだから。


「何をしている」


そこでようやく扉が開く音とともに、話題の中心人物が帰って来た。時計に目を向けると随分時間が経っていたらしい。用意していた食事は冷え切って、湯気も消えてしまっていた。櫂が帰ったことだし温め直さなきゃなあ、と台所へ向かう。
―――強がりじゃねぇけど、一瞬揺らいでたな、俺。
どくんどくんと強く脈打つ心臓は、僅かな動揺に反応したものだ。恐らくは少年に気付かれていただろうが、様子を見るに諦めたようだったし、今後言葉で惑わしてくることはないだろう。
―――櫂が帰って来てくれて良かった。
アイツの顔を見て、アイツの存在を確認して、落ち着きを取り戻せた。もしも帰って来なかったら、誘惑に負けていたのかもしれない。強がりだと自覚しているだけあって反論できないまま誘いに乗ってしまったかもしれない。


「…大丈夫、大丈夫、っと」


自分自身に言い聞かせるように声に出して、一度だけ深呼吸をする。腹も減ったし準備しなきゃな、と、櫂と俺の分の食事の用意を始めた。


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