50万打フリリク企画 | ナノ


▼ ほどける心臓

「兄さんは俺にどうして欲しいの?」

わからない。

「そんな風に泣かないで」

わからないわからないわからない。

「泣きたいのは、俺の方だ」

――俺のせいで、隆幸は悲しいの?



事の発端は、2月14日の朝のことだった。なんとなく身体が怠くてベッドから出られず、俺が起きたときには既に家には母さんしかいなかった。

「おはよう幸ちゃん…あら、ちょっと顔が赤いわね」
「うん…少し、だるい」
「熱計ってみましょう」

パジャマのままリビングに顔を出した俺を見て、母さんが不安げに表情を曇らせる。言われた通りに熱を計ってみると、予想通り微熱があった。

「他にどこか悪いとこはない?」
「喉が少し…あと、頭が痛い…かも」
「そう…今から病院に行こうかしら」

ばたばたと支度を始めたところに、電話がかかってきた。母さんが出る。

「隆くん?どうしたの…え?忘れ物?」

電話の相手は隆幸のようだった。

「うん、うん…体操着ね。今から届けに行くわね。ちょうど幸ちゃんを病院につれて出かけようと思ってたから、丁度いいわ。学校は通り道だし」

隆幸が忘れ物。珍しい。のろのろと緩慢な動作で服を着替えながら、二人の会話に耳を傾ける。

「そう。少し熱があるみたいで…喉と頭も痛いって」

隆幸は俺の心配をしてくれているのだろうか。けほ、と渇いた咳が出た。熱があると自覚した途端に症状が悪化する、この現象はなんなのだろう。

「幸ちゃん、隆くんの学校に寄っていくけど大丈夫よね?」

受話器を置いた母さんが尋ねてくる。

「うん」

隆幸の学校。そういえば、行ったこと、なかったっけ。



車に乗っていてもいいわよ、という母さんの申し出に首を振り、見慣れない場所を二人で歩く。一人で狭い場所に残されるのは苦手だったからだ。

隆幸の通っている高校は割と歴史のある学校で、校舎もお世辞にも綺麗とは言えなかった。でもなんだか懐かしい感じがして、不思議と居心地は悪くない。

「あ、あれ、隆くんじゃない?」

学務で軽い受付を済ませ待っていると、しばらくしてから隆幸がやってきた。

「ごめんね母さん。ありがとう。助かったよ…あれ?」

母さんの背中に隠れるようにしていた俺を見て、隆幸が手招きする。

「駄目だよ兄さん。出てきちゃ。具合悪いんでしょう」
「だって、そしたら一人になるから…」

そう言うと、優しく頭を撫でられた。熱の具合を確かめるように額にも触れられる。

「…ほら、このマスクして。保健室でもらってきたから」
「ん」

大きなマスクが顔を包む。縋るようにして制服の裾を掴んでいる俺に、隆幸はふっと笑みを浮かべて見せた。

「大丈夫だよ。今日は急いで帰るから、それまでしっかり休んでてね。俺が帰ってきたら一緒に寝よう」
「本当?すぐ帰ってくる?」
「うん。本当」

それから、母さんに連れられる俺を隆幸は来客用の玄関口まで見送ってくれた。

「幸ちゃん?」

何か大事なことを言い忘れているような気がして、不安になって、後ろを振り返る。玄関口に立ったままの隆幸に、一人の女の子が話しかけているのが見えた。

「あぁ、今日はバレンタインだものね。隆くん、結構モテるのかしら」

――そうだ。バレンタインだ。

今朝、リビングで見たテレビの場面が頭の中に蘇ってくる。美味しそうなチョコレート。インタビューに答える知らない女の子の顔。今日は、好きな人に気持ちを伝える日。

女の子が差し出した紙袋を受け取る隆幸。母さんはどこか嬉しそうに笑っているけれど、俺はちっとも笑えない。

どうしてこんな簡単なこと、忘れていたんだろう。



ベッドに潜り込んでじっと目を閉じていると、瞼の裏に何度も何度も繰り返し隆幸とあの女の子が話をしているシーンが思い浮かんできた。自分でも変だと思うほどに悲しくて、ぽろぽろと涙が零れてくる。

隆幸が、あの子からのチョコレートを受け取ったから?それとも、大事な日を忘れていたから?隆幸にチョコレートを渡せなかったから?わからない。何がこんなに悲しいのか、わからない。

「兄さん」

学校から帰ってきた隆幸が、そんな俺の様子を見て心配そうにベッドの脇にしゃがみこんだ。

「どこか痛いの?怖い夢見た?」

隆幸を見ていると、余計に泣きたくなる。どうしてだろう。こんな気持ちになったのは初めてで、とにかくもう、見ていたくないと思った。

「…苦しい…」

布団の中に顔を埋め、強く自らの服を握り締める。胸の奥がもやもやして、落ち着かない。

「どこが苦しい?」
「隆幸、が」
「俺?」
「隆幸を見てると、胸が苦しい」
「…それは、兄さんが俺のことを好きだからじゃなくて?」
「ちがう」

違う。そんな心地のいい苦しさじゃない。もっと痛い、何か別の。

「違うって、なに」

心なしかその声が震えているような気がして顔を出すと、その瞬間に強く肩を掴まれた。

「俺のことが嫌になった?どうして?兄さんはもう俺なんか好きじゃないって言うの?」
「ちが、隆幸…痛い…」

涙に濡れた俺の頬を見て、隆幸は悲痛な表情を浮かべる。

「なんで泣くの…本当に嫌がってるみたいじゃないか…」

違う。これは、隆幸を嫌がっているわけじゃない。そのための涙じゃない。だけど説明なんかできない俺は、ただただ口をつぐむことしかできない。

「兄さんは俺にどうして欲しいの?」

わからない。

「そんな風に泣かないで」

わからないわからないわからない。

「泣きたいのは、俺の方だ」

――俺のせいで、隆幸は悲しいの?

「死ぬから」
「…え?」
「兄さんが俺のこといらないって言うなら、俺は死ぬから」
「ちがう、隆幸、そんなこと言ってないから…死ぬとか、駄目だ」
「じゃあどうして笑ってるんだよ」

え?

「笑って、る?」
「俺から離れられるのが嬉しいから、笑ってるんじゃないの」

すっと自らの頬に手を伸ばしてなぞってみる。指先に触れる吊り上がった口角の感触は、隆幸の言葉が確かなものであることを物語っていた。

「なんで、俺…」
「兄さん…?」

今日見たことを思い出す。今日言われたことを思い出す。わからないのは何故なのか。俺は一体、何を抱いているのか。

「バレンタインで…朝、テレビを見たのに忘れてて…隆幸が、女の子にチョコをもらってて」
「あぁ…見てたんだ」
「どうしてこんなこと忘れてたんだろうって、俺が一番に渡さなきゃいけなかったのにって…」
「…それが悲しくて泣いてたの?でも心配しなくても俺は」
「ちがう」

そう。違う。これは嫉妬なんかじゃない。俺は隆幸の気持ちを疑わない。二人の隙間に入ることのできるものなんて、何一つないから。だから嫉妬なんてする必要はない。それを教えてくれたのは、紛れもない隆幸だ。

「忘れてたのは、必要がなかったから」
「…?」

起き上がって、頭の中にある気持ちを整理して、ぽつりぽつりと言葉にしようとする。隆幸は首を傾げつつもそんな俺をじっと見つめた。

「悲しかったのは、隆幸を好きな人がいるってことを目の当たりにしたから」
「俺を好きな人…」
「俺の他にも、隆幸のことを好きな人がいる。今日…2月14日にチョコレートをあげるっていうのは、そういうことだろ」

隆幸は確かに俺とは違う。俺みたいに馬鹿で、愚図で、のろまで、なんにもできないやつなんかじゃない。俺の自慢の弟だ。彼が人に好かれるのは当然のことなのだ。

だけど、その好意を伝えるということは、恋する気持ちを伝えるということは、ただその人を好きでいるだけでは満足できないということなんじゃないだろうか。

好きで好きで仕方なくて、自分の中だけでは気持ちを昇華できないとき。相手ともっとその先に進みたい――つまり、隆幸を自分のものにしたいと思ったとき。人は「好きだ」という言葉を口にするんじゃないだろうか。

「隆幸は、俺のものなのに…あの子は、隆幸を欲しがってる」

だから悲しかった。自分以外の人間が、自分の一番大事なものを欲しがっていることを実感したから。

隆幸を欲しがっちゃいけないのに。俺の他に、欲しいなんて思う人がいちゃいけないのに。

そして。

「笑ったのは、嬉しかったから」

隆幸が、俺のせいで悲しかったことが、俺はとても嬉しい。

隆幸が、俺がいないと死ぬなんて戯言を吐いたことが、俺はとても嬉しい。

「隆幸」

そう。これは嫉妬じゃなくて、言うなれば独占欲なのだ。

「バレンタインなんて名目じゃなくたって、俺は毎日隆幸に好きだって伝えるよ。隆幸の欲しいものは何だってあげる」

悲しさも嬉しさも愛情も全部、その理由に俺があればいい。この人の奥底に俺の存在が根付くように、深く深く愛してあげる。

それが俺の当たり前だ。だから今日を、バレンタインを、その特別さを忘れていられた。忘れていられたのは、その必要がなかったから。特別な日でなくたって、俺の気持ちはいつだって伝えることができる。

そのために必要なことはたった一つだけ。彼が俺の隣にいること、だ。

「お願い」

両手を伸ばし、隆幸の頬を撫でた。指先を滑る肌の感触に何故だかまた涙が溢れてくる。

「お願いだから、傍にいて」
「兄さん…」

隆幸は掴んでいた肩を引き寄せ、強く抱きしめてくれた。

「ずっと一緒にいたい、隆幸がいい、俺の隆幸」
「うん、うん…俺が悪かった。ごめんね、もう言わないから泣かないで」

息がかかるほどの距離になって、それでもまだ足りない。もっと近くにいきたいとねだる俺に、隆幸は優しく口付けてくれる。

「俺は兄さんのものだよ。俺の心臓は兄さんが握ってる」
「心臓…」
「ここだけは絶対に誰にも触れさせない。俺の心に入っていいのは、兄さんだけなんだ。それは兄さんも同じ」

そうか。だからこの胸は隆幸を見ているときだけ苦しくなるんだ。俺の心は隆幸だけが入っていい場所だから、だから他の人じゃちっとも動かないんだ。

「誰が欲しがったって、誰にもあげられないよ。だって兄さんが持ってるんだから」
「…俺が、持ってる…」
「そう」

隆幸は俺の涙を拭い、もう一度キスをしてくれた。

「ん…っは、ぁ、たかゆき…たか…んん」
「幸広。幸広兄さん。大好きだよ。愛してる」

溢れるような愛の言葉を直接口の中に流し込まれ、俺はそれを喜んで飲み込んだ。風邪がうつってしまうかもしれないなんて、そんなことはどうでも良かった。

――俺が持ってる。隆幸の心臓。

誰も触れないように、囲っておきたいと思っていた。綺麗だろう、素敵だろうって自慢したかった。誰にも盗られないように、俺だけが鍵を持つ透明なケースに入れて。

だけど違った。誰が欲しがってもいいんだ。俺がいなきゃ消えてしまうものならば、俺から離れたらなくなってしまうものならば、それはもう、大事にしまっておく必要なんかない。

俺以外が触れられないものを、一体誰が欲しがるというのだろう。そんなことに何の意味があるというのだろう。

――早くみんな、気づけばいいのに。



それから、二人で同じベッドに入って一緒に眠った。温かくて心地よくて、体調は最悪なのに、どうしてか夢も見ずに深く眠った。多分、寝ている間中ずっと隆幸の手が俺の頭を撫でてくれていたからだと思う。

「…隆幸は」

目が覚めると胸の苦しさは和らいでいたけれど、喉はまだ痛かったし身体は怠いままだった。夕飯まで時間があるようだったので、もう少しだけこうしていたいと布団の中で彼の胸に顔を埋める。とくとくという心臓の音が耳に心地いい。

「ん?」
「隆幸は、何がほしい?」
「それってバレンタインの話?」
「うん」

隆幸は俺の髪を梳きながら、静かな声で言った。

「俺の欲しいものは、昔からずっと変わらない。たった一つだけ」
「一つだけ?」
「もう手に入ったけどね」
「それって俺のこと?」
「そうだよ」

即答だ。

「…もっと正確に言うなら、俺のことを愛してくれる兄さん、かな」

俺はずっと隆幸のことを愛しているつもりだったけど、彼は俺に弟として愛されたいわけじゃないのだろう。俺だって隆幸に兄として愛されたいわけじゃない。もちろん兄としても愛されたい。でもそれだけでは駄目なのだ。

兄弟だけど、兄弟じゃない。俺と隆幸にはおんなじ血が流れていて、おんなじ時間を過ごしてきて、だけどそれだけじゃなくて、もっと別の、深い何か。

「…やっぱりバレンタイン、仕切り直そう」
「仕切り直すって、何するの?」
「チョコ作るから、受け取って」

隆幸は「風邪が治ってからにしようね」と笑った。

end.




田中さんリクエストで「幸広がやきもち妬いて二人の関係に亀裂が入るかと思いきややっぱり甘々」、たまごどうふさんリクエストで「バレンタイン」でした。お二方のリクエストを統合させていただきましたが、どうぞご了承くださいますようお願いいたします。

幸広が延々と自分の中の気持ちを整理するために理屈をこねまくってて文字数が多いです…読みづらくてすみません…。幸広は隆幸以上に理屈っぽいというか、理詰めで物事を考えるタイプだと思います。
あとこの二人は毎日がバレンタインみたいなものだと思いました。あんまり甘くなくてごめんなさい…いやこれもう甘いのか甘くないのかよくわからなくなってきた…。

素敵なリクエストをありがとうございました!楽しんでいただけますように!

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