櫂トシキは、弱い人間だった。
だから誰よりも臆病であることを必死に隠してきた。時間を掛けて創り上げた頑丈な殻の中で、ただ震えていたのだ。それはあまりにも強固で砕けなくて、僅かに空いた小さな小さなミリ単位よりも小さな穴から、中の様子を窺い知ることなど誰にも出来なかった。しかし穴が空いていれば容易に侵入できる存在を彼は知らなかった。それは実態のないものだった。実態がないから空気のように呼吸と共に入り込み、全身を駆け巡って、細胞の一つ一つを観察して、そうして何もかもを見透かすのだ。ただの人間である彼は抵抗できるはずがない。


「…どうして、櫂くん…どうして」


驚愕に染まった瞳に見つめられて男は嗤った。かつての櫂トシキの親友は、拳を握り締めた。かつての櫂トシキの仲間は、唇を噛み締めた。そんな彼等の様子を見て、男はさらに笑みを深める。


「お前なら分かるはずだろう、先導アイチ」
「…分からない…っ、分からないよ!櫂くんがリバースファイターの始祖だなんて、分かる訳ない!」


今まで襲ってきたリバースファイターの中には、アイチと関わりがあった者達もいた。友達や仲間、対戦相手、何かしら関係を持っている人々。彼等がリバースした原因、全ての根源が、櫂トシキだったと信じたくはないだろう。アイチの憧れであり、仲間であり、友達である、大切な存在なのに。


「全ては強くなるためだ」
「…!」


その瞬間、誰もが言葉を失った。


「嘘、だよ…」
「何故嘘を吐く必要がある?」
「だって櫂くんは、櫂くんは僕に教えてくれた!強さは自分自身の力で得るものだって!自分のものじゃない力に頼った強さは、強さじゃないって!」


PSYクオリアの力に飲み込まれて己を失っていたアイチを正しい道へと導いたのは、他の誰でもない櫂トシキだ。なのに、そう言っていたはずなのに、彼自身が偽りの強さによって勝利しようとするなんて。


「……ああ、そんな戯言を言った時もあったか。だけど俺は、真に理解した。勝利を掴むために手段を選ぶなど馬鹿馬鹿しいと。大事なのは過程ではない、結果だ。俺はただ勝てれば良い。そのためにはどんなものも利用する。他がどうなろうと関係ない」


にたりと口元を歪めた彼の瞳はどろどろと濁っていて、一筋の光すら差し込まない泥沼のようだった。二度と戻って来れない闇。這い上がってこれない程の暗い場所に堕ちてしまった彼を思い、アイチは零れ落ちそうだった涙を拭う。


「櫂くん、僕は…、君に勝つ」
「…俺に勝てるとでも?」


問いかけにすぐさま頷ける程の相手ではないとアイチは理解していた。だけど、だからこそ首を縦に振る。彼の表情が僅かに変わる。怒りと驚きと呆れ、そして僅かに恐怖が混じっていた。


「僕は勝ってみせる!」


それは僕のためであり、櫂くんのためでもあるから。
真っ暗な世界でもがき苦しんでいる彼の姿が見えた気がした。

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